「ウェブマガジン カムイミンタラ」2号で紹介したように2004年秋、胆振の穂別町で「田んぼdeファッションショー」が開かれ、翌2005年には映画「La riziere」(ラ・リズィエール)となって公開されました。主役のファッションモデルたちは平均年齢74歳。そしてそのファッションを担当したのが(株)特殊衣料でした。(※2006年3月27日に穂別町は鵡川町と合併し、むかわ町になる予定)
2005年の「さっぽろ雪まつり」。会場を視察する小泉純一郎首相と高橋はるみ知事の姿がテレビで放映されました。雪の降る中、首相は茶色の帽子、知事は白の帽子姿です。この帽子が特殊衣料の保護帽「アボネット」でした。
特殊な器具を付けて体の不自由さを体験する疑似体験セット。看護・介護の講習だけでなく小中学校の学習現場などでも幅広く使われています。その「高齢者疑似体験セット」や「片マヒ体験セット」を製造販売しているのも特殊衣料です。
世界市場でトップシェアを占めたり、独自の商品開発で売上げを伸ばす道内企業にほかの企業の手本になってもらおうと道庁が2004年に認定した「元気の素(もと)発信企業」。その50社に特殊衣料が入りました。
2005年「社会福祉法人ともに会」という知的障がい者の新しい通所授産施設が誕生しました。その建物は特殊衣料の隣に位置し、理事長は同社社長の池田啓子さんがつとめています。
2006年、札幌市は高齢者の交流の場づくりなどを行っている4団体に対し「シニアサロンモデル事業」として費用の一部を補助することになりました。その中の1つ「はっさむいきいきサロン」は特殊衣料の建物内にあります……。
こうして見てくるとこの会社は名前から連想される福祉関係の特殊な衣料品だけでなく福祉用具のメーカーであり、さらに福祉自体そのものにも手を広げていることが分かります。ただ事業の幅が広すぎて、その全体像を把握するのは容易ではありません。
そこで同社を訪ね、取締役統括部長の藤本欣也さんに整理して話してもらいました。すると帽子や疑似体験セットといった福祉用品以外にも同社が行ってきたさまざまな革新的な取り組みを知ることができました。
同社が誕生したのは約30年前の1979年。2年後には株式会社特殊衣料が設立されその3年後、84年には現在地に社屋・工場を構えます。
創業者は現社長のおじにあたる田中弘さん。病院向けの布おむつやシーツ、タオルなどいわゆるリネンのクリーニングが本業でした。
「当初は布おむつがほとんどだったのですが、紙おむつに替わってきたので、タオル類やシーツですとかのリネンに広がっていきました。また札幌市内の病院の入院患者さんの家族が札幌に住んでいるとは限りませんので、病衣は貸してもらえてもシャツ、パンツは自分で用意しなればなりません。それでシャツ、パンツ、衣類などのリースと私物のクリーニングをしています」
こうしたクリーニングは入院患者が利用者なので数が多いだけでなく頻繁に入れ替わります。リースのタオルなどは無くなっても大きな問題ではありませんが、私物が紛失するとなると大変です。また料金にしても、その日に退院が決まってすぐ精算を、というとが起こります。
そこで同社が独自開発したのがバーコードを利用した管理システムです。クリーニング品にバーコードを付け、その数字情報ですべてを管理し、急な精算にも対応できるようになりました。
「バーコードではなくICタグにすれば、誰の持ち物かといった細かい情報まで入ります。でもクリーニングに耐えられて安いICタグはまだできていないようなので、今後の課題です」
創業当時から現在まで病院向けの衣料品クリーニングが業務の柱ですが、それにとどまらず、社員が常駐してリネンの管理まで受け持っている病院もあります。それぞれのニーズに合わせ、最新技術を取り入れながら、本業のさらなる進化を目指しているのです。
第2の柱は病院施設などの清掃業務です。同社が行うのは「デンマーク式清掃」。従来の床清掃とはちがった合理的で衛生的な方法です。
「ある大きな病院から清掃をやってくれないかと話がありまして、いろいろ調べてみましたら、病院も普通のビル清掃と同じ方法でやっていました。これは確かにおかしいぞと、デンマークに研修に行ってその方式で始めました。コストはかかりますが」
床の清掃といえば、モップにスクイUー(しぼり機)がついたバケツですが、何度も使っているうちに水はどんどん汚れます。凝縮された汚水で拭き掃除をすれば清掃どころか汚れを拡大しているだけ。しかもその汚れには有害な細菌などが含まれています。
