ウェブマガジン カムイミンタラ

2006年01月号/ウェブマガジン第7号 (通巻127号)  [特集]    

国際デジタル絵本学会
世界の絵本を世界のみんなに

  札幌を拠点に、道内はもちろん全国、全世界に題材を求めて絵本を制作、12の言語でネット公開している国際デジタル絵本学会。作品数は120に上り、うち30作品には日本語と英語の音声がつけられています。取材、作画、翻訳、アナウンス…。その制作現場を訪ねました。

読み聞かせもある“国際児童図書館”

イメージ(見る、読むだけでなく、読み聞かせも)
見る、読むだけでなく、読み聞かせも

「デジタル絵本サイト」のトップページ。中国語、日本語、スペイン語、ノルウェー語、ドイツ語、スエーデン語、英語…。12の言語が並びます。そしてアクセスカウンターの桁数を確認すれば34万。かなりの人気サイトです。

「日本語」をクリックしました。「タイトル目次」には「日本の民話」「日本の神話」「北海道の民話」「オリジナル作品」「一般公募作品」と部門別に作品名がずらり並んでいます。その数81作品。それらは日本の絵本ですが、プラスして台湾、韓国、パプアニューギニア、インドネシア、ペルーなど11の国・地域の32作品が加わります。日本と外国の作品を合わせれば113作品。図書館でもこれだけそろえるのは大変でしょう。

以上は外国のものを含めた日本語の作品です。その中から「鶴の恩返し」や「浦島太郎」など有名な昔話を中心に12の言語で翻訳されています。その訳本は117作。日本語と外国語を合わせると230冊。インターネットでつながっていれば世界中の誰でも無料で閲覧できる、まさに“国際児童図書館”です。

イメージ(音声なし(上)と音声付き(下)の画面)
音声なし(上)と音声付き(下)の画面

この“図書館”は見せる、読ませる、だけではありません。読み聞かせもしてくれます。トップページの「音声 Voice」をクリックしました。30作品の表紙が現れます。その1つをクリックすると「このファイルを実行、または保存しますか?」と聞いてきます。特別なソフトを使っているようです。「はい」と答えるとファイルがパソコンに取り込まれていき、実行すると「英語」「日本語」などのボタンがついた画面が現れます。「PLAY」を押すと女性の声で朗読を始めました。途中で「英語」を押すと瞬時に英語の音声に変わります。

こうして画面を操作していくうちに、この絵本サイトの幅広さ、奥行きの深さがじわじわと実感されてきました。絵本の中には「かぐや姫」「かさじぞう」といった日本で広く知られている昔話も含まれていますが、大半は地域のあまり知られていない話やオリジナル作品。文や絵を創作し、さまざまな言語に翻訳し、それに日本語と英語の音声まで付けてしまう。その絵本1枚1枚の裏側にある途方もない労力がしのばれるのです。

学会の始まりは、ごくプライベート

イメージ(馬淵さん(左)と事務局担当の山田さん)
馬淵さん(左)と事務局担当の山田さん

トップページには「提供:国際デジタル絵本学会(IDEA)」とあり、事務局は札幌市南区にある北海道東海大学の国際文化学部、馬淵悟教授の研究室となっています。大学を訪ね、馬淵さんと事務局の実務を担当している山田雄太さんにお会いしました。

デジタル絵本の始まりは馬淵さん個人のまったくのプライベートなことだったそうです。奥さんの査美(はるみ)さんが、道外で大学生活を送っていた子どもたちに見てもらおうと、幼かったころの思い出を絵にしてホームページに掲載しました。たまたまそれを見た仲間の文化人類学者が「これは面白い」と言いだし、「国際デジタル絵本学会」の設立にまで至ったのです。

イメージ(馬淵さん)
馬淵さん

最初に誕生したのが「きけんねこ ドンゴロス」という創作絵本です。かわいげのない野良ネコで、ほかのネコたちからも嫌われていましたが、1人のおじいさんだけはかわいがってくれました。ところが…。

