稚内からわずか43キロ。札幌駅と新千歳空港ほどの距離にロシアのサハリン州はあります。こんなにも近い隣国なのに具体的なイメージを描けない人が多いのではないでしょうか。広々とした北大キャンパスにあるスラブ研究センターで、まず、センター長の村上隆さんが話してくれたのはスラブ研究センターの特徴から。「ここは日本でただ1つ、旧ソ連・東欧地域を中心にしたスラブ地域を総合的に研究する人文社会科学系の組織です。その歴史はおよそ半世紀前にさかのぼり、特定の地域を研究する施設という点でも、草分け的存在といえるでしょう。現在、専任研究員11名、外国人研究員3名、情報資料部3名という構成です。われわれでは足りない分野は、外国人研究員の方々に公募で来ていただいて研究の幅を広げています」。
研究というと“専門的”という言葉が浮かびますが、“総合的”に研究するとはどういうことでしょう。村上さんはこういいます。「たとえば経済の研究に政治や歴史も関わって、いろんな側面から研究分野の垣根を超えて分析していくことです。それによって問題が明らかになり、解決法が示されます。従来のように研究者が自分の好きなテーマだけをこつこつと研究するだけではダメなのです。地域研究は、政治、経済、歴史、思想、文学という学問分野をしっかり押さえていなければ成り立たない学問ともいえるのです」。よく「学際的研究」という言葉が使われますが、「学際」とは、いくつかの学問にまたがる間の関係のこと。「学際的研究」というと1つの主題をめぐって専門の学者がそれぞれの立場から参加して行う研究を指します。
このように地域研究は、分野別の学問領域にしばられず、地域を総合的にとらえようとする問題解決型の研究方法であり、その重要性はますます増すだろうと村上さんはいいます。
今年4月からは、地域をさらに総合的に見るために、センターの部門編成も変わるそうです(「スラブ研究センターの研究対象地域」参照)。
[スラブ研究センターの研究対象地域]
従来は社会主義国という共通項を持っていた旧ソ連・東欧地域は、東欧革命、ソ連崩壊によって市場経済への道を歩み始め、個々の国や地域の差がはっきりと見られるようになりました。その結果、これらの違いを研究することがますます重要になってきました。そこで地域研究の特徴を全面的に打ち出すため、今年4月から部門改編が行われます。新しい編成は、ロシア部門(ウラル山脈以西およびロシア全般)、シベリア・極東部門(ウラル山脈以東)、中央ユーラシア部門(中央アジアとカスピ海周辺、ロシア内のイスラム文化圏)、東欧部門(ベラルーシ、ウクライナ、バルト3国を含む東欧地域)というもの。研究対象は27カ国に及びます。
原暉之さんも「地域研究の意義は従来以上に高まっている」と断言します。「そもそも明治以来、日本の学問の目的はヨーロッパから知識を吸収することでしたが、相手の国を総合的に研究しようという場合にはジャンルを取り払う必要があります。4月から部門編成が変わることで、対象地域をより特定し総合的な研究ができるようになるでしょう」。原さんの多くの著作のうち、極東を扱った3冊をもとに歴史のとらえ方を聞いてみました。
まず、『インディギルカ号の悲劇―1930年代のロシア極東』は、道北の猿払村沖で起きた海難事故を取り上げたものです。「この本では、遭難を切り口にしてスターリン時代そのものをあぶり出したかったのです。ソ連崩壊後、歴史の見直しが進む中で、インディギルカ号は、宗谷海峡を通って極寒の地の金鉱へ囚人を運ぶ船だったことが明らかになりました。私はその事実に大きな衝撃を受けました」。遭難だけでなく、船内で看守の発砲を受けて死んでいった多くの人々。北海道の目の前で悲劇が繰り広げられていたのです。
そこから少し時代を遡ると、日露史上の大事件、シベリア出兵があ閧ワす。原さんが『シベリア出兵 革命と干渉(1917―1922)』を書いた89年(平成元)当時は、このテーマでソ連側の文書館資料を使うことは困難だったとか。その後、開かれたロシア側の資料で新しいものを書かなければといいます。信頼できる資料を探し、両面から検証しようとする妥協のない厳しい姿勢。歴史を叙述することは大きな責任を負うことなのだと感じさせられました。
