2004年晩秋、日本で最も早い初冠雪を利尻山が記録した。その10月3日は、珍しく好天に恵まれたこともあって、テレビや新聞がその美しさを伝えていた。しかし、その後幾度か冠雪を繰り返したものの、今年は雪待月を過ぎようとしても利尻山の山肌は未だまだら模様のまま。
それでも、やがて季節が進み、乾いた降雪に厳冬を知る頃。降り続けた雪が止み、裾野まで垂れこんだ雲が散っていくと、空はリシリアンブルーとなって、利尻山が頂まで姿を現してくれる時があるだろう。天上を舞う、出来たての雪で織られた純白の衣をまとった女神の降臨。遠い昔、そんな光景を一人の男とともに見ていた。彼はクライマーとして、わたしはリイシリに暮らすモノとして。
利尻山を「青春のカイラス(聖山)のようなものだ」と、その著書「知床越冬記」に回想した山岳写真家岡田昇。彼に連れられて、厳冬期の利尻山西稜を登ったのは20数年前のことだった。三眺山と呼ばれる1500mの小ピークに立つと、望む雪氷の西壁が一層の美しさと迫力で、圧倒した。それを背景に写真にも収めてもらった。そして、雪洞を穿ってビバークした翌日、ホワイトアウトを北稜へとトラバースした。初めての冬山だった。
2002年、「山岳写真家岡田昇 穂高で遭難」のニュースを、「何を馬鹿な」と言ってみたけれど、数日後にはその事実を受け止めなければならなかった。利尻山に始まった彼の“野性と原生への旅”は、知床を経て、やがてカムチャッカへと向かい、穂高に逝った。そしてこの初冬、危難失踪宣告が認められたことを季古夫人から知らされた。彼から「利尻は白くなった?」そんな便りが、もう3年近くも届かないという事実。ようやく惜別の思いが鎮まり、言えるような気がする。あなたの魂を利尻山に観ていると。