札幌市の地下鉄東豊線・学園前駅。この駅は朝から晩まで若者たちの姿でにぎわいます。北海学園大学、北海高校、札幌商業高校の3校合わせて1万人もが学ぶ学校法人北海学園の豊平キャンパスと隣接し、大半の学生たちが利用しているからです。地下鉄駅からエスカレーターまたはエレベーターで上れば、そこがすでに大学の建物。駅前ならぬ駅上にこの学園群は位置しています。
深夜になっても学生の姿が絶えません。帰宅する学生をぬうように登校してくる人々がいます。大学二部の学生たちです。夕方5時50分から9時まで、普通の人なら夕食、いこいの時間、テレビならゴールデンタイムに、学生らは勉学にいそしみます。
昨年、北大から北海学園大学に転じた経済学部教授の古林(ふるばやし)英一さんが出身地の大阪弁を交えて話します。
「二部はおもしろいで。一部の学生とちがって二部は社会人が入っているやん。高校出てすぐの学生にしても昼はアルバイトをしていて、二部の学生は大なり小なり社会で生きている。一部の学生の前では『先生』を演じる必要があるわな。でも二部では社会人同士や。同じ給料をもらえるんなら、ぜったい二部の先生になるわな」
古林さんは京都大学大学院を経て、南九州大学、北大、そしてこの北海学園大学へと渡り歩いてきました。夜間の学生を教えるのは初めてですが、それがすこぶる楽しいといいます。
そこにいる人にとっては普通のことでも、ほかから来た人には新鮮で魅力的、ということがよくあります。北海学園大学二部がそうだったようです。
古林さんの最近のテーマは食料生産で生じる廃棄物の社会・経済的な研究です。
「清掃局に勤める学生もいるので、ヘタなこと言えへん。試験の答案用紙には必ず感想欄をつけているけど、二部の学生の方がたくさん書いてくる。自分はこういうことを教えて欲しかったとか。教員を芸人にたとえれば、客が芸人を育てるというのでしょうか…」
確かに夜のキャンパスではいかにも学生という若い人々も多いのですが、人生経験が豊富そうな人々も目立ちます。だれが教員でだれが生徒なのか、見分けがつかない状態です。
同じ経済学部教授で一昨年に北海道医療大学(当別町)から転じた伊藤淑子さんも、東京出身らしい歯切れのいいテンポで二部を語ります。
「昼間働いているひとはイヤイヤ来ているのではないんです。それと一部に入りたかったんだけれど、二部に入ってしまったという若い学生もだんだん影響を受けて大人になってくる。だから一部とは全然ちがう集団が形成されて、論議も活発だし、何といっても意欲がある。たぶん、例外なく教員は二部が好きですよ」
伊藤さん自身も大学院の修士、博士課程は東京都の職員として働きながら通いました。そのために二部の学生には親近感があるといいます。
このように転入した教員たちが高く評価する北海学園大学の二部。特に年齢の高い社会人たちの学ぶ姿勢が真剣で、それに若い学生たちも影響されているようです。
この現象を生み出しているのが社会人特別入学試験という制度です。広く社会人に門戸を開き、人生経験豊かな学生を集めようという制度で、経済学部二部が1989年に導入して以来、人文の一部二部、法の二部と相次いで導入されてきました。
背景には二部学生の変質があったといいます。社会人がいくら経験豊富といえども、試験の学力では現役の若者にかなわない。そのために本来一部に行くべき学生が二部を受験するようになって、その分社会人が入学しにくくなっていました。
経済学部教授で学部長の木村和範さんが説明します。
「二部の建学の目的、設置の趣旨はもともと働きながら学ぶということだったんですが、働きながら学ぶ人が少なくなっていました。そこで本来の姿に戻そうと、社会人特別入試が始まりました。当時の文部省の生涯学習、労働省の能力再開発にも重なるものがありました。入試のポイントは学ぶ意欲があるかどうかで、面接で確認しています。授業では社会人の学生が最前列に陣取りまして、後ろで私語なんかがうるさいと、注意してくれるということもあります。授業は進めやすいし、二部の目的にかなうものになりつつあります」
北海学園百年史によると北海学園大学は1885年(明治18)に創立された北海英語学校を起源としています。この学校が夜学でした。
北海道の高等教育は北大の前身の札幌農学校で始まります。ところが道内には小学校はあっても中学校がありません。そこで農学校に修業年限3年の予備科(後の予科=5年)が設けられ、小学校から予備科そして農学校へという道が開けました。でもそれは建前であって、中学校がない地元からの志願者が予備科の入学試験を突破するのはほとんど不可能だったといいます。
そうした教育事情を背景に修業年限4年の北海英語学校は創立されました。英語学校という名がついたのは英文のテキストで普通教科を教えたためで、単なる農学校予科の受験予備校という性格を超えるものでした。