さらに遡って『ウラジオストク物語―ロシアとアジアが交わる街』は、ロシア革命にいたる帝政期のロシア極東を描いたものです。「中央から遠くアジア諸国に近いウラジオストクは、活気ある国際都市でした。そんな街に焦点を当ててロシアという大きなものを見通せたらと思ったのです」。
本を通して3つの時代像を見せてくれた原さんですが、「実は日本では極東やサハリン、千島列島の通史が書かれていません。歴史家として大きな課題です」と表情を引き締めます。18世紀末ラクスマンの使節団が上陸したのも、19世紀宣教師ニコライが布教を始めたのも北海道でした。南樺太が日本領だった時代には一体化された経済圏を成していました。歴史家によって示されるトータルな歴史像は、隣人である北海道にとってこそ、必要なものに違いありません。
「小さな国を主人公にして歴史を書くと、それは今まで書かれた歴史とは違うものになるのではないか」というおもしろい視点で、チェコスロバキア(現チェコとスロバキア)を中心に東欧の国際関係を研究しているのが、林忠行さんです。林さんは、次のような理由からチェコスロバキアが世界史の中で重要な位置を占めているといいます。第一次世界大戦でチェコスロバキアが独立したことでハプスブルグ帝国が崩壊しヨーロッパが大きく変わった、ナチスドイツによるチェコスロバキア解体が第二次世界大戦の序曲となった、さらに1968年(昭和43)の「プラハの春」など。なるほど、小さな国が扇の要のようにヨーロッパ国際政治を左右していることがわかります。
そんな林さんにとって、今年は東欧への視線がいっそう熱くなる年です。「いくつかの国々がEUに加盟できるかできないか交渉の山場を迎え、ヨーロッパ全体にとっても大きな問題となります。また、日本企業がヨーロッパに投資をする場合の拠点として、安くて質のいい労働力のある東欧はますます重要になるでしょう」。現にパナソニックやトヨタの工場が進出しているそうです。
さて、林さんは学際的な地域研究の手法が実践されている場として、センター独特の「専任研究員セミナー」を挙げてくれました。「ふつうは同僚が何を研究しているかあまり知らないものですが、ここでは年に1回、自分の研究内容を発表することが義務づけられています。聞く側は、専門外でも討論に参加しなければなりません。ノーコメントは許されないのです。自分の報告をまとめるよりも人の研究発表に意見を述べる方がたいへんなくらい(笑)。でもそれによって同僚の研究をよく知ることができます。そこから、こんなプロジェクトをやってみようという新しいアイデアも生まれるのです」。各研究者が専門領域を生かしつつ、学際的な研究プロジェクトを続々と立ち上げていることを聞くと、セミナーは地域研究という卵を温めるふらん器のようにも思えます。
林さんの話題にも登場した、チェコを中心とした中東欧の自動車産業に着目し、その再編過程をテーマに取り組んでいる研究者が、チェコ出身でネブラスカ大学(アメリカ)の地理・地質学部助教授であるぺトル・パヴリネクさんです。2001年度の外国人研究員として招かれ、10カ月間の予定で札幌に滞在し、研究を続けています。
1989年以降、著しい変容を続ける中東欧諸国。中でも自動車産業の変化と再編の過程を読み解くことは、地域経済発展の動きを知る上でとても重要だと、パヴリネクさんは語ります。その変化の有り様が中東欧でも地域ごとに異なる点、また外国資本が直接的に影響を及ぼしている点で、特に乗用車産業の構造変化は興味深いと。「私の場合は、国としての大局的な見地から眺めるだけではなく、組み立てメーカーから部品製造会社にいたるまで、乗用車関連の企業において実際にどのような変化が起こっているのかという個別の観点からも研究しています。特に、民営化が進むチェコに焦点をあて、各企業の民営化への取り組みや経営形態の違いなどに注目しています」。
