2004年2月10日、私は記者会見で北海道警察の長年にわたる裏金システムの存在を明らかにしました。当初その存在をかたくなに否定していた道警の上層部も、ここにきてようやくその一部だけを認めました。しかし、それに至るまでに道警は多くの道民の信頼を失いました。
私は、現在の警察が抱えているのは裏金問題だけではないと思っています。これは、たまたま表面化した問題の一つに過ぎません。警察の持っている本質的な問題が数多く潜在しています。その一つは、警察組織が持っている「組織防衛優先の論理」です。警察では、不祥事等が起きると本能的にこうした論理で行動します。世間の常識では通用しない論理でことを押し通そうとします。今回の問題でも、旭川中央警察署の会計書類が議会で問題になった時、道警本部長はそれを見ようともしませんでした。この態度が事態を全国にまで広げるきっかけになりました。
こうした態度はどこから生まれるのでしょうか。私は、警察という組織が無謬性を仮装しているからだと思います。
警察が、法律の執行をその任務としているため、国民も警察が誤りのない組織であることを求めます。しかし、私の長年の経験でも多くの失敗があります。誤って人を逮捕するなど、公になれば国民の非難を浴びるようなこともありました。多くの警察官も同じだろうと思います。国民は、警察を高いところに置き、警察官を特殊な眼で見ます。しかし、そこで仕事をしている警察官の一人一人は、ごく普通の人間です。誤りもあるのです。
問題は、それを率直に認める態度です。今回の裏金問題で道警がとった態度は論外ですが、その背景にはこうした警察の持っている誤った組織防衛優先の論理があります。
今、裏金問題の実態は解明されないまま、幕引きが図られようとしています。これからも、国民の一人一人が警察組織のこうした本質を見極め、監視して行くことが必要でしょう。本当に道民のための警察が必要ならば。