本誌の創刊号の「ずいそう」欄に「晴耕雨解(とく)」の一文を書いています。それから20年経ち、この文章の内容が現実に近づいた部分もあります。自家菜園の野菜の育成状況をパソコン画面に表示するなんて、「サッポロバレー」の企業が現在研究に取り組んでいるものです。
創刊の年1984年の前後は札幌におけるIT(この言葉も当時はありませんでした)ベンチャー企業群の勃興が始まり、この時代の流れを捉え札幌市が下野幌にテクノパークの造成を行い、1986年にはその中核施設の札幌市エレクトロニクスセンターの落成を見ました。個人的には「知識情報処理研究振興会」を作り、その機関誌「いんふぉうえいぶ」の創刊が本誌と一緒でした。
情報産業集積地サッポロバレーの源流に位置する「ビー・ユー・ジー」社の躍進振りが、1990年の本誌通巻38号に特集「札幌のシステムハウス」として取り上げられ、筆者もコメントを寄せています。これを読み返して見ますと、未来に向かって限りない発展が約束されている雰囲気の若いIT企業の元気が伝わってきます。
2000年に「サッポロバレーの誕生」(北海道情報産業史編集委員会編集)が出版され、サッポロバレーの言葉が人口に膾炙するようになり、サッポロバレーのブランド化も進みます。情報産業は今や札幌の、そしてそれは北海道の基幹産業までに成長しました。この20年はIT技術と産業のめまぐるしい変化を身近にもたらし、20年前がどうなっていたのか思い出すのも困難になっているほどです。
4年前から開始された、ITベンチャーに飛び込んで行く若手の後押しをする「三浦・青木賞」に関連して、筆者は「サッポロバレーの生みの親」といった形容詞を冠して紹介されることもあります。サッポロバレーの語り部としてこの20年を過ごしてきた運の良さがもたらしてくれた結果だと思っています。その20年は本誌「カムイミンタラ」の20年に重なります。