ウェブマガジン カムイミンタラ

2003年11月号/第119号  [ずいそう]    

中国を旅して
西里 扶甬子 (にしさと ふゆこ ・ 東京在住 ジャーナリスト)

中国を旅して強く感じることは、58年前に終わった「抗日戦争」が、現代中国の原点であり、誇りであるということだ。

戦後札幌に生まれ育った私は、25歳になっていきなり、オーストラリアの国際短波放送に転職した。仲良くなった中国語放送のアナウンサー、テレサ・チャンは香港人で、よく自宅のマージャン・パーティに呼ばれた。布もかけないテーブルの上で日本のより大きくて薄いパイをガラガラと音をたてて両手で混ぜる。休憩にお汁粉が出て驚いた。この上なく日本的と思い込んでいたものが実は中国から来ていることに気がついた。日本民族は漢字をはじめ、何もかも中国から学んで文化的に成長した、中国の子どものような国なのではと、その頃から思い始めた。それにしても、私たちは余りに中国を知らない。

今年9月中国を旅した。日本の関東軍は1931年9月18日の満鉄爆破事件を理由に、満州侵略を開始した。実はこれは武力侵攻の理由作りが必要だった日本側の謀略だった。この爆破事件が起きた瀋陽郊外の柳条湖の近くには“九・一八”歴史博物館がある。開館は1999年で、入り口の壁に彫りこまれた“九・一八”歴史博物館の文字の下には江沢民と署名が刻まれている。

この博物館は「東北人民が無残に日本軍国主義に侵略された後も、奮い立って反抗を続け、勝利を収めた歴史絵巻を展示している」先端的設備の博物館であるが、めざすところは「現代的愛国主義教育」なのだ。毎年行われる九・一八の集会では、9時20分になるとサイレンが鳴り響き、広大な博物館前の広場に集った人々の前で、決意を述べた軍や市民、学童の代表者たちが、「勿忘国恥」の文字が浮き出た釣鐘を打ち鳴らす。私はその大群衆の一番前に居て、抑圧者、侵略者から取り戻した自由と文化を確認しあう人々の感情の高まりをひしひしと感じた。

旧満州地区には日本の憲兵隊に連れ去られたまま、二度と戻らなかった親兄弟を持つ人たち、憲兵隊や関東軍から虐待や拷問を受けた人たちは数知れない。そして、置き去りにされた日本人の孤児たちを我が子として育てたのも同じ人々なのだ。彼らは私のような日本人を温かくもてなし、「日本軍国主義が悪い。貴方が悪いわけではない」と、肩を抱いてくれる。やはり、日本人は人間として負けたのではないかと思う。

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