千歳川の支流。
深い森の中に息をひそめて建つ緑色のテント――わずか1メートル四方の撮影用ブラインドの小さな窓からは、500ミリ望遠レンズが注意深く、あたりをうかがっています。
葉のそよぎは絶え、川の流れも澄みかえり、木もれ陽のありかさえ忘れるほどの静寂がまわりをつつんでいます。
テントの中に男が1人、じっと、ある瞬間を待っています。彼・嶋田忠さん(36)は、彼自身が名づけた“火の鳥”アカショウビンの来るのを長いこと待っているのです。
1時間、2時間―アカショウビンは、まだ来ない――。時間はゆっくりと、しかし刻々と流れていきます。
2年間、いや狙いを決めてからさらに数年間、周到に準備を重ねてここまでこぎつけたのですから、わずかタタミ半畳のブラインドの中は、緊張感にはちきれてしまいかねません。しかし、その殺気を感じさせてはならないのです。
「こっちがギラギラしていると、その殺気がブラインドの外にただよい出る。鳥はそれを感じとるんです。そんなとき、鳥は絶対に近寄らず、ホッと緊張のとぎれたときにスーッとやって来る」
だから、その緊張を消すために、いろんなことをします。きょうは時間がかかるなと思ったら、依頼されている原稿を書いたり、撮影とは無縁のことを考えたり。
持ってきた弁当を開いて“早弁”も。食べるという行為は、人間を無心にするからです。
3時間、4時間――ときには10時間以上も待ちます。目をつぶり、寝たふりをすることもあります。しかし、からだの半分はつねに目覚めているのです。
「半分は眠っていても、キツネの通る足音さえ感じられる。だから、わかるんですよ。ヤツが遠まきにして、こっちを見ているな、っていうことが」
そこには、無心になって大自然に身をゆだね、自然と一体になる心境にいたった人の姿を感じないではいられません。
嶋田さんは、武蔵野の森が遠くに見える埼玉の農家に育ちました。中学生のころからは、2坪くらいの鳥小屋をつくり、そこに木を植え池をつくったりして、いろいろな鳥を飼い、観察をしていました。そして高校に入学した記念にと、母が200ミリ望遠レンズつきの一眼レフカメラを買ってくれたのが、野鳥撮影の始まりでした。
そんなとき、きのうまで元気に飛んでいた鳥が小屋の隅で動かなくなり、手の中でだんだんぬくもりを失っていくことがあります。躍動する生と、死のはかなさをそこに見たのです。そして高校2年のとき、最も尊敬していた母が世を去ったのでした。
「このとき、生命に対する理屈ではない疑問と不思議さを感じた」と、いまも語るほどのショックを受け、そのときから彼は小鳥を飼うのをやめました。
その後、日本大学に入学しました。ところが、そこでは全学をゆるがす学園紛争が始まり、彼も、多くの学生がそうであったように、正義感からその活動に加わりました。しかし、紛争は思いもかけぬ方向へとすすみ、彼の心に残ったものは深い挫折感と空しさでした。
「その空しさから立ち直るためにも、何かに夢中になりたい」
カメラを下げて、本州では野鳥の天国である信州の知人のもとを訪ねました。
「一日、鳥を探しまわって会えなくていたとき、目の前をサッと青いものが突ききった。カワセミがいちばんきれいに見えるのは、斜め上から見たところなんです。それも真冬の夕方だったから、よけい浮きあがって見えたのです。この世のものではない美しさというか、感動しましたね」「これだ。動物写真家になろう」
彼の心は即座に決まり、それから10年、さまざまな仕事で暮らしと闘いながら『カワセミ・清流に翔ぶ』という写真集をまとめたのです。
カワセミとは同じ科に属しながら、色も気質もまるで違う鳥、それがアカショウビンです。
「清流は、清潔なイメージです。そこにコバルトブルーのカワセミが飛び交っている。あれはスポーツ感覚、さわやかなものです」
アカショウビンはカワセミのほぼ2倍。翼長12センチくらい。森の中でも暗いところにすんでいます。
「繁みの中に、ジッと獲物を狙っている赤い鳥がいる。木もれ陽があたると、それが光って…。目がまた不気味なんです。陰湿な、得体の知れない感じがする」
アカショウビンはカワセミ科のなかでは進化のおくれた鳥だと嶋田さんはいいます。
「カワセミやヤマセミは渓流で、しかも動きの速いイワナやヤマベを主体に捕食する。だゥら潜水も1メートルくらいまでできるスペシャリストです。しかし、アカショウビンはせいぜい30センチ程度。そのかわり魚のほかに昆虫、カエル、サワガニ、トカゲ、ミミズと、なんでも食べる。カワセミ科の中では最も原始的な鳥なんです」
だから、アカショウビンを、きれいでかわいい鳥だと思って撮ったことは、いちどもないといいます。
