滅多にない事なのだが、騒音の激しい街の中で郭公の鳴く声を聞く時がある。
間違いなく幻聴に過ぎないのであるが、その声と共に、雨竜郡雨竜町で一時期過ごした少年期の釣の光景が浮かんでくるのであった。田圃に包まれた小川の少し下り坂になっている所に高い木立があり、その天辺でいつも郭公が鳴いていたのである。
私の若い頃の拙い短歌作品の中に、
幻に郭公の鳴く声耳にせり騒音激しき街馳せる時
『プロメテウスの火を』
と言うのがあって、その場所に一度は訪れてみたいと、今もなお思っている。しかし、一抹の不安がその実行を躊躇させてならない。
その原因は、所用で旭川に向かった列車の中から、かつて翡翠の巣もあった釣り場の川が、不用な治水工事で破壊されてしまっていたのをふと見てしまい、懐かしい思い出の悲惨どころか、人間の愚かさを厭というほど感じさせられたからである。
ところで、このような嫌な思いはまだ我慢も出来ようが、戦争をめぐっての体験は二度とあってならないと断じて思う。芸術院賞等を受賞し、芸術院会員でもあった著名な歌人土屋文明は、戦争体験者として、
花の手の篠尖らして眼をねらへと勢ひ居たる戦争の夢 『青南集』
と詠っていた。昭和十八年当時、青山学院女子短大講師であった土屋文明は、女学生の竹槍の軍事訓練に関らせられたのであろう。
六十六歳にしてその悪夢にうなされていたのである。端的に言って戦争とは、どのような大義名分を付けようとも、国家の命令によって国民が殺人鬼にさせられる事なのだ。
憲法を踏み躙って再軍備を行ってきた日本の政府は、「現実に合わなくなった」という名目で、憲法第九条を改悪して“戦争の出来る国”に変えようとしている。殺戮しあう愚行の時代は、過ぎて欲しいと切に思う。
今日の夕焼けが、不気味なほどに赫かった。