同社が行う床掃除では1つのモップに2つのバケツを使います。床を拭いたモップは1つ目のバケツに入れて汚れを落としてスクイザーでしぼられます。次に清水の入った2番目のバケツに入れられ、しぼられたモップで床を拭きます。それがまた1番目のバケツに入れられ、すすいでしぼって2番目のバケツに…ということを繰り返します。1番目のバケツはどんどん汚くなりますが、2番目のバケツはそれほど汚れません。同社では病院の区域ごとにモップやバケツを別にして使用し、定期的に自社でクリーニングしています。
またデンマーク仕込みの「空間清掃」も行っています。
「床だけでなくドアのノブであったり、棚であったり、立体的に清掃するのが『空間清掃』です。MRSA(メチシリン耐性黄色葡萄球菌)やノロウィルスといった院内感染が問題になっていて、病院内の『感染委員会』などにもうちのスタッフを出させていただいているんです」
「デンマーク式」は先進的ではありますが、聞いてしまえば、当たり前のようにも思えます。ただコストがかかることもあって、こうした面がおろそかにされていたことも事実でしょう。病院側にとっても、相談できる企業があまりなかったのかもしれません。
同社の3番目の柱が福祉用具。その開発から製造、そして販売まで一貫して手がける道内で唯一の会社であり、レンタル業務も行っています。
年をとることによる体の衰えを体験する「高齢者体験セット」や脳の疾患によって体の半分がマヒする状態を体験する「片マヒ疑似体験セット」。学校の授業やさまざまな講習では時間が限られているため、より短い時間により多くの人々が体験できるよう、改良を重ねてシンプルで簡単に装着できるようにしました。
またオリジナルビデオをつくり、装着方法だけでなく具体的な指導方法や体験方法を盛り込んで、セット自体が講師の役割を担えるようになっています。販路は全国に広がり、これまでの累計は1000セットを超えました。
小泉純一郎首相、高橋はるみ知事、上田文雄札幌市長もかぶった保護帽「アボネット」は冬道での転倒という北海道ならではの事情から生まれました。現在は外出用の「シティ」、屋内用の「ホーム」、スポーツ用の「スポーツ」などとシリーズ化され、さまざまなシーンで使えるようになっています。
名前はボンネットという帽子一種(クルマにも使われる)に由来する造語です。札幌市立高等専門学校の学生たちに公募しました。アボネットのボは母に通じ、母の胎内で守られるといった意味も持たせています。
このアボネットの評価は高く、2003年には道庁などが主催する「北の生活産業デザインコンペティション」で最優秀である大賞を受賞、日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞も受け、その評価は全国レベルに至りました。
こうした用具は産学官連携で開発されてきました。札幌市立高等専門学校や福祉関係者、デザイナーなどが一体となって開発・改良に取り組んできたのです。また病院や福祉関係者との交流によって、そのニーズを的確に捉えてきた結果でもあります。人と人とのつながり、そして信頼関係が新たなニーズを発見させ、そしてそのニーズに応じた新たな製品が社外との連携によってつくり出されていくのです。
次に始まっているのが新たな冬道用の杖の開発です。杖は高齢者や障がいをもつ人々に広く使われています。ところが雪や氷で滑りやすい冬道用となれば、普通の杖の先にアイスピック状や王冠状の鋭利なアタッチメント(取り付け金具)を付けるしかありません。雪や氷がない道では鋭利な部分を折りたたむのですが、健常者でもなかなかめんどうです。そしてアタッチメントを取り付けたままだとズボンのすそに引っかかって転倒するなど危険が伴います。
そこでボールペンのように鋭利な部分が簡単に出し入れできないか。その場合も軽く、使いやすく、そして低コストが要求されます。
「雪がこれだけ降る大都市は世界でも札幌だけのようですが、道路が凍結するところでは絶対必要です。いいものができれば販路も大きく開かれると思っています」
同社が行っているのは病院関連のクリーニングや福祉器具の製造販売といった「実業」にとどまりません。会社に知的障がい者を積極的に受け入れ、2000年には一般企業で働けない障がい者のため社屋内に「小規模作業所ともに」を開設、2005年には「社会福祉法人ともに会」(池田啓子理事長)を立ち上げ、社屋隣に「知的障がい者通所授産施設ともに」(相沢瀏=きよし=施設長)を設置しました。藤本さんも理事の1人です。
