初夏の陽光を受けてひすい色に輝く日本海。その海を見下ろす北檜山町太櫓(ふとろ)地区の高台に、六角形の枠が蜂の巣のように集まった不思議な構造物が建っています。これが小型集合風車「風水仙」。北檜山町のシンボルフラワーが水仙であることからこう名づけられた風力発電の実験機です。
昨今、北海道では風力発電の風車の建設が盛んで、北海道経済産業局によると2001年度(平成13)の風力発電導入量は15万キロワットに及びます。とりわけ日本海沿岸は、北から稚内、幌延、天塩、遠別、羽幌、苫前、小平、留萌……と海岸線に沿って、ヨーロッパ製の白い巨大な風車が軒を並べるように建てられています。200キロワット以上の風車を数えただけでも日本海側で150基近い数に上ります。ビュンビュンと風を切って回転するそれらの巨大な風車に対して、ぽつんと丘に建つ風水仙は愛らしくさえ見えます。巨大風車の制御部分はブラックボックスで、複雑なメンテナンスとなると海外から技術者を呼ばなければならないようですが、こちらは発電機、羽根、支柱、配線などすべて道産製。この一風変わった風車に託された夢とは? 建設に向けてまとめ役となったのが、(株)北海道自然エネルギー研究センター代表取締役の大友(おおとも)詔雄(のりお)さんでした。
札幌市中央区にある同センターで迎えてくれた大友さんから差し出された名刺には、北大工学部の住所電話番号が併記されています。実は大友さんは、北大大学院工学研究科に所属する教官でもあるそうで、「国家公務員ですから、文部科学省と人事院の承諾を得て兼業という形で役員を務めています。本来は株式会社ではなくNPOとして発足したかったのですが、設立した1999年(平成11)当時はまだNPOが一般的ではなく、手続きなどの時間がかかりそうだったので、早く立ち上げられる株式会社を選んだのです」といいます。((株)北海道自然エネルギー研究センター代表取締役の大友詔雄さんは、1945年江別市生まれ。時系列解析研究会代表、NPO北海道新エネルギー普及促進協会理事長、クリーンエネルギーフォーラム北海道支部事務局長も務めています。北海道大学工学部電子工学科卒業後、同大学院を経て、現在、同大学工学部助手。工学博士。『原子力技術論』『生体時系列データ解析の新展開』などの著書があります。)
それほど急いで作りたかった会社にはどんな思いが込められているのでしょう。それを表わすのが、名称そのものである「北海道」「自然」「エネルギー」「研究」「センター」の5つの言葉。豊かで安全な一次産業を育む「北海道」で、地域固有の財産である「自然」をもとに、有害物質や放射能を出さない「エネルギー」を、環境保全と地域再構築の観点から「研究」する「センター」でありたい。最後の「センター」は、道内・国内はもとより国際的にも協力・共同する「センター」的存在を意味しているそうです。
「私たちの生命を支える食料について考えてみてください。これは田園や前浜から取れる生き物ですよね。ところが田園や前浜は生き物が生きていけない環境になってきています」と大友さん。その原因は日本経済の仕組みにあるといい、「資源がないため外国から毎年7.5億トンというすさまじい量の資源を輸入して、加工しては1億トンを輸出しています。貿易差額としては黒字になりますが、差引6.5億トン、水を含んで8.7億トンにもなったものが、3年後には廃棄物になります。1億トンとは高さ1メートルで山の手線の内側を埋め尽くす量です。その8倍以上の廃棄物が毎年、日本の国土に蓄積されているのです」。大友さんによると廃棄物の大部分はエネルギーと食料に関わるものだそうで、安全で環境に負荷を与えない食料生産とそれに調和するエネルギー生産のあり方を追究し続けて行き着いたのが、自然エネルギーだったそうです。
そもそも大友さんは、原子核工学が専門。若くして日本原子力研究所の原子炉物理研究専門委員も務めた研究者であり、原子力利用の中枢にいた人です。ところが原発の安全性に疑問を持ち始め、悩んだ末に、8カ月で委員をきっぱりと辞職してしまいました。その後、原子力や石油に替わるエネルギーを模索し、自然エネルギーの開発・普及にすべてをかける人生を選択したのだといいます。
大友さんが一般向けに書いた『核 その事実と論理』には、原発が地下核実験やかつてのSDI(戦略防衛構想)と決して切り離しては考えられないことが論じられています。「エネルギーの発生メカニズムから見れば化石燃料は有害物質を出さざるをえません。原子力はさらに危険です。唯一、自然エネルギーだけが有害物質を何も作らず、しかも量的にも圧倒的に多く、使ってもなくならないのです」。
とはいえ、株式会社であるからには利潤が出なければなりません。ビジネスとしてはどう成立しているのでしょうか。「風車を売りつけて歩いているのではありませんよ。食料や自然エネルギーを自給できるのは地方ですから、日本の将来のためには地方が力を持たなければなりません。そこで、地域を元気にするためのコンセプト、政策、ビジョンを自治体へ働きかけ、国や道から必要な資金を確保し、その資金で地域の人材育成を行いながら地域再構築のコンサルタントを行うことで収入を得ています。地域は厳しい経済状況ですから、国や道からのさまざまな支援を地域が受けられるような助言も行っています」。