ドンゴロスという名前が印象的な、哀愁を帯びた物語です。作は馬淵悟さん、絵は柳本杳美さんで馬淵さんの奥さんです。ドンゴロスは実在したネコでした。

「(日本各地で)ドンゴロス見たよ、と言われて、こんなところまで行っているんだと。デジタル絵本をやっていておもしろいのは、そんなところですね」

子どもゆめ基金の助成で本格始動

プライベートから始まったデジタル絵本ですが、2001年2月には国際デジタル絵本学会が発足、子どもゆめ基金からの助成を得て本格的に動き始めます。まず題材探し、そして物語づくりです。

「地域の民話は、文字にすると1行か2行というのが多いんですよ。たとえば寿都(すっつ)町に伝わる『佐渡のゴマ石』という話は、もともと淡路島の石が、船を安定させる重しに使われて佐渡にわたり、それが漬物石になって寿都に来た、という程度です。それをストーリー化するのがけっこう大変な作業なんです」

できた物語は必ず地元の人に確認してもらいます。すると「そうだった」と思ってくれる。漠然としていた言い伝えが、文字というはっきりした形になるのです。

「確認作業をきちんとやるので、1作ができあがるのに3ヶ月4ヶ月はかかります」

文ができると次は絵をつくります。文については馬淵さん自身がその大半を担当しましたが、絵を描いた人はさまざま。セミプロの人もいますが、ほとんどはふつうの人々です。

「あんまりうまい絵が続くと、疲れるかなという感じがします。うまいかへたかといわれれば、ほとんどがへたなんでしょうが、その分、暖かみがあると思うんです」

後志の寿都町などでは小学生たちにも描いてもらいました。馬淵さんが文をつくり、それに沿って山田さんが1枚ごとに大まかなラフを描いていき、それをもとに小学生たちが絵を描きました。

むかしの体験が言葉と絵になって

十勝の清水町では開町100年記念事業の「清水町民話集」づくりの一部としてデジタル絵本が組み込まれました。馬淵さんたちが町民から取材して物語をつくり、それに合わせた絵を描いていきます。

イメージ(水津さん(左)と白石さんは地元コンビ)
水津さん(左)と白石さんは地元コンビ

その中に「ひとだまとキツネ」という絵本があります。題材を提供した話者は同町御影(みかげ)に住む水津久人(すいつひさと)さんで、絵を担当したのが白石(しろいし)朝子さん。同じ地域に住む80歳代と20歳代というコンビによる作品でした。さまざまな理由があるのでしょうが、絵を地元の人が担当することはあまりなく、清水町の「ひとだまとキツネ」はめずらしい例だそうで、馬淵さんも高く評価しています。

これは水津さんの実話です。1933(昭和8)年、水津さん家族は島根県から、清水村の山間部に入植しました。久人さんは、ひとだまが出ると聞いては1人で墓地に行って確かめるという好奇心旺盛な少年。あるとき肉や油揚げを持って山に入った人がキツネに化かされて道に迷い、朝になっていたという噂が聞かれるようになって、食べ物を持った人は山に入らなくなりました。

そこで久人少年はさっそく釣った魚を背負って山に入ります。山道を歩いて疲れたので、道の向こうに見える白樺のところまで歩いて休もうと思いますが、なかなかたどり着けません。そのうち山の奥まで迷い込んでしまったらしく、辺りは真っ暗になってしまいました。

疲れ果てた久人少年はキツネに呼びかけます。

「おーい! 魚が欲しいんならあげるよ。えさが欲しくて人をだますのかい? そんなことをしたらきらわれるのに。魚はやるからもう家に帰してくれ」

すると、ふと気がつき、家の近くの川の中に座り込んでいたのです。魚は残っていました。

そんな話を白石さんが絵にしました。闇の中の淡い光、その中にたたずむ少年などが描かれ、化かされるという人間心理がうまく表わされています。白石さんも水津さんが子どものころ暮らした山間部に近いところで育ったので、山の雰囲気はよく知っていました。ただ当時のカンテラのデザインなどが分からなかったので、図書館で調べ、水津さん宅を訪ねて確かめてもらったそうです。

