ウェブマガジン カムイミンタラ

1984年03月号/第1号  [ずいそう]    

晴耕雨解
青木 由直 (あおき よしなお ・ 北海道大学工学部 教授)

昔の教養人ならさしずめ“晴耕雨読”となるのでしょうが、これからの知識人は“読”から“解”(この場合は解(とく)と読んでください)となりそうな気がします。何を“解”くかといいますと、自前のコンピュータで問題を解いたりプログラムの解析を行なったりするのです。

多分パソコンあるいはパソコンが姿を変えたワードプロセッサや各種の情報処理機械が家庭内にあって、特に身構えてこれらの機械に接する程でもなくなる時代には、雨が降ったら本でも読もうかといったのと同じようにコンピュータを相手に知識のリフレッシュを行なうことになるはずです。その時には知的好奇心のある人ならコンピュータの内部まで立ち入って難解な問題を解く知的作業を楽しむことになるでしょう。

ただ、いくら機械が発達したコンピュータでも所詮機械は機械、晴れたらやはり戸外に出て土でも耕してみたいものです。いや、コンピュータ時代になればなる程、自然の中の生き物としての人間であることを自覚するためにも、強制的にでも人工の世界から自然の中に自己を引き戻すことが必要でしょう。こうなると近未来の知識人の生活環境のイメージが湧いて来ます。(正反対のイメージを持つ人もおられるでしょうが。)少なくとも耕す土地のあるところに好みの家を建て、屋内の書斎(あるいは研究用の部屋)にはコンピュータやその端末があって、必要とあれば職場や友人の家のコンピュータ同士と通信が可能で、本棚にはデータファイルが適当に整理されてある、といった具合です。

人によっては自家菜園の野菜の種類や育成情況を即座にCRT上に出してみせてくれるかもしれません。ひょっとしたらメンデルのエンドウ豆による遺伝子の実験を未来の姿に変えて、コンピュータの遺伝子に関するデータベースを参考に自分の家の庭で植物や昆虫を使って実験している研究者の姿だって目に浮かびます。こういう人たちが晴れた日にはキーボードを打ち続けた手に鍬を持ち変え、昔の村夫子然と畑を耕す姿が見られる未来であってほしいものだと思っています。

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