その後北海中学など様々な形を経て戦後は1950年の北海短期大学創立、そして1952年の北海学園大学創立と続いていきます。短大にははじめから二部が開設され、大学でも創立の翌年には二部が開設されました。現在の二部、そして社会人入学特別入試という制度は、こうした伝統を引き継ぐものなのです。
人文学部二部4年生の吉沢由香子さんは厚別区のひばりが丘病院に勤める看護婦さんです。職業人と学生の二役をこなしますが、はたして卒業まで続けられるかどうか、自信をなくした時期があったといいます。
「最初の3カ月くらいで、もう無理かなと。早く仕事を片づけなければならないという気持ちがありますから、焦ってしまって。10時過ぎに大学から帰ってくると、疲れて何もする気になれずに、そのまま次の朝に仕事に行くというくり返しでした」
そんな彼女を救ってくれたのが、職場の同僚たちと学友たちでした。
「職場の人たちが協力してくれて、自分の仕事だけ終われば、ほかに何かあっても、帰っていいよと。大学にも同じような立場で通ってくる学生がたくさんいました。仕事がたいへんなときには休んで、その分のノートを取ってもらうとか、お互いに無理しないでがんばろうよ、と」
しかし学生を続ける上で切り捨てなければならないこともありました。
「大学に入ったころは主任になっていました。私の病院は職場内での学習会などに熱心なんですが、そんなときには大学に通えない。また大学が休めない日には学習会などに出られない。主任という責任ある立場なのに中途半端になってしまう。それでお願いして役職をおろしてもらいました」
大学を卒業したからといって、給料が上がったり職場での地位が上がったりするわけではないそうです。逆に主任を辞めてまで大学に通う。それほど大学は魅力的なのでしょうか。
「同じ仕事をしているとそれなりにベテランになりますよね。その仕事に関しては知識があったり経験があったりしますが、実際に接する患者さんはいろいろな立場のひとがいます。そして主任となれば後輩を指導する立場だったりで、いろいろ自分に足りない部分があるなという思いがずっとあったんです。そのまま仕事を続けていくと行き詰まるような、このままでは前に進めない壁にぶつかってしまった時期だったんです。精神的にすごく悩んでいて。何か気持ちを転換して、見方を変える必要がありました」
看護学校の同級生で北海学園大学の二部を卒業した人がかつて何人かいたそうです。けれども当時の二部は経済学部だけで吉沢さんはあまり興味を持てませんでした。人文学部ができたことを知り、もともと小さいころから文学好きだったために入学を決意しました。
大学院経済学研究科博士課程に在籍する大西節江さんも看護婦さんです。大学二部を卒業し、そのまま大学院の修士課程(2年)そして博士課程(3年)と進んできました。やはり学生生活を続けてこられたのは職場の理解と学友の存在だったといいます。
「大学に入ったときには教員免許を取ろうと思ったんです。でも看護婦をやりながら教職課程の単位をとるのは難しかった。夏休みに集中講義があるんです。私の場合は、ふだん大学に行かせてもらっている分を夏休みのときに働いて返していましたから」
それでも出席はたいへんでした。地下鉄が開通したのは大学2年のときで、それまでは南北線の中島公園駅から豊平川にかかる橋を渡って1キロ以上を歩いて通いました。遅刻に厳しい語学や体育などがあれば、当時勤めていた市立病院からタクシーを飛ばし、その料金は月に6万円にも上ったそうです。そんなにしてまで通った大学ですが、さらに大学院博士課程まで来てしまいました。
「楽しかったですね。つらいことを忘れたんじゃなくて、本当に楽しかったです。友だちはたくさんできたし、学割も効きます。勉強は出勤時の10分とか地下鉄の中でやることが多かった。試験の時には、そのときのシーンとともにスーッと記憶が浮かんでくるんです」
教員免許をあきらめた大西さんですが、現在はさらに大きな夢があるといいます。でも教えたくないそうです。
「人間、夢を追いかけているときが一番楽しいというか充実しているんじゃないでしょうか。私の場合は、大学を卒業したら、また新しい夢が出てきた。今一番感じているのは、これをしたいニ思い続ければ必ず道が開けるのかなということです。思い続ければ必ずかなえられる気がします」
社会人特別入試によって、二部本来の意義を取り戻し、雰囲気も向上している北海学園大学ですが、全国的には廃止・縮小傾向にあるといいます。北海学園大学でも二部の必要性ではほぼ一致していますが、学部によって、また教職員によって、その考え方はまちまちのようです。
なにしろ教員は一部と二部で同じ講義を2回しなければなりません。ゼミを担当すればやはり一部と二部があります。また大学院生の指導もあります。同じ人物が昼夜二交代制の工場で働いているようなものです。教員だけでなく事務職員も二部学生のために遅くまで窓口を開いていなければなりません。
