札幌の駅前通りにあるなにわ書房に入社したばかりの頃は、社内で「壊し屋」の異名をとっていた。引き出しを落として枠組みだけにしたり、コピー機を壊してしまったり。文庫の仕入れを担当してからも、そそっかしさは抜けず、必要のない絶版リストを作ってはほくそえみ、どう考えても売れない本を棚にそろえては、悦に入っていた。
今考えると本当にめまいがするのだが、売れる本と売りたい本の区別がつかなかったのだと思う。その差に気がついたのは、書籍の予約受け付けの業務をこなすようになって、お客様のニーズがわかるようになってからだった。
先日、久しぶりに実家に帰ったとき、押入れにしまってある雑誌「太陽」と「暮らしの手帖」を見つけ、とても懐かしくなった。小学校も高学年になると、私は暇さえあれば親の本棚からこの2誌を拝借して、ページを繰ったものだった。「太陽」の広告に使われているロートレックの絵に見入り、「暮らしの手帖」の特集「洗濯機五種をテストする」などを読み耽る。変な小学生だったとつくづく思うのだが、その後の自分の読書傾向を考えると、このかび臭いバックナンバーが親からしっかりと受け継いだ文化遺産に思えてきて、感慨深いものがあった。書店の店頭に立っている自分の存在理由にも思えて、不思議な感じがしたのだ。
入社してから13年が経ち、その間に札幌の書店事情も大きく変わった。大型書店が郊外に進出し、ナショナルチェーンはこぞって札幌駅に、坪数を競い合った出店を決めている。実際、他店に行くと、その在庫数や売り場の広さに圧倒される。大通と札幌駅の間で、わが店を取り巻く状況は厳しくなる一方だ。
が、それでもと思う。それでも、私もなにわ書房も、売りたい本があると強く思う。現象となるような売れ方をする平積みにされたベストセラーの一方で、棚に背表紙を見せている本の数々。その本にまつわる思い出や記憶。ひいては、ベストセラーと棚ざしの本を含めた書店の空気を売りたい、と思うのだ。
この業界は、「1に接客、2に品揃え」といわれている。痒いところに手の届く接客と、売る側の顔の見える品揃えができる書店でありたい。そして、そんな私たちの気持ちをお客様にいっそう感じてもらえる空気にしたいと、いま痛切に思う。自店の棚と日々格闘しながら。