事業内容は多岐に及び、自然エネルギー導入のコンサルティングはもちろん、町づくり総合計画・新エネルギービジョンの策定や地域環境保全計画策定といった地方自治体の政策に関わる部分から、エコ住宅の設計・保守まで。「大切なのは、地域にふさわしいソフトを提案することです。風の強いところ、雪の多いところ、ひとつとして同じ地域はありません。自然が異なればそこに存在するエネルギーも違います。ですから大量生産であってはならないのです。なおかつ自然エネルギーは地域の皆のもので、誰か資本のある人が一人占めできるものではありません。今ある大型風車は大手商社が外国から輸入したものがほとんどで、売電収入は年1千万円以上もなりますが地元には雇用創出もなく約80万円の固定資産税が入るだけ。これはおかしいでしょう」。
では、こうした思想は風水仙にどのように反映されているのでしょうか。
風水仙が完成したのは1999年3月。大友さんに賛同して土地と資金を提供した三洋技研工業株式会社(本社・札幌)の所有地に、北海道の力を結集して建てられました。まず風車のアイデアは名寄市出身で日本の風力発電機製作のパイオニア、山田基博さんのもの。“山田風車”は昭和30年代には道内だけで数千基も普及した伝説の風車です。支柱などの構造体部分は苫小牧のトーゴ北日本と加藤鉄工所が製作し、北檜山の内田建設が基礎工事を行いました。風車の羽根は旭川乾燥材加工協同組合による道産の集成材です。電気系統は北檜山の宮本電気が、計測は北大工学部と北檜山の新保(しんぽ)工作所が担当しました。風水仙は、まさに道産技術の結晶なのです。
風車の総出力は11.5キロワット。決して大きくはありませんが、大型風車にはない性能が数々あります。まず最小単位が小型風車1基なので、ユーザーの要望に合わせ2基3基と容易に増やしていけます。また空間をすき間なく有効に利用し風を効率的につかまえることができます。小型風車なので微風でも発電が可能で、量産によって建設コストが下げられます。保守管理は大企業に頼らず、自分たちで行なうことができます。
風水仙の存在は、平成10年に地元で研究会ができる原動力にもなりました。北桧山クリーンエネルギー研究会会長の新保(しんぽ)金次郎さん(前出の新保工作所代表取締役)は「さまざまな職種の人々が集まり35人ほどで研究会を立ち上げました。会員や高校生が中心になって自分たちで地域を回り、風況調査を行なった結果を『風の地図』にまとめるなど、自分のできることを続けてきた結果、風に関するネットワークが全道全国にできました」といいます。
風水仙完成後、北檜山町内では続々と自然エネルギーの実験機が誕生しました。
町役場に隣接した農村漁家高齢者センター「グリーンパレス」前にある小型風車は、基礎、支柱、配線、維持管理のすべてが地元でできるように設計され、街路灯の電源として使われています。それをさらに改良し、コンピュータ制御なしで風車自体が風を感知して動くタイプの風車は、パークゴルフ場に設置されミニコースを照らしています。照明のライトも省電力で明るいものを道内のメーカーと共同で開発しました。
前出の新保さんが経営する鉄工所も製作を担っています。鉄工所は人が手作業で行なう溶接の火花がすぐそばで見える、ふつうの町工場。風力発電といえば白亜の巨大な羽根をイメージしがちですが、そんな思いこみが改めてくつがえされる手作り風車の現場が、北檜山にはあります。
研究会のメンバーであり、役場の担当者として小型風力発電機の実現に尽力してきたのが山田卓哉さんです。山田さんは、風力発電など自然エネルギーの構想が持ち上がった当時、企画課でパラグライダーのゲレンデ造りに取り組んでいたこともあって「風」の言葉に敏感に反応しました。さらに大友さんから、デンマークでは自然エネルギーが町おこしの原動力になっていることを聞き、わが町に吹く風という資源をなんとかしたいと胸が高鳴ったといいます。山田さんはこういいます。「風水仙を通して、地元でできることは地元で、できないことは札幌など道内でというように広く深いネットワークができたのは大きな財産でした。自然エネルギーの研究会も帯広、旭川、苫小牧、清水など全道8カ所にできました。今年は共同で中、高校生の参考書になる『自然エネルギー読本』を作ろうと張り切っています」。
風資源に恵まれた北檜山町は大型風車の立地にも抜群の場所。実は東京の業者からの引き合いも少なくありませんでした。ところが、1999年に北海道電力が買い取り枠の上限を設定し、2千キロワット以上の大規模案件については入札制にしたことで、コストのかかる大型風車を建設しても思惑通りの売電収入は見込めない状況が生まれています。
新保さんは「町は大きなものを建てるのはやぶさかではないのでしょうが、地元のかけがえのないエネルギーなのだから、いかに地元が潤うかが鍵ではないでしょうか。風力発電もバイオガスも、住民の力で建てられたら最高ですね」といいます。
話は再び大友さんに戻ります。大友さんは自然エネルギーの可能性を説いた後、「だからといって、どんどん自然エネルギーを普及させようというのは考え方が逆なんです」と意外な言葉を口にしました。その理由を大友さんいわく、「化石燃料や原子力を使ったからこういう社会になったのではなく、今の社会が効率と利潤さえよければ危険なものであっても使う社会であるから、有害で危険なエネルギーを選択しているのです。この社会を改めない限り、本当に自然エネルギーを使うことにはならないでしょう。まずは自分たちの社会がどんなひずみをもっているのか、徹底的に考えること。それから到達すべき点をイメージしながら進んでいかなければなりません。たとえ長い時間がかかっても、新しい価値観の醸成が必要なのです」。
風水仙は、愛敬のある風貌とは裏腹に、現代社会とこれからの地域のあり方を鋭く問いかけているようです。便利で快適な生活にどっぷりと浸った先に、何が待っているのか。次世代に安全で健康な環境を渡す責任は、政策を決定する誰かや専門家の誰かに託してしまえば済むのではなく、地域に生きるわれわれ1人1人にこそかかっているのです。