「森の中にスッと伸びた枝や自然全体が美しいと思って見ていても、そこヘアカショウビンが来ると、そんな感情なんていっぺんにふっ飛んでしまう」
「カワセミは色彩的にもきれいだし、惚れあって撮っているところがある。だから、カワセミに対しては燃えるとか、対決するといった感覚はない。ところが、アカショウビンの場合は、対決そのものなんです。ヤツは闘争心の塊です。だから、あの巨大な牙城を崩してやろう、そんな感情で迫ってしまうのです」
「1時間いてとらえた最高のシャッターチャンスと、1年間みつづけてとらえたそれとは、比較にならないほど違う。時間をかければいいというものではないが、いろんな面から見て、そのものの最高の瞬間をつかみたい」
そのために周到に観察し、透徹した眼を研ぎすまして、被写体の、いや自然の本態をつかみきった時に、はじめてシャッターに指をかけるのです。
彼がアカショウビンを撮ることに決めたとき、まず場所選びからはじめました。
アカショウビンは東南アジアからの渡り鳥です。沖縄から北海道まで、全国の森にすんでいます。しかし、彼の心には北志向があって、北海道を選びました。森があって、川があって、エサの豊富な、しかも短時間でその場所に行ける―そんな条件にピッタリのところが、意外にも千歳市の近郊にあったのです。彼はすぐに家族をひきつれ、埼玉から千歳市に引っ越してきました。
2年間、徹底的に観察し、データをつくりあげる。それも、人間の立場で調べるのではなく、鳥の立場になって観察しつづける。
どこにいちばんエサがいて、どの枝が止まりやすく、危険を感じた時に逃げやすいか。捕えたエサはどこで、どちらを向いて食べるのか。
枝が葉を落として、森全体が見通せる季節になったら、航空撮影をして、どこにどんな樹があり、アカショウビンが巣をつくれる樹はどれとどれか。そして、アカショウビンの習性、生活行動を知りつくすまで、手にするのは双眼鏡だけ。アカショウビンに向かってシャッターは切らず、双眼鏡をのぞくだけの毎日がつづきます。
2年目になって、やっとすこしシャッターを押してみます。しかし、それはあくまでも実験のため。
そして、観察をもとに絵コンテを何枚も何枚も描きました。
「作品は創造です。だから、こういう光りで、こういう枝で、と理想的な構図を納得いくまで描くのです。光りも描きます。風が欲しいと思ったら、草がなびいている感じを描く。こんどは、そのイメージで写真の撮れる環境を徹底的に探すのです」
その場所がみつかっても、そこでアカショウビンをただ待つだけに終わりません。鳥に誘いをかけるための仕掛けをつくります。アカショウビンが捕食に来やすくし、しかも撮影に適した場所へ確実に誘い込むために、池を掘り、エサを育てます。
「そうして撮ると9分9厘は失敗しないし、自分が想像していたよりも、はるかにいい映像が出来上がります。それが自然の、生きているものの、すばらしさなのでしょうね」
北海道には、埼玉や本州ではほとんど失われてしまった自然がありました。埼玉では車で3時間もかけて富士山の周辺まで行かなければ見られないような森が、大都市・札幌のすぐ近くにさえも残っています。
「以前、アカゲラを撮りに山中湖まで行かなければならなかったが、札幌では北大植物園にもアカゲラどころかキビタキとかオオルリまで集まっている。一部に荒っぱい開発の仕方があるから満点はやれないが、90点まではやれると思う」
そして、冬の厳しさと、ヒグマがいるという緊張感が、まさに大自然の中にいるという実感を与えてくれるというのです。
「ここにはヒグマという猛獣がいて、へたをすると食われるかもしれないゾ、と感じたとき、今までとは違った感覚が働きはじめる。森の中を歩いていて、ガサガサと音がするとゾクッとする。五体を緊張させて、それに敏感に反応しようとしている自分。この緊張感はぜひ味わってみてほしい。だから、ヒグマは北海道に絶対残したい」
北海道に来て大白然の神秘性を知ったとき、アニミズムというか原宗教に興味を感じたと、彼はいいます。
「人間が動物として存在していること、そして自分より強力なものがいることを知ったとき、その充実感と恐怖心から、世界中のいろんな人は自然の中に神を見い出したということが理解できるようになった」
「自然の得体の知れなさを最も感じさせるのは、闇の恐怖です。だからアイヌの人たちは、シマフクロウを最高の神にまつりあげていた。それは、サケの居場所を教え、ヒグマの来るのを知らせて利益をもたらすということもあろうが、なによりもシマフクロウが闇を自由に支配して生きる最大の生きものだったからです。ヒグマよりも上位なのは、食われる恐怖よりも闇の恐怖の方が大きかったからなのでしょう。
