ウェブマガジン カムイミンタラ

2001年03月号/第103号  [ずいそう]    

北海道ならではの暮らし
野谷 悦子 (のたに えつこ ・ (株)コティ企画事業部部長・親と子が共に育つための元気情報紙「ABAN」編集長)

Uターン就職で北海道に帰ってきて、今年でちょうど10年になります。思いおこしてみれば、北海道に帰ってきたのは決して前向きな選択ではなく、正直、「両親のことも気になるし、仕方ないか」という思いでした。

東京の出版社に勤務していた20歳代のころは、周囲の人に干渉されず、物と情報にあふれた東京が好きでした。そこに転機が訪れたのは、スキューバダイビングと沖縄の海との出会いがきっかけでした。とくに西表の海に魅せられた私は、30歳で東海大学の研修生として西表島の同大学研究施設へ。そこでの1年半の暮らしについて、ここでくわしくは書きませんが、とにかく「目からウロコ」の毎日です。すっかり価値観も生活観も変わり、お金がつきたときには東京に帰るという選択はありませんでした。といっても一人っ子ゆえ、そのまま沖縄に住む勇気もなく、結果として前述したような結果になったのです。

どちらかと言えば沈みがちだった気持ちをかき立てるために、私は住む場所として海の見える銭函を選びました。これがまた運命の転機になるとは、その時は思いもせずに…。

住み始めて間もなく、近所の漁師さんと知り合いになり、彼らの番屋に出入りするようになりました。口はメチャクチャ悪いけれど(これにめげてちゃ、そこには出入りできない)、本音は優しい人ばかりで、私は多くの週末をここで過ごすようになりました。新鮮な魚介類を分けてもらったり、目の前の海に潜ったり、サケ漁の船に乗せてもらったり、番屋のバルコニーでチャンチャン焼きやバーベキューに舌鼓を打ったり…。それはそれは、ネーチャーで、アドベンチャーで、グルメな暮らしが始まったのです。

札幌という大都市でフリーペーパーの編集をするという都会ならではの仕事に携わりながら、こんな暮らしができるのは北海道だからこそではないでしょうか。さらに、裏表ないストレートであったかい人間関係も、これまた道産子ならでは。一度北海道を離れてみて、そのありがたさが身にしみて分かるようになりました。

この恩恵のもとに生まれた現在4歳の娘は、スーパーで買ってきた魚や肉より、もらった魚や鹿肉の方を好む味覚の持ち主に育っています(まったく子どもの舌は正直)。うれしいような、誇らしいような、と同時にちょっと末恐ろしい、複雑な親心です。

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