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2001年01月号/第102号  [ずいそう]    

中国への技術協力
原 正市 (はら しょういち ・ 稲作専門家)

中国で技術協力をはじめた昭和57年(1982)ごろの黒竜江省の水稲作は、20万余ヘクタールで10アール当たり玄米収量で230キログラム程度であった。これに北海道で開発し寒冷地の稲作技術といわれる畑苗移植栽培(以下畑苗栽培という)を伝えたところ、当時、夢の収量であった「ム(→冠が亠[なべぶた]で脚が田[た]の漢字)当たり千斤(キン)」(約560キログラム)が現実のものとなった。その結果、水稲作が盛んになり、平成11年の米の総生産額は15.3倍の700万トン余となり、主食が小麦から米に移行した。

黒竜江省の成果から他の地域での要望により、次方に広く試作を行ったところ、いずれの土地でも増収となり、稲作技術の革命と称えられ、洋財神(ヤンサイシェン)(外国から来た福の神)の悼名をいただき、畑苗長江(揚子江)を渡るなどの言葉が生まれた。今年の畑苗栽培は全国水田の43%ほどに普及し、これによる米の増産は1,250万トンほどと試算される。

技術協力はボランティアであるが、中国に入国した以上は一技術者として恥じない活動をせねばと心がけた。海外の技術協力は体を張らねば成功しないともいわれるが、私もこれを実行した。64歳からはじめ、気候・生活習慣に馴れていないため、徹底的に下痢におかされ、赤痢にもかかり、これ以上は痩せないという状態で帰宅し、平常に戻るのに約1カ月かかるなどの苦労をした。

伝える技術は、まず実演して、その成果を見てもらうように努めた。また、稲作する北海道と黒竜江省の人とが、春耕作をはじめる前、日本海上に浮かぶ船上で協議し、分かれたかのように思えるほどよく似た行動をするのを教えられた。したがって常に人格を尊重し、一緒に研究しましょうの態度を守った。だが、このままでは損をすると思われるときは、遠慮なくこれを指摘し、改善を促してきた。

畑苗栽培は畑地に粗大有機物をすき込み、肥沃で透水性が良い軽菘(けいしょう)な土にして育苗することが大切である。試作する前の年には、その実施をお願いして歩いた。しかし翌春訪れてみると、行っていない例が多かった。中国の人は黙って聞いているときは不承知のことが多い。これを知らないため、たいへんな苦労をするときがあった。

多収になったとき、喜びに満ち溢れた笑顔で求められた握手の感覚は忘れられない。これと心温かい人情とが、晩年の私の足を中国に向かわせ、西蔵、青梅、台湾を除くほとんどの地域を訪れさせたといえる。

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