経済政策を地域的、空間的広がりの問題ととらえる、地理学者としての見方は独特であり、その姿勢は同時に、スラブ研究センターの学際性・多様性の一端を映し出しているともいえるでしょう。実際、パヴリネクさん自身、同センターの大きな特色として、まさにその多様性を挙げます。「ここには、中東欧やロシアなどの国ごとにそれぞれ深い人脈を持つ人たちが集まっています。全く異なる、多様なバックグラウンドを持つ人々の共同研究グループという意味でおもしろいし、個人の研究にとっても非常に有効です。例えば私の論文に関しても、ロシアへ毎年足を運んでいる田畑伸一郎教授のおかげで、これまで自分自身では入手が難しかったロシアの最新データを得ることができました。今後、ここでの研究をもとにいくつかの論文を発表する予定でいますし、シンポジウムの際にはまた来札したいと思っています」。
さて、11人の専任研究員の中で最も若手の宇山智彦さんは、旧ソ連の中央アジア5カ国―カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、クルグズスタン(キルギスタン)―の近現代史、政治、国際関係を研究しています。
「ソ連崩壊で別々の国になり、それぞれの事情を研究する必要性が高まっていることはもちろんですが、イスラーム教徒が中心の地域なのでイスラーム研究の面からも考えなければならないのが中央アジアの特徴です」と宇山さんはいいます。5カ国のうち、宇山さんが歴史、文化、社会の側面から多角的にアプローチしている国がカザフスタンです。「彼等が自身を評して言うのは『怠け者だけどあけっぴろげで客もてなしが好き』。いいかげんなところもありますが、親切に仕事を手伝ってくれるし、田舎では心をこめて歓待してくれます」。その歓待の流儀とは、羊1頭をつぶして食べきれないほどの料理を用意し、歌などの余興をやりながらウオッカをどんどん薦めるというもの。宇山さんはカザフ在住の2年間を「たくさん飲みました(笑)」と振り返ります。「イスラーム教は禁酒では?とお思いでしょうが、遊牧を営んできたカザフ人やクルグズ人にはイスラームの戒律がなかなか浸透しませんでしたし、ロシア人の影響で酒を飲む人はどの民族にも多いです。イスラーム教徒の生活の仕方は実に多様なのです。最近話題のイスラーム過激派を中心とするさまざまなイスラーム運動も、中東と中央アジアでは政治的位置づけが全く違います」。断片的な情報だけで思い込むのは危険なようです。中央アジアは危険だという思い込みも事実と異なるそうで、「秋野豊さんの不幸な事件と日本人技師の誘拐は、本当に限られた事件です。ここ数年はゲリラが年に1回、山奥に出たくらいで、去年はそれもありませんでした。安心して旅行に行ってください」と宇山さん。
カスピ海の石油に注目が集まり、アメリカやロシアの関心に沿った構図で語られがちなことにも宇山さんは警鐘を鳴らします。「中央アジアにはいろんな側面があります。ソ連崩壊という予期しない事態を受けて、国家の体制が弱い状態で独立した国が今日まで比較的安定した国づくりを進めてきた努力には敬意を払わなければいけないでしょう。一方、政権の強化を図るために反対派を弾圧する問題も起きています。各国それぞれの政治情勢と豊かな個性にも注目してみて下さい」と語ってくれました。
ユーラシア大陸の北半分という広大な地域の諸民族の文化、歴史を研究しているのが、文化人類学者の井上紘一さんです。「シベリア全体がロシアの統治下に入ったのは、つい百年前。ということは、ごく最近まで先住民が自分たちで自然を開発して環境適応してきた伝統的な生活文化が残っていたということです」。研究者にとって宝の山と言えそうですが、外国人には閉ざされた時代が続きました。
1988年(昭和63)頃にようやく開かれて以来、井上さんが精力的に取り組んでいるのは、トナカイ飼育を生業にしている人の現在と将来を考えるテーマ。トナカイを飼える自然が損なわれているうえに、ソ連崩壊後、国家の支援が打ち切られ苦境に陥っているそうです。井上さんは「その民族を支えていた特定の生業がなくなることは、民族そのものがなくなることです」と危惧します。
