旭川市中心部から車で東に約30分。標高300メートルほどの旭山の斜面にこの動物園は広がっています。
入園料は中学生以下と60歳以上の旭川市民などが無料で、一般は580円。そのほか1,000円の年間パスポートがあります。2回来ればモトがとれる計算です。
「動物園は来ても年に1回がほとんどだったんです。それならパスポートを出して2回以上来ていただいた方がいい」
このパスポートが登場したのは1997年(平成9年)で、開園30周年の年でした。その2年前に園長になった小菅(こすげ)さんは長期低落を脱するため積極策に打って出ていました。旭川市長や市役所幹部を熱心に説得し、「こども牧場」「ととりの村」「もうじゅう館」…と毎年1つずつ新たな施設をつくっていったのです。
そしてもう1つ、来園者の増加を願って発行したのが30周年記念のパスポートでした。当時の入園料が420円のところ年間フリーのパスが500円と破格の大サービス。2001年からは現在の価格になりましたが、人気に衰えはありません。
正門をくぐると正面には広場、右手には「ととりの村」と名づけられた鳥たちの空間があります。全体がネットで覆われ、ハクチョウ、カモなどが泳ぎ回ったり、羽を休めたり。その中を散策すると自然そのものの中に入り込んだ錯覚に陥ります。
「お客さんがどれくらいの時間、動物を見ているか、ストップウオッチを持って計ったことがあります。フラミンゴの前では30秒もない。平均たったの1~2秒でした」
動物園がおもしろくないという理由の1つに、動物たちがじっとしていて動かないことがありました。でも小菅園長をはじめ動物園で働いている者からすれば、動物はよく動き、おもしろい。そこで新しい施設では動物の行動が見られる仕掛けが随所につくられました。ただしそれは強制的に動かすわけではありません。自然の中にいるときと同じことを動物園でしてもらうだけです。
「ととりの村」を出て緩やかな斜面を上っていくと、人気の「ぺんぎん館」です。屋外に出ているヨチヨチ歩きのペンギンを見るのも楽しいですが、目玉は建物内の水中トンネル。最近の水族館でよく見られる構造ですが、ここでは足もとまで透明になっていて、ぐるり水中を見ることができます。このトンネルをかすめるようにペンギンがビュンビュン泳ぎ回り、観客から歓声が湧き上がります。陸上では幼児なみの歩きでも、水に入れば魚と同じ機敏な動き。そのペンギンがチラリとこちらに目を向けました。
「お客が来ないとペンギンも泳がないんですよ。水の中に変なのが来たと喜んでいるんですね」
人間がペンギンを見に来ているのですが、ペンギンもトンネルの中の人間に興味を持って見に来るようです。
この「ぺんぎん館」で人気なのが日に3回の「もぐもぐタイム」。うち1回はダイバーが水中でオキアミを与えます。
「キングペンギンは泳がないというのが動物園や水族館の常識だったんです。自発的に泳ぐということはあまりありませんでした。それに水中給餌をするという発想もありませんでした。きっとペンギンがぶつかって危ないと思っていたからでしょう」
このペンギンたち、冬には行列をつくって園内を散歩し、冬期開園の目玉になっています。
続いての施設は「もうじゅう館」です。ライオンやトラなどが厚み数センチのガラス越しにすぐ目の前で見られます。
おもしろい光景に出くわしました。観客のすぐ頭上でヒョウがゆうゆうと寝ているのです。なんだが猛獣たちのにおいどころか体温さえも伝わってくるようです。観客がざわめいてもいっこうに気にすることなく、ネコのように寝ています。
「ヒョウというのは中型のネコ科の動物で、もともと地面で暮らす生き物ではないんです。地面にはアフリカではライオン、アジアではトラがいますから。木の上にいる限り人間よりもヒョウの方が絶対有利で、余裕を持って寝ています。はじめは人間が騒ぐとヒョウがいやがると思っていましたが、そうでもないみたいです」
こうしたヒョウの施設をつくったのは旭山動物園が世界初。その2年後、アメリカの動物園にも同じものができたそうです。
トラのところで係の人がマイクを持って説明を始めました。日曜と祝日ごとに園内の1カ所ずつ順に行っているワンポイントガCドです。トラは大好きな係の人が来たので大喜び。駆け寄ってくる姿は迫力満点ですが、大きさを別にすればネコのようなかわいさです。