イメージ(夫婦そろってキツネ体験が)
夫婦そろってキツネ体験が

水津さん家族は入植して数年後に平野部に移り、現在は酪農を営んでいます。白石さんとともにご自宅を訪ね、お話をうかがっているうちに、奥さんの静さんから興味深いお話しを聞くことができました。

「油揚げを持って川の中にいたおじさんの手を引っ張って助けてあげたことがあるんです」

終戦の年だそうです。子どものころ“キツネに化かされた”ことがある人と、“化かされた”人を助けたことがある人が夫婦なのですから、不思議といえば不思議です。デジタル絵本では、今のままでは埋もれてしまうこうした体験も言葉になり、絵になって残されるのです。

異文化理解のために

馬淵さんはこのデジタル絵本の特徴に、正確さをあげています。

「一応、学会ですので文化的背景のチェックを徹底しています。北前船1つ描くにも、写真などをたくさんそろえて、作画する人に渡します。トウモロコシの色にしても、日本では黄色だと思ってしまいがちですが、その国ではいろいろな色でまだらになっているとか。土の色、緑の色がちがうとか、そんなところを徹底させています」

国際デジタル絵本学会の絵本では、民話の掘り起こしと同時に翻訳に大きな力を注いでいます。学会の設立趣意書の冒頭にそのことが明記されています。

「絵本などの児童向け文芸は、世界各地の地域の価値観、美的意識、人生観、宗教観などの文化を簡潔に表現しており、異文化理解をする上に於いて非常に有効なものである。国際デジタル絵本学会は、子どもたちが幼い頃から、他国の文化に触れられることを願い、絵本などをインターネット配信することによって、子どもたちが世界の文化理解を深めることを目的としながら、そのための研究を増進する」

中国語、スペイン語、ノルウェー語、ドイツ語、スウェーデン語、英語、インドネシア語、韓国語、アミ語(台湾アミ族の言語)、イタリア語、フランス語とその数は11言語にのぼります。

翻訳はさまざまなルートを使って依頼しています。やらせてくださいという申し出もありますが、ネイティブに確認してもらえることが条件で、いきおい日本人と外国人の夫婦が多くなりました。

イメージ(英訳のほとんどは山本さんが担当)
英訳のほとんどは山本さんが担当

英語についてはほとんどをインターカレッジ札幌の山本基子さんが担当しました。山本さんは神奈川県横須賀フ米軍基地内にあるメリーランド大学(日本校)で18年にわたって日本語講師をするなど経験豊かです。もちろんネイティブによるチェックは受けました。

固有名詞や地名はほとんどそのまま使いましたが、中には変えざるを得ない固有名詞もあったそうです。「ドンゴロス」がそうでした。

「ドンゴロスという言葉の響きが、日本語と英語ではちがいますよね。ダングリーに変えました。それに『かちかち山』のカチカチとか『おむすびころりん』のコロリンとかは英語の響きではピンときません。それに翻訳一般にいえることですが、日本語は主語がなくても分かることが多いんですが、英語ではそれを補わなければなりません。でもダラダラ長くしたくない。また英語は韻を踏むことが多いので、できれば使いたい。そういうところに時間がかかりました」

ちなみに「かちかち山」は「クリック クリック マウンテン」に、「おむすびころりん」は「ザ ライスボール ロールド ダウン」になりました。

英語圏の人々とのつきあいが長い山本さんは、国際デジタル絵本学会の取り組みについて次のように感じています。

「英語だけにとどまらず、アジアなどの言葉になさっていらっしゃるのはすごいと思いました。どんどんアジアなどに発信して欲しいし、その逆もして欲しい。赤ずきんちゃんとか、私たちが小さいときに接したものも、子どもたちに見せてきたものも欧米の童話がほとんどでした。漫画にしたって英語圏のものがほとんど。英語をやっている私が言うのもなんですが、中国、韓国、タイなどアジアのものをどんどん入れて欲しいと思います」

