去る11月10日~11日、「北海道文化ゼミナール2001」が開かれた。木津川 計氏(立命館大学教授・『上方芸能』編集長)をメインゲストに迎え、「風土と文化」をテーマにしたパネルディスカッション、記念講演などがおこなわれた。パネラーには北海道ウタリ協会札幌支部の小川早苗氏も参加、筆者もまじえて北の人と風土に根ざした文化の在り様が熱っぽく語られた。
『広辞苑』によると「言語道断」には「とんでもないこと。もってのほかのこと」の意味があるが、木津川氏はアイヌにとってそれは「言葉の道を絶つこと」だ、という。明治政府が「北海道旧土人保護法」にもとづいて新設したアイヌ小学校は、アイヌ語やアイヌ風俗を禁止し「忠君愛国」「臣民」化教育をおしすすめた。言葉を奪われたアイヌにとって、それはまさに言語道断の振舞いに等しい。
1920年代から30年代にかけて若きアイヌの文学者たちは、民族の誇りを胸に、向かい風に昂然と立ち向かっていった。カムイユーカラの一節を、「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という美しい日本語に移し換えた知里幸恵は、『アイヌ神謡集』1冊を残して19歳で病死した。彼女は日記に、「私はアイヌだ。何処までもアイヌだ」、「私は書かねばならぬ。知れる限りを、生の限りを、書かねばならぬ」と記した。
29歳で病死した違星北斗は遺歌文集『コタン』で、「アイヌとして/使命のまゝに立つ事を/胸に描いて/病気忘れる」と詠んだ。
バチェラー八重子の『若きウタリに』には、「石を割る/木さえある世ぞ/ウタリの子等/割りて進まむ/此の憂世をば」と悲痛な想いが叫ばれている。
「保護法」は制定からほぼ一世紀を経て廃止され、いわゆる「アイヌ新法」が成立した。若きアイヌの文学者たちの魂からの叫びを受容し、真の共生をめざすためにぼくらは今、何をなすべきなのか。