からだが自然を感じ、自分も自然の一部だということを暮らしの中で表現していた、感性豊かなアイヌの人たちの生活がうらやましいという嶋田さん。しかし、彼もまたアカショウビンの中にカムイの姿を感じていたのでした。
「人間以外の生物には、余暇を楽しむなんていうことはないのです。生きるか死ぬか、それがすべてなのです。例えば、スズメがエサを食べに来ていても、かたときだって油断はしない。水の中で羽づくろいをしていって、つねにあたりに気を配っている。気を許した瞬間、彼らは他の鳥や動物のエサになってしまうからです。つねに心臓をドキドキさせた中で、生きている。木の枝に止まって、美しい声で楽しげにさえずり、求愛行動に懸命な姿だって、生き残るための必死の行為なのです。そういう緊張感の中で生きているものへのあこがれというか、畏敬の念が僕にはあるのです」
撮った写真が人間から見ると、ある時はかわいく思ったり、美しかったり、迫力満点だったりする。それは緊張感に耐えて真剣に生きているから、そう見える。必死の姿というのが、人の心を打つのだというのです。
「僕が小鳥を撮るのは、小鳥が野生を発揮した時、野生のすごさとその影響力の大きさを感じさせられるからです」
ワシやタカが、その鋭い爪の下に獲物を押えつけて肉を引き裂いても、それは当り前のこと。しかし、美しい羽毛につつまれて、みるからに愛らしい小鳥が捕食の闘いをしている姿は、それまで気づかなかった自然のおきての厳しさ、野生のすごさを感じとらずにはいられないというのです。
たかだか、少女の手のひらをそろえて広げたくらいの小さな鳥がどれほど怖いものかを知るために、エサの側からアカショウビンを見てみます。すると真一文字に襲って来るその姿は、ミサイルの弾丸であり、怪獣映画のラドンそのものなのです。そして、その視点でこそ、アカショウビンの実態に迫ることができるのを、彼は知っているのです。
紅炎の玉が一瞬、目の前をよぎり、ダボッと水の音がしたかと思うと、大きなくちばしにカエルをくわえて枝に飛び移る。バチッ、バチッ、不気味な音がしじまを破る。カエルもグエッーという断末魔の声。10分、20分、アカショウビンはカエルを枝にたたきつけて、骨がバラバラになったところで一気にのみ込む。
このすさまじいとしか言いようのない野生生物の生命活動を、嶋田さんはシャッターを切りつづけ、映像でたたきつける仕事をつづけているのです。
小川 巌(野生生物情報センター代表委員)
嶋田忠さんが代表作「カワセミ 清流に翔ぶ」を発表後、次に狙いを定めたのが、同じカワセミ科のアカショウビンだったという。
個体が少ないとはいえ、カワセミは明るい水辺にすみ、止まり場となる枝や杭が決まっている。営巣場所も川沿いの土手に限られているという具合に被写体としてはむしろ組みしやすい方であろう。そこへいくとアカショウビンは、水辺近くのうっそうとした森林にすむため、カワセミよりは、数段、厄介な相手である。こんな点を頭に入れてから「火の鳥アカシヨウビン」(平凡社刊)のページを操ってみると、姿を見るのさえ容易でないこの鳥の“静”と“動”を余すところなくとらえているのに驚かされる。なかには血のしたたるような捕食のシーン、食われる側から見た迫りくる火の鳥の形相に息をのむ人も多いはず。従来の動物写真のイメージを一変するだけの中身であるのは間違いない。
それにしても、薄暗い林内という悪条件にもかかわらず、こんなシャープな場面をどうやって撮るのかが知りたくなるもの。偶然によるものでも、カメラ機材の性能によるものでもないのはもちろんだ。ある時はブラインド(野鳥観察テント)に潜んで、ひたすら相手の接近を待つ。またある時は、目前におびき寄せるため、さまぎまな仕掛けや工夫をこらす。そのタイミングを推し量り、双方を自在に使いわけてこそ、自然な姿がとらえられるのであろう、その裏には、たゆまざる探求心としたたかな計算があると思ってよい。
作者は、火の鳥にカムイの輪郭を見たという。ぺージを追うごとに底知れぬすごみのようなものを感じとれたら、その人は著者のイメージに近づいたといえる、そんな意図を含んでいるかにみえる意欲的かつ自信にあふれた写真集である。
1949年 埼玉県入間郡大井町に生まれる。
1971年 日本大学農獣医学部卒業
1973年 写真家として独立
1980年 埼玉県から千歳市へ移住。
著書 「カワセミ 清流に翔ぶ」「鳥・野生の瞬間」「ウトナイの宝」「火の鳥 アカショウビン」など。