下北半島の恐山を訪ね、岩手県の遠野まで車を走らせたのは、今年の新緑が盛りのころだった。30数年ぶりに見た恐山は観光化されて興ざめしたが、山並みに囲まれた遠野は、観光地といってもいかにも民話が生まれそうな風景の中にあった。
ここの伝承園にオシラ様を集めてあると聞いて足を運んだのだが、時代のあるものではないのでちょっと失望した。古い土蔵の中心に神木を据え、周囲の壁に緋色の段をしつらえて約500対のオシラ様が並ぶ。親指ほどの太さの桑の木に男女の顔を、目を窪めて鼻を表す程度に彫る。あるいは、枝を利用して男の方は馬の顔にする。色とりどりの布を次々に貫頭衣風に被せ、重ね着としてゆくのである。衣に願いを込めて書いた名前に北海道の女性も目立った。
オシラ様は女性が祭る家の守り神で、遠野の伝承でも養蚕と密に関係している。娘が飼い馬に恋したのを怒った父親が馬を殺す。嘆き悲しむ娘が馬の首にすがりつくとそのまま天に昇り、やがて白い蚕が地上に降るように贈られてくる。中国にも同様の神話があるとはいえ、人馬同居の曲がり家のふるさとにふさわしい哀話ではないか。
それにしても一千体という数は華麗というか、壮観というか。が、何か空しく寂しく見えたのはなぜだろうか。本来、家々の神棚の奥にひっそりとあるはずのオシラ様なのである。イタコが両手に持って祭文を唱えながら遊ばせている古い記録フィルムを見た記憶があるが、その時だけ遠慮深く微笑んでいるように見えたものだった。
オシラ様といい、座敷わらしといい、中世に南部氏一族が支配した青森、岩手にこうした伝承が集中しているのが不思議である。オシラ様のシンプルな顔立ちをどこかでも見たと首を傾げていたが、家に戻ってから気がついた。柳の木に簡単な削りかけをまとわせたウイルタ民族の守り神セワの彫りに似ているのだ。私の浅い知識など及ばない精神文化の広がりを教えられたような気がしたものである。