音声化は試行錯誤の連続

こうして訳された文章のうち30作は音声化されました。担当したのは札幌サウンドアート専門学校(当時の名称は日本エンターテイメントビジネス専門学校)の下田美咲子校長と技術担当の山田京士講師。学校内のスタジオで録音しました。真の静寂を必要とする朗読の録音は初めてで、思いもしない苦労があったようです。

「まず大変だったのが、騒音でした。音楽なら車が通る音とか鳥の鳴き声などはほとんど気になりません。ところが静かなところで朗読を録ると、聞こえてしまう」(山田さん)

イメージ(日本語の朗読を担当した下田さん)
日本語の朗読を担当した下田さん

「耳では感じていなくても、プレイバック(再生)してみると、あれ、この音なにかな、と。この辺はカラスが多いのでカラスの鳴き声は分かるんですが、この音はいつしたんだろうねということがありました」(下田さん)

それにもう1つ苦労したのが英訳の変更です。

「送られてきた台本で収録するんですが、録り終わってって英語を担当した人が本国に帰ってしまったあとに手直しした台本が届いたこともありました。ほかの人の声だと一からやり直しになってしまう。締め切りが迫っているので、パソコンを使って単語をほかのところから持ってきて切り貼りしました。そんなことが数回ありましたね。編集に時間がかかりました」(山田さん)

これも締め切りの関係でしょうが、収録時にはまだ絵ができていません。音と絵が同時進行したのです。
「実際に絵を見てだったら語りかけるように読めたんでしょうが。できあがってみて、ああこんなふうになるんだと思いました。もう少し、ああしたかった、こうしたかったというのがあります。でもいい勉強をさせていただいたなと思います」(下田さん)

イメージ(録音担当の山田さん)
録音担当の山田さん

「技術的にも試行錯誤で進んでいったんですけれども、いい経験になりました」(山田さん)

こうした完成時の心残りは係わった人々の多くが感じていることのようです。英訳した山本さんもこう言います。
「いま見ると、まだまだ直したいというのがたくさんあるんですよ」

作品づくりに携わる人々が共通して抱く感情なのでしょう。

音声画面のソフトウェアはゲームソフトなどで有名な札幌のハドソンが担当しました。こうして札幌を中心とした多くの個人、団体によってデジタル絵本サイトはつくられ、世界中に無料公開されています。

デジタル絵本は次の段階へ

じつにさまざまな使い方があるようです。
「学校などから授業で使っていいですか、という問い合わせが来ますが、非営利なのでご自由にお使いください、と。埼玉の医療関係者からは『因幡(いなば)の白ウサギ』が再生医療を最も簡単に言い表している最も古い例なので、生徒たちに教えたい、だとか」

絵本の著作権は国際デジタル絵本学会が管理しており、大部分の原画は馬淵さんの研究室が保管しています。

非営利活動で使用する分には問題ありませんが、営利活動では著作権料を払ってもらっています。実際にデジタル絵本をもとにタイ語と日本語が併記された紙の絵本が誕生し、販売されています。

学会の活動としては、絵本の制作が一段落し、その翻訳を増やしている段階。また学会が直接絵本をつくるのではなく、各地域でのデジタル絵本づくりを支援する方向に向かいつつあるようです。すでに清水町や寿都町では町のホームページにデジタル絵本が掲載されています。

この学会が先導役とな閨A埋もれつつある各地での話が掘り起こされ、絵本という子どもでも分かりやすい形になって世界に発信されれば、相互理解に大いに役立ってくれることでしょう。しかし子どもゆめ基金などからの助成が終わり、学会の動きは鈍くなっているようです。今後この活動への理解がこれまで以上に広がり、資金を含めた各方面からの支援を必要としていることも事実でしょう。

関連リンクデジタル絵本サイト Digital EHON Site  http://www.e-hon.jp/

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