そんななか、井上さんの心を揺さぶるのは、サハリンの先住民・ウイルタの長老の存在。若者たちとともにトナカイ飼育を再生させようとしているのだそうです。「彼はこう言います。『20年待てば必ず自然は戻る。それをめざして自分が踏みとどまらなければ、トナカイ飼育を次の世代に伝えていくことはできない』と。70歳をゆうに越えている彼が20年と言っても夢物語にしか聞こえないかもしれません。でも彼はそのプロセスを淡々と進めながら、厳しい日常生活を過ごしておられる。かつては僕らの先祖もそんなふうに生きてきたのだろうなとも思うのです」。そして井上さんは静かに続けます。「こんな人に話を聞いていると、なんとなく悠久の時間を過ごした気になります。こういう出会いは非常に役得というか、生きててよかったと思うのです」。
スラブ研究センターに文化人類学のポストが新設され、井上さんが加わって8年。地域研究への関与のしかたについて「文化人類学では、顕微鏡で見るような世界にこだわりながら宇宙から見る視点も必要です。その両方があれば、一個人に話を聞く顕微鏡的な世界からも普遍性を_間みることがあるのです」といいます。たしかにウイルタの長老の話は、自己の存在を深く追求する哲学の命題にも通じるでしょう。そして、こうして浮かび上がってくる地域の姿は、いかに世界が多様で、人間は尊厳に満ちたものであるかを突きつけます。
アフガニスタン問題がクローズアップされ、その悲惨な状況に対してこれまで無関心だった世界の認識が問われていますが、自ら目を向けなければ、隣人の姿さえ知ることはできません。長く鉄のカーテンに閉ざされた時代があったとはいえ、隣人は鎖国の扉をたたいた人であり、もっとさかのぼれば北方から氷の橋を越えてきた古代の人々にもつながります。
マスコミが大々的に取り上げ、口当たりよく導いてくれれば、私たちの意識はたやすくその対象に向かいます。けれども、この地球に生きる1人の人間としてそれでいいのだろうかと、スラブ研究センターは問いかけているようです。壮大な世界への入り口は、すぐそこにあります。
村上さんはセンターの役割についてこういいます。「地域研究は、時代の動きに流されることなく本質的な問題を研究し続けなければなりません。アフガニスタンにしても、いつかマスコミが扱わなくなれば、問題があるにもかかわらず人々の関心は失われていくでしょう。それでは困るのです。冷戦時代が終わってスラブ地域への関心が薄れても、研究と教育はきちんと維持されなければ。北海道の場所は時代の動きに流されるものではないのですから」。
[[ スラブ研究センターの歩み ]]
1953年(昭28)ロシア文学の木村彰一教授(当時)を中心に、ソ連・東欧圏に関する研究施設の必要性が訴えられ、北大内外の研究者有志によるスラブ研究室が発足する。
1955年(昭30)北大法学部附属スラブ研究所として官制化される。
1978年(昭53)北大学内共同教育研究施設に改組され、スラブ研究センターと改称する。
1990年(平 2)広く国内外の研究者を結集する全国共同利用施設に拡充される。
1995年(平 7)文部省から「卓越した研究拠点」(COE)の指定を受ける。
北海道大学スラブ研究センター
札幌市北区北9条西7丁目 TEL(011)716-2111(代表)
URL http://src-h.slav.hokudai.ac.jp
スラブ研究センターの図書室には、約15万点の図書や定期刊行物、資料が整理・保存されています。これは旧ソ連・東欧研究の分野で、質量ともに日本一。資料を閲覧するため、道外から頻繁に来訪者があることからもその充実振りがうかがえます。これに加え、北大付属図書館には日露・日ソ関係史、思想史、文学史の膨大なコレクションがあり、北方資料室にはロシア極東の資料や古文書、古地図も。北大には、選任研究員が「国内屈指のすばらしさ」と口をそろえる研究環境が整っているようです。
図書室では、必要な図書や資料を書店へ発注したり資料を系統的に整理するのはもちろん、海外の図書館と蔵書のリストを交換し、だぶっているものを融通し合うことで、貴重な資料を有効利用しています。