「去年の7月にオープンさせた施設は、知的障がい者の自立支№ レ的にしています。就労を目的にしていますので、自力で通い仕事をする体力を養い、マナーなども学んでもらう。当社も12年前に迷った末に知的障がい者のかたがたに入社してもらいましたが、大きな戦力になっています。多くの企業のかたがたにも知的障がい者が戦力になるということを知ってもらい、これだけのレベルの仕事ができます、ということをアピールする施設でもあるんです」
同社では1991年から知的障がい者を受け入れ、現在はパートを含めた全従業員約140名のうちの24人にのぼっています。企業内部で培われてきた経験を、ほかの障がい者や企業に広げていこうという壮大な試みが始まったのです。
新施設は定員30名。クリーニング関係や病院などの清掃といった特殊衣料の仕事を受け持ってもらうほか、袋詰め、ハンコ押しなどさまざまな企業から仕事をもらい、訓練に役立てています。
「将来、企業に就職してもらうための施設ですから、ちゃんと8時半から5時15分まで働いてもらうようにしています」
授産施設の中には朝は9時半から始まるといったのんびりしたところもあるそうですが、少しでも一般企業の厳しさに触れてもらうため、きちんとした時間割を決めています。
一方の小規模作業所には6人が入所しており、午前10時から午後3時まで。通いで簡単な仕事をしてもらっています。
「障がい者のかたがたは(肉体的な)高齢化が早いのです。せっかくうちの会社で働いてもらったのに、やめてもらうのは忍びない。でも行き場がないということで開所しました」
そして昨年、隣の授産施設と同じころにオープンしたのが「はっさむいきいきサロン」でした。家にこもりがちな高齢者たちが集い、自然に知的障がい者たちとも交流ができればと開設されました。場所は社屋内にもともとあった「はっさむ快護ひろば」。介護用品を展示し、その場で使ってみることができるスペースです。サロンのときには天井から垂らされるロールスクリーンで展示品が隠されます。
ボランティアが運営委員会をつくって運営、地域の人々が集い、ときには社員や隣の授産施設からも参加するサロンとなります。2006年2月の予定表を見てみるとノロウィルス予防対策セミナー、住宅相談、手話の教室、ずぼら健康体操、手打ちそば体験、ボール体操、ストレッチ&ダンス、コラージュ、介護体操、ひとり語り、ギター演奏会、…と多彩です。
多数が参加できる音楽などのイベントは昼の12時30分から午後1時30分にセットされ、30分ずつの2部構成。1時までの30分は社員や授産施設から参加して楽しめるように、という配慮です。
「ピアノなどいろいろ寄贈していただいています。1人で来ても居場所があるようにと、お隣の高宮工芸さんから机状のカウンターもつくっていただきました。とくに男性なんかは、女性たちからちょっと離れていたい、と思うこともよくあるようなので。カウンターには本を置いて自由に読めるようにしました」
同社ではインターネットのホームページを充実させていますが、そのアドレスはwww.tomoni.co.jpです。社会福祉法人ともに福祉会のホームページはwww.tomoni.biz。双方ともtomoniという文字が使われています。「ともに」の理念は「ともに輝くために」「ともに働き」「ともに支え」「ともに喜び」「ともに歩み」「しあわせの和を広げます」だそうです。
病気に倒れた人々の布おむつの洗濯から始まり、患者や病院の要望を受けてクリーニング品の管理や料金計算システムをつくり出し、さらに清掃業務やリネンの管理業務まで幅を広げました。介護用品では販売・リースから疑似体験セットや保護帽といった、役に立つだけでなく使いたくなるような製品を開発してきました。障がい者たちを会社に受け入れ、その経験をもとに新たな障がい者たちを育てて社会参加させていく事業も始まりました。またサロンをつくり孤独になりがちな高齢者の新しい生き方まで提案しています。そして、こうした試みを実現させるため外部の人々や団体、企業に協力を求め、連携してきました。
同社の軌跡はまさに「ともに」の理念そのものです。本当のしあわせを追究し、何が必要かを見極め、それによって利益を生み出し、社会に還元しています。もうけだけを求め「ともに」の理念などまったく消え去った企業が目立つ現代にあっては特にキラリと輝いて見えるのです。
(株)特殊衣料 代表取締役社長 池田啓子さん
仕事は主婦の発想から
(これまで行ってきたことは)決して高い思想からじゃないんです。たまたまなんですよ。雪印乳業の北海道支社に勤めておりまして、結婚しても定年までいようと思ったんですが、出産を機に退職して専業主婦を10年しておりました。
