「おそあき」を辞書で引いてみましたら、載っていません。俳句の方で、晩秋に「おそあき」とふりがながついていました。
手許(てもと)に、変色した1枚の原稿用紙があります。「秋になると想い出す」という書き出しで始まる「秋」という題の小学生時代の綴り方です。朱で「甲」がついて、最後に先生の字で「よくかけました」と書いてあります。小学1年の時に生まれ故郷を離れたので、望郷の想いが秋の景色の中で湧いてきたもののようです。
今秋、40年前に同じ社宅で何年か過ごした仲間が、本州から2人、札幌から2人と、網走で合流して旧交をあたためました。私は札幌からで、車中の5時間も話が尽きず、合流してから、一人の方が熱望されていたさんご草の群落を、能取湖まで出かけ、そぼ降る雨の中で観てきました。お互いの足もとを気づかいながら。
夜はホテルでかに料理を満喫、入浴も連れ立って―。いちばん若くても72歳。最高は78歳。流しも風呂も共同で、もとは兵舎だったという古い社宅で、それぞれ子どもが産まれ、学校に通わせ、人生のいちばん忙しい時期を共有したお仲間です。
二泊目は阿寒で一泊。まだ語り足りずの思いで、翌日、釧路空港でお別れしました。
帰る途々(みちみち)、頭の中から「おそあき」という言葉が離れません。人生のおそ秋、それぞれの実りを持ちながら、これから冬に向かうのですね。
それにしても、私は何を実らせたのかと問いかけてみましたが、実りなるものが見えてきません。どれもこれも中途半端。まだまだ気が多くて、肉体とのギャップに戸惑うばかり…。加齢といわれれば多少の痛みはがまん、がまん。
昨年入れていただいたハーモニカアンサンブルのコンサートもあと少し。それが終わったら、白内障の手術が待っています。読めない間は聴くことを楽しんでと、私の「おそあき」はまだまだのようです。