同じ施設を2回使っており、その分経費がかからずに収入があるわけですが、授業料は一部学生の半額に設定されているために、経営に寄与はしているものの特に大きな金額というわけでもありません。
法学部長の小林資郎さんは、二部の意義を認め、これからも存続していくことを前提にしてはいますが、次のように指摘します。
「法学部は昭和39年(1964)に一部、二部ができて、私はその10年後くらいに赴任したのですが、当時は公務員、銀行員、市町村職員などがたくさん来ていて、3分の2ほどを占めていました。30代、40代が多くて、成績優秀な学生が多く、一部と遜色ない実力を付けて巣立って行きました。でも今は民間から来るのは難しく、公務員は大卒が大半で高卒の人が少なくなり、改めて大学に入るという層が非常に少なくなっています。他方で北海学園大学の一部が入りにくくなって、最初から二部に入ってくる高卒の学生が多くなった。定員の関係で新卒の受験者がほとんど合格するようになっています。現在法学部二部で4年間で卒業できるのは3分の1程度です。法学部を出たからには社会に出たときに最低限の法学的な受け答えができるような人間として送り出したいということがありますから。社会人特別入試で意欲を持った学生が入ってくるようになり、ほかの学生も引きずられて、受講態度が良くなったことは事実ですが…」
法学部では二部から一部に定員を少し回すのも今後の選択肢だと小林さんは考えています。
将来的には二部だけでなく一部でも社会人が勉強できる環境を整えるべきだと考えているのが経済学部教授の伊藤さんです。
「アメリカでは、ある期間仕事をして、そのあと銀行から借金をして大学なり大学院に入る。それで経営学なりを学んで、次に1ランク上の仕事を探します。イギリスでは自分に付加価値を付けるというより、自分をひと回り成長させるために大学に入る。仕事だけが人生ではないという考え方です。これまでの日本の終身雇用制では、途中でやめれば落ちこぼれですが、これからはそうした社会人のステップアップの場としての大学や大学院が考えられると思います」
現在の二部についても、一部の講義に出られるなど、一部と二部との境をあいまいにして単位をとりやすくする方法をとっている大学もあるといいます。
またアメリカにはパートタイムコースという履修制があって、たとえば2年間の大学院修士課程を3年やそれ以上かけて終えるコースがあるといいます。現在の制度なら通った年の分の授業料を納めなければなりませんが、パートタイムではそれも分割して払うことになります。
社会人の入学によって息を吹き返した北海学園大学二部。経済学部を経済と経営の二学部制にするなど、大学のさらなる発展計画もあるそうです。
そんな中で、今後二部、そして社会人の学び舎がどんな展開をたどるのか。いずれにしても働く者に門戸を開いてきた開学以来の精神は消えないはずです。
北海学園大学だけでなく他の大学でも大学院や公開講座など社会人を対象にした勉学の場を提供しています。特に私大では受講者の利便性を高めるため、札幌市中心部に教室を確保しての開講が目立ってきました。
北大では大学院の社会人特別選抜を大半の研究科で実施、大学院が夜間化してきました。また各学部別に公開講座も開かれています。
静修女子大学が前身の札幌国際大学では清田区にあるキャンパス以外に今年から札幌市中心部の道経済センター(北1西2)に「サテライトキャンパス」を設けました。週3回、夜6時15分から9時まで大学院地域社会研究科地域社会専攻(修士)の講義を行っています。毎回10数人が受講しており、ほとんどが社会人です。
江別市の札幌学院大学ではSTV北一条ビル(北1西8)に「アクティブセンター」を設け、心理、金融、国際、IT関連など幅広いテーマでの公開講座を開いています。
地下鉄駅に直結する北海学園大学でも一般市民向けの公開講座には力を入れており、社会人の勉学の場は広がりを見せています。
人文学部の社会人特別入試は一部と二部があり、選抜方法は面接で入学時に満23歳以上に達する者。
経済学部二部の特別入試も選抜方法が面接で満19歳以上に達し定職を有する者、又は満21歳以上に達する者。
法学部二部の特別入試は選抜方法が面接の場合は入学時に満19歳以上に達し定職を有する者、または満25歳以上に達する者。選抜方法が小論文の場合は入学時に満20歳以上に達する者。
入学金、授業料、教育充実費が二部は一部の半額に設定されています。
大学院でも夜間に全て履修できるカリキュラムや社会人特別入試窓が設けられており、入学金、授業料、教育充実費が一般の半額に設定されています。
1885年(明18) 北海英語学校(夜学)創立
1893年(明26) 商業夜学を開設
1905年(明38) 私立北海中学(5年制)を設立
1950年(明25) 北海短期大学創立(一部、二部を開設)
1952年(昭27) 北海学園大学創設(経済学部一部経済学科)