主人も私もお互いに末子なんですが、それぞれに事情があって双方の母を一緒に家に迎えることになりました。女が3人になったんです。そのときに叔父から会計のアルバイトに来ないゥと言われて、パートの勤務から始まりました。
クリーニングと衣服などを特注で作っていて、仕事はおもしろかったです。手芸程度のことをしていましたし、そのころは自分の洋服も子どもの服も手作りしていましたので。クリーニングでは家庭で洗濯するのと同じように入院している患者さん、老人ホームの方々にもと。従業員には自分の母親に着せれるものとして洗いなさいと言っています。すべてが主婦の発想で、そこが基本でした。
主人は外で働くことには反対でした。ただ母たちの応援がありました。自分たちが病院に行くときの足になってもらいたいからクルマの免許を取りなさいと。免許をとってすぐに叔父から勤めの話があったときにも、主婦が3人もいらないから行きなさいと。
助けられ、励まされ
私の母は6年間闘病生活をして他界しましたが、そのときもずっと働いていました。3時まで勤務して、3時から病院とか。1ヶ月間付きっきりで看病したこともありましたが病院の婦長さんたちにも助けていただいて、びっしりいなくてもいいよと。
主人の母は私の母の状況を見ていましたので、病院には入りたくない。心筋梗塞を患って入院してすぐ家に戻って、7年目で他界しました。最後は救急車で運ばれて、病院で息を引き取ったのは残念でしたけれども。このときも近所のかたがたにもに支えていただきました。
昭和59年(1984年)にパートで入社して、課長、そして平成3年(1991年)に専務になりました。主人はとにかく反対でしたが、専務になるときは障がい者の人たちを雇うときとほぼ同じ時期で、障がい者の人たちを一生めんどう見る気があるのだったら専務になれと。私をいつも励ましてくれたのは障がいを持つかたがたです。それに一緒に働く楽しさですね。
その障がい者雇用も、高い思想からではなく、養護学校の先生のおすすめで、人手不足ということもあり踏み切ったのです。でも今の会社があるのは彼らのおかげです。完全に企業の戦力として働いてくれています。知的障がいを持つ人の適性にクリーニングの仕事が合うんですね。
洗濯物から見えてくること
クリーニングをしていて患者さんの洗濯物から感じ取れることがあります。なぜ破れるのか、なぜここが汚れるのかとか。うちは洗濯物のメンテナンスもしていますので、なぜここが破れやすいのかとか、金具のところが破れるので金具を代えようとか。
それを把握して病院を訪問するんです。こうしたらどうでしょうと、介護の現場でこれだったら助かるというものを提案します。タオルなどそれまで自宅から持ってきていたのを全部リースしますという発想もそこで生まれました。
病院も施設もやはり洗濯や清掃などは一般家庭と同じだと私は思うのです。心地よい洗濯をする。心地よい環境を作るという部分では。自分の親であったら、自分であったらという視点でとらえ、それをお客さんの立場に置き換えれば方向性は決まってくると思います。
福祉用品は自分で工夫して、買うのは最後
現在の売上は福祉用具が58%、クリーニングが30%、あとは清掃など。福祉用具にはレンタルも入っています。
マンパワーのホームヘルプサービスはありがたいですけれども、私なら最後はお願いしますが、その前に自分で道具を使って自分でやれることをやって生活したいという思いがあります。病気になった母2人から事あるごとに「済まないね、済まないね」とに言われたんです。それって心に重く響くんですね。それでイスに座ったままで新聞などが取れるように、洗濯物の針金ハンガーで引っかけ棒をつくったりしました。人に頼まないで生活できることが一番だと私は思っていますので、そのための道具を見つけていく。なければ作る。買うことは最後でいいというのが私の持論なんです。
福祉用具というのはフィッテングというのが難しいんです。合うかどうか。それでまず身近なもので試してみる。私なんかは100円ショップでそれに近いものがないか探してきます。タンスの肥やしになっている衣類は自分の着やすいようにリフォームしたらどうでしょう。老人ホームなどでは、持ち込める財産は限られていて、ほとんど家に置いてこなければならない。そのときに自分の一番大事な着物をリフォームしてパジャマの上に着るとか。なにも仕舞っておく必要はないと思うんです。
お店に行ってもなかなか合うものがなく、オーダーするととっても高い。そうであればハサミを入れてリフォームをするほうが早い。それでリフォームの提案をして、それでもなかったら購入しましょうと。それでずっとやってきました。
実情に合った施策を!