次の施設は昨年オープンしたばかりの「ほっきょくぐま館」。2頭ずつが入る2つのスペースに分かれています。その1つは水中を泳ぐ姿がガラス越しに見られる構造。ロシア生まれの若いイワンと、もうおばあさんの年齢になる旭山生まれのハッピー。イワンは疲れを知りません。いつも水に入ってボール遊びをしています。
ガラスの向こうで泳ぎ回るホッキョクグマの巨大さが体で感じられます。自然界でのこうした接近は危険なので不可能。写真や動画の撮影もできません。動物園ゆえに可能なのだそうです。
次は「さる山」。全体のイメージは野生のサルが棲む青森県の下北半島で山と里があります。
一辺が20センチくらいのサイコロ型の木箱がたくさん転がっています。もぐもぐタイムになると係の人が、そのサイコロの穴に餌を入れ始めました。するとサルたちがサイコロをカタンコトンと鳴らしながらひっくり返し始めたのです。どうやら穴は手を入れて餌を取るには小さく、ひっくり返して穴から出さなくてはならないようです。これなら退屈しません。
ほかにもこんな仕掛けがあります。地面の一部には細かい目の網が敷いてあり、その下には麦がまいてあります。麦から芽が出るとサルたちが指でつまんで食べるのです。
さらにユニークな仕掛けがあり、それをめぐっての悲喜こもごもの人間模様、ではなくサル模様が展開されているそうです。
木材のチップが敷いている場所があって、その中にはピーナツが隠してあります。それも毎日同じではなく、広くばらまいたり、1カ所に集中させたり、まったくなかったり。サルたちはそれを探すのです。
「あそこにいる大きなサルは、自分で探そうとせずに、ほかのサルが探したところに行って横取りしようという性格の持ち主なんです。そこで小さなサルは考えたんですね。あいつがいるときに食べ始めると取られてしまうと。それで大量のピーナツを探し当てた小ザルは、その上に座ってしまった。そして周りをわざと探しているんです。でも出てこないから、大ザルは、きょうはないのかな、と思って山に上ってしまう。それを確認した小ザルがパッとピーナツ全部を口に入れてしまいました」
こうして動物たちを見てくると、飽きることがありません。やはり動いていることが、その最大の理由のようです。
小菅園長によると動物園の歴史は古いそうです。世界四大文明が始まったころから記録が残っています。ただしこれは完全な見せ物でした。
150年ほどの前のヨーロッパでは、鎖につながれたクマの前で小石を売っていたそうです。観客はその石を買ってクマに投げつけるのです。
そんな歴史を持つ動物園が最近変わってきました。それは動物の福祉という考え方です。狭いところで飼われている動物がかわいそうだ、という感覚が広がり、それが欧米などで動物園が減っている要因にもなっています。
今から20年ほどまえには環境エンリッチメントという言葉が出てきました。適切な日本語がないためにそのまま使われていますが、飼育動物たちの幸せな暮らしを実現するための具体的な方策だそうです。
アメリカでは広大な土地を利用した動物園が出現しています。自然環境そのもののような施設で、人間はそれらの動物を遠くから眺めます。自然の姿そのものを人工的に再現させるのです。
しかしそうした動物園を訪問し、時間をかけて観察した小菅園長は、改めて動物の幸せとは何なのかを考えさせられました。
「オランウータンがいたのですが、朝に部屋から出てきてちょっと散歩したあとは座ったまま。ちっとも動かない。夕方帰るまでずっと同じところにいました。カバも同じです。安全なところにいるとか、食べ物が十分に保証されているとか、健康であるとか、物理的な幸せは確かにそうなんです。でもほんとに幸せなんだろうかと思ったんです」
小菅園長の環境エンリッチメントは、物理的な幸せを超えたところにありました。ペンギンが人間を「観察」しながらゆうゆうと泳ぐ。ヒョウが人間の頭上で寝そべる。サルが一所懸命に麦の芽をつまむ…。こうした動物たちの行動が、動物園での環境エンリッチメントだと考えているのです。
いよいよその奇抜さで全国的に有名になった「オランウータンの空中運動場」です。2本の塔が立ち、その間に鉄骨とロープが渡してあります。高さは地上17メートル。観客の真上で、綱渡り劇が毎日展開されるのです。
もぐもぐタイムに合わせて、すでに200人以上もの観客が集まっています。係の人がマイクで説明を始めると、オランウータンが塔を登り始めました。餌は竿を使って反対側の塔に設置されます。それはまだなのに、もう上り始めました。アナウンス開始がもぐもぐタイムの始まりであることを知っているのです。