1953年(昭28) 経済学部二部経済学科を開設
1964年(昭39) 法学部一部法律学科、二部法律学科を開設
1966年(昭41) 経済学部一部経営学科、二部経営学科を開設
1970年(昭45) 大学院経済学研究科経済政策選考修士課程を開設
1986年(昭61) 大学院法学研究科法律学選考修士課程を開設
1989年(平元) 経済学部二部が社会人特別入試制度を導入
1992年(平 4) 大学院法学研究科法律学専攻博士課程を開設
1993年(平 5) 人文学部開設(日本文化学科、英米文化学科=両学科一部、二部)人文学一部で社会人特別入試導入
1994年(平 6) 地下鉄東豊線延長・学園前駅開設
1995年(平 7) 大学院経済学研究科経済政策専攻博士課程を開設 法学部二部で社会人特別入試を導入 人文学部二部で社会人特別入試を導入
1999年(平11) 法学部一部政治学科、二部政治学科を開設 大学院文学研究日本文化専攻修士課程を開設
2000年(平12) 大学院経営学研究科経営学専攻修士課程を開設
2001年(平13) 大学院文学研究科日本文化専攻博士課程を開設
宇山 照江さん 人文学部二部2年
美容室チェーン「(株)ウヤマ」社長の宇山さんは人文学部2年生。40年前に鏡2面、5坪の店からスタートし、現在はホテル札幌ガーデンパレスやシェラトンホテル札幌内の美容室など合わせて6店舗を経営、北海道神宮の指定美容室にもなっており、貸衣裳業も行っています。58歳で通信教育の北海道有朋高校に入学、4年で卒業し、64歳のとき大学生となりました。社長業に加え、道中小企業家同友会常任理事など公職多数。忙しい毎日ですが、午後4時以降は勉学の時間と決め、毎日大学に通っています。
大学に入ったきっかけは友だちのすすめもありましたが、いつまでも社会組織のトップにいたのでは、社内の人材が育たないので、仕事を若い人にゆずりたいという気持ちも大きかったそうです。
また生来が勉強好き。美容の学校を出なくても美容師になれる時代に、わざわざ札幌での仕事を辞めて東京の美容学校に入学したほどです。
朝7時半起床、会社や公職など様々な仕事をこなし、日曜日を除く毎日、午後4時には大学に行き、講義の時間まで予習、復習などをします。帰宅は9時40分ごろ。食事をとってから各店の報告のファクスに目を通し、電話連絡などをします。それが終わればまた勉強の時間。11時ころからその日の講義内容の清書などをします。
「あまり遅くまでやると体にこたえるので1時までにしているんですが、気がついて時計を見ると1時半くらいになってしまうことがよくあります。公職の会合は夜に開かれることが多かったので、大学に入ったら出席しなくてよくなると思ったら、私のために昼に開くようになったりして。美容室は火曜日が定休日なんですが、全体会議や研修会などがあってなかなかやすめません。まったく何もない日は3ヶ月に1日くらいです。
超多忙な日々を送っているが、それが楽しくて仕方がないといいます。
「大学に入る前から忙しい毎日でしたから、こういう生活ができるのだと思います。知らないことを知った時の喜びは大きいですよ。3時間の講義はあっという間に終わってしまいます。
小野寺 圭介さん 経済学部二部4年
小野寺さんは99年ゆうばり国際映画祭の第1回JCF学生映画祭で応募作品約400のうちから準グランプリ(2位)を受賞、2000年は敢闘賞、2001年は北海道・東北のシード監督になるなど、学生の監督として名の知れた存在です。
また2000年にはアクティブフィルムメーカーズというグループを立ち上げ、札幌市が設置したさまざまなクリエイター(創造者)のための仕事場「インタークロス・クリエイティブ・センター」に入居しました。この秋に放映された北海学園大学のテレビCMを作ったのも小野寺さんを代表とするこのOループです。
「浪人を2年やりまして、その2年目の時に映画をやりたくなりました。映画作りのために二部に入ったといえます。学生の間に実力をつけていこうと。将来的にはハリウッド映画のような質の高い映画をつくりたい」
最新作の「並木道」は10分程度の短編。今年6月に札幌で開かれた短編映画の催しでも上映作品に選ばれました。今後も短編をいくつか製作し、それをバネにして社会に切り込んでいくつもりだそうです。企業家の顔を持つ学生というのも二部ならではです。
サークル活動も活発
北海学園大学二部の学生は勉強だけをしているわけではありません。一部と同じように自治会がありサークル活動も行われています。体育系では卓球、バスケットボール、空手、テニスなど12部が、文科系では社会化学、美術イラストレーション、法学など11部が登録されています。
大学祭の「10月際」にも参加、スポーツでは東北学院大学(宮城県)の夜間主コース(従来の二部)との定期船が毎年行われています。
サークルには属していませんが、コンサドーレの山瀬弘治選手も二部学生です。