また、地図閲覧室には約4,500枚もの旧ソ連の地図があり、自然科学系の人が現地調査の基礎資料にしたり、ビジネスの分野でも閲覧希望が多いそうです。
情報資料部の兎内勇津流さんは、図書館学の立場から研究者をバックアップしています。「本を探すにあたっては、皆さんそれぞれ自分のやり方をもっておられますが、図書館学からみると、こういう場合はこの目録が使えるとか標準的な探し方がわかります。ですから違った観点から追跡できることもあるのです」と話してくれました。
スラブ研究センターでは、2000年(平成12)から文学研究科歴史地域文化専攻の協力講座として大学院教育が始められ、意欲ある社会人にも門戸を開いています。函館市役所に勤務しながら博士課程に在籍している倉田有佳さん(静岡出身)は、在ウラジオストク日本総領事館で経済専門調査員をしたこともあるスペシャリスト。スラブ研究センターでさらに学ぼうと思った理由を「スタッフが充実し研究体制が整っていますし、歴史はじめ経済や文化人類学など多角的な側面から視野を広めてもらえます」といい、学際的な研究環境に魅力を感じているようです。
スラブ社会との出会いについて「高校時代、尊敬する世界史の先生に薦められてオストロフスキーの自伝的小説『鋼鉄はいかに鍛えられたか』を読みました。その本には新生ソビエト建設当時の若者の熱気が生き生きと描かれていたため、非常に驚き感動しました。当時、ソ連のイメージといえば暗く不透明でしたから、なぜそんなギャップが生まれたのだろうと疑問に感じると同時に、その後のソ連社会にマイナスの影響を与えたであろうスターリン時代についてぜひとも知りたいと思ったのです」と話してくれました。
そんな倉田さんにとって函館は意中の街。「姉妹都市のウラジオストク、ユジノサハリンスクとの交流が盛んですし、ロシア極東国立総合大学函館日ロ交流史研究会があるなど研究活動を行う基盤が整っています。また白系ロシア人が多く住んでいた街でもありますから彼らと地元の人とのつながりや思い出を調べて行くことができれば」と夢を膨らませています。
村上隆センター長を中心に、北大の自然科学系の研究者が一緒に取り組んでいる問題に「オホーツク海の流出油防除対策の総合的研究」があります。これはサハリン北東の大陸棚で行われている石油開発が環境面でどういう影響があるのかを学際的に分析しようというもの。万一、原油が流出した場合の問題について市民とともに考えようと、稚内市と紋別市で毎年1回、シンポジウムも開いています。「もし宗谷海峡でタンカーから原油が流出したら1日か2日で稚内に流れ着きます。漁師さんはじめ地元の危機感は高いですよ。住民自らがボランティア主体の防災組織を立ち上げることが急務です。そのためにわれわれの知識を提供したいのです」と村上さん。目と鼻の先にある巨大な資源は、北海道にとって経済、エネルギー、環境のすべての面で大きな影響力を持っています。その巨大プロジェクトに対して北海道はどう向き合えばいいのか、学際的な地域研究の成果を今後もビビッドに発信してほしいと思います。
市民を対象にした公開講座も1986年(昭和61年)から毎年開かれ、私たちに斬新な視点を提供してくれています。これまでのテーマを見ると「岐路に立つペレストロイカ」(89年)、「燃える東欧:変革の奇跡とその将来」(90年)、「中央アジアの世界―シルクロードから現代へ―」(96年)など、センターならではの興味深いものばかり。世界屈指の研究組織がある地の利を札幌地域の市民はもっともっと活かしたいものです。今年のテーマは「米国同時多発テロ後のユーラシア:国際関係とイスラーム」で、5月13日(月)から7回にわたって同センターで行われます。
申込場所/スラブ研究センター事務掛
札幌市北区北9条西7丁目 TEL(011)706-2388 FAX(011)706-4952
(受講申込書に必要事項を記入のうえ、上記まで持参もしくは郵送またはFAXで送付)
受講料/6,800円(予定)