1枚の書がある。それには『遥かに手稲の残雪 眼下に植物園の新緑』と。
これは、道民活動センター「かでる2・7」9階の文化交流室からの眺めを写したもので、センターを退職の折に、知人の書家からいただいたもの。
眼下の植物園は、冬なら墨絵の世界であるが、やがて新緑から深緑、そして紅葉と、四季それぞれに装いを変える。
また、目を転ずると、無意根、空沼、恵庭の山々。いずれも仲間と汗を流した山が連なっている。
日本山岳会から発行された赤い表紙の『山日記』1961年版には、それらの山々のほか、斜里、羊蹄、芦別、さらに大雪連峰などの記録が、仲間の名前とともに記されている。その中に挟まれている駒草やリンドウは、すでに色と匂いを失ってはいるが、見ているうちにその頃のことが蘇る。
昭和31年7月の利尻岳なら、札幌から夜行列車。鬼脇から登り始めて途中でテントを張り、崖に肝を冷やしながら山頂へ。
鴛泊(おしどまり)小学校の校庭に泊まり、再び夜行で帰宅し、着替えてすぐ出勤。とある。
また、その山日記にはこんなことも。
登山靴は女のよう
あんまりご無沙汰をすると
堅くなってそっぽを向く
そんな登山靴も一時間たち
二時間はいていると
だんだん柔らかくなって
昔のように ぴったりと馴染んでくる
一日の山歩きが終わり
山小屋で靴を脱ぐと
靴と足との匂いが混じりあって
そこら一面に漂うのだ
こんな幼稚な文章を読むと、書いた動機はともかく、あの頃は!と、いささか照れくさい。また、山の唄を教えてくれたIや水筒の水を分け合ったKにI。今でもこの山日記の中では生きている。
私の一つの時代を刻むこの一冊は、本棚の中央に健在だが、錆びたピッケルと同様、登山靴には新緑の訪れがありそうもない。