『対岸の彼女』(角田光代著、文藝春秋刊)は、保育園児を抱えて働き始めた主婦と、同じ年の独身女社長を軸に、異なる立場の女性たちの姿を描いた直木賞作品だ。既婚・未婚、働く女性・家事をする女性、子持ち・子なしなど、立場の違う女性の間には深い川が流れていることを常々感じている私には、身につまされる内容だった。
私は既婚の子持ちライターだ。夫と出張が重なる日は、ベビーシッターに自宅に泊まりに来てもらって遠隔地の取材をこなしている。だからシッター代(一晩1万5千円也)は、仕事をするために絶対に必要な出費、つまり必要経費だ。確定申告の折、せめて一部でも経費として認められないものかしらと税務署で質問してみると、「育児は家事の一部です。仕事が忙しいから掃除や洗濯を人に頼んだからって、必要経費とはいわないでしょ」とにべもなかった。
子育てが掃除や洗濯と同列であることを、私はこのとき初めて知った。掃除も洗濯も2~3日しなくたって人は死なない。自慢じゃないが私など1週間、10日はザラだ。でも、たった1日子育ての空白があれば、間違いなく幼児の命は危険にさらされる。少子化対策がずいぶん叫ばれているけれど、当事者である私たちの気持ちにいまひとつフィットしないのは、こういう違和感があちこちに漂っているからである。
もちろん、これは私が自分の立場で憤慨しているだけだ。私から見て“対岸の彼女”にあたる専業主婦は「他人に夜、子どもを預けてするほど意味のある仕事なの?」と思うかもしれないし、未婚女性は「好きで子どもを産んどいて大変がるんじゃないヨ」と言いたいかも。“対岸の彼女”同士が気持ちを共有することは、なかなか難しいのだ。
ところで、北海道は全国屈指の少子化地方だそうだ。非婚化も急速に進んでいるらしい。自分の価値観でのびのび暮らす人が多いからとも言えるけれど、子どもを抱いてくれる豊かな自然があるのに、なんともったいないことだろうとも思う。
女性は、結婚、出産、育児、介護と、それぞれの岸辺の現実にまみれて生きている。男性ならば、結婚や子どもの有無で“対岸の彼”を意識する必要もなく、「なんで女だけ?」と怒りたくもなるが、それはさておき、岸と岸はいつの頃からか遠く隔たってしまった。居心地の良いなじんだ岸辺から離れないでおこうと思うのも当然の防衛本能だけれど、私は思う。道産子女性の明るさとたくましさとで、結婚しても子どもを産んでも、好きな仕事で稼ぎまくる女性たちの岸辺が広がればいいなあと。子持ちライターとしては、急な出張にも対応してくれる託児サービスの確保が、目下の課題ではありますが・・・。