これは介護でも、障がい者の雇用でも同じだと思いますが、障がいがあるから仕方がないんじゃないんです。障がいを克服することが改善になるんです。今できないことを、できるようにするにはどうしたらいいんだろう、から考えるんです。
4月から介護保険制度の改正が始まります。今まで介護認定を受けていたかたの要支援と介護1というかたが制度から外れます。そうすると今まで借りていたベットや車イスなどを返さなければなりません。もちろん100%負担なら使えますが、金額が大きいですからほとんど回収です。厚生労働省はそれを介護予防として、足腰を鍛えて自立しましょうという表現なんです。
たしかに悪い業者もいました。必要もないのに1割負担でベットが使えて、車イスも住宅改修もと。でもそこだけを取り上げて、やっていただきたくない。ケアマネージャーが決めて必要なものを供給したはずです。それを引き揚げるということについて国はもっともっと慎重であるべきじゃないかなと思います。今まで使っていた木製ベットを捨てて介護保険制度のレンタルを導入したかたもいるんです。ベットを返却したらどうなるのでしょう。またベットを買わなくてないけないんでしょうか。そうした声を我々はもっと出して行くべきじゃないかと思っています。
穂別の老人たちに共感
穂別の「田んぼdeファッションショー」で一番私が共感したのは介護とか福祉とかに関係ないところでお年寄りたちの元気を引っ張り出していたことです。楽しいことをすることがいつの間にか生きがいであって、歩くことも出かけることも楽しくなる。これが一番だと思います。
あれが本当の生きがいづくりだと思うんです。一緒に共感して、拍手がもらえるということが。それに穂別の人たちはとっても柔軟な精神を持っていて「俺たちに明日はない」「何も怖いものはない」ですから。自分たちがしたいことをするんだと。
「はっさむいきいきサロン」は会社がやるのではなくボランティアのかたがたと運営委員会をつくって、たまり場にということで始まりました。そば打ちだとか音楽だとか講師のかたがたには困らないほど来てもらっています。
正直、楽しいです。お昼にちょっと来て音楽が聴けたら、ああラッキーだったなと。仕事以外のふれあいということで私もホッとする場所です。そしてここは利益を生まないので、仕事を頑張らなくちゃと思うところでもあるんです。
1人1人が豊かに人生の終わりを迎えるために
2012年には病院の療養型のベットが半分になります。財源がありませんので国の施策として療養型で入院している社会的入院といわれているかたがたのベットが減るんです。そうすると家に戻るしかないですが、戻れる環境にあるかどうかは難しい。
知的障がい者もそうなんです。脱施設ということで、今ある入所施設をなくして地域に出て自立しなさいと。それはとってもかっこいい言葉に聞こえるんですけれども、その代替になる受け皿となるとなかなか。
北海道は全国で一番、病院で亡くなる人が多いんですが、これからは自宅で看取りましょうということに変わってきます。その環境があるかどうか。看護する人とか場所とかをみんなで考えていかなくてはいけない。洗濯も清掃も、食事もですね。1人で暮らしていてもそういったサービスが受けられるシステムも。1人1人が人生の最後をどこでどのような人たちの中で心豊かにということを真剣に考えていかなければと思います。
(株)特殊衣料
〒063-0834 札幌市西区発寒14条14丁目2-40
電話:011-663-0761 FAX:011-663-0955
社会福祉法人 ともに福祉会
http://www.tomoni.biz/