造材業を営んでいた養父を、夕張の山深い小屋にたずねたことがある。中学生だった。そまつな小屋の真ん中にドラム罐を工夫したストーブがあった。惜しげもなくほうりこむ生木がパチパチはねてストーブは真っ赤に燃えたが、それでも寒く、なかなか寝つかれなかった。
重労働と数杯の焼酎でたわいなく寝こんだ杣人たちの足元を気にしながら外に出た。雪の中に森は黒々と静まっていた。樹間に月があった。澄みわたったその月に手が届きそうであった。ときどきカーン、カーンという鋭い音が森を走った。森の精の呼吸音か。そう思ったとき、ぶるっとわが五体が吹きとばされそうな胴ぶるいがきた。
中国の東北(旧満州)の東部にひろがる大森林地帯に、まるまる1ヵ月テント生活を重ねていたことがある。大学に進んで勤労奉仕に参加したのである。そこは、動物作家・バイコフの舞台であった。文字どおりの人跡未踏の地、圧倒的な森の重みのなかで、私たちは蟻だった。森の中に1本のクモの糸のような軍用道路をつくっていったのである。学友の一人が森に迷い込んで1週間後に生存が確認される事件があった。時たま耳にする獣の咆哮に息をひそめもした。
私は草花より木々に目がゆく。木々のそれぞれのたたずまいに畏敬の念をもつ。林のなかをわけいること、とりわけひたすら静寂に沈む雪の林を好む。そのとき、数キロ四方にわれ1人――の実感に心の底の底まで洗われる思いがする。
余生を絵に打ち込むことを決意したとき、モチーフを周辺の自然に限定した。おのずから、その主役は樹木にならざるをえない。風雪に耐えた幹や枝ぶりにわがテクニックの未熟を嘆きながらも、尽きない魅力から逃れるすべをもたない。描くというより、描かされる心境になったとき、ひょっとしたらヒトサマに見てもらえる絵ができるかもしれない。いつになるかは知らないけれど。