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1986年01月号/第12号  [ずいそう]    

勇駒別の思い出
小林 禎作 (こばやし ていさく ・ 北海道大学低温科学研究所教授)

私と勇駒別(今の旭岳温泉)とのつき合いは、1953年の夏に始まる。その年、大雪山一帯の大きな積雲をめがけて“種播き”し、人工的に雨を降らそうとする実験が北大と北電の協力で行われ、私はその観測のため勇駒別に1ヵ月ほど滞在した。

当時はもちろんバスの通れる道はなく、天人峡から観測器具を背負って、急な岩壁の間を縫うようにして、登ったのである。泊まれる所としては、営林署の白雲荘と仰岳荘だけだったと思う。白雲荘の工藤さんには、この時以来、ずいぶんお世話になった。

ある晴れた日に、私は1人で旭岳に登り黒岳を回って層雲峡へ降りた。その後、勇駒別には何回となく訪れているが、旭岳の頂上に立ったのはとうとうこれが最後である。

雪の結晶の写真を撮りに勇駒別に入ったのは、それから10年ほど経ってからである。映画カメラマンの小原さんと、白雲荘の玄関前に大きな雪洞をつくり、顕微鏡をすえて1週間ほど滞在した。そのころ私は人工雪の実験をしていたが、大雪山に降る自然の雪の美しさにはすっかり心を奪われ、2人して夜遅くまで夢中になって写真を撮り続けた。ケーブルの無いころで、晴れた日にはスキーにシールを張って姿見の池まで登り、煙のように軽くて深い雪の滑降を楽んだ。1日に2往復して大いに感激し合ったのも、まるで昨日のように思い出される。

最近は大きなホテルが建ち並び、白雲荘も立派になって、もう玄関前に雪洞を掘らせてもらうわけにもいかなくなったようだ。

この勇駒別は十勝岳の麓と並んで、北海道では、そしておそらく世界の中でも一番きれいな雪の降る所である。きれいな雪は昔も今も変わることなく降り続けてはいるが、踏み固められた広いゲレンデは、失われていく自然とともに、なにか空しい思いがしてならない。

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