ここ数年、書店で、特にビジネス書の棚には、「~力」と題した本を多くみかける。ためしにアマゾンで「力」をタイトルに含む書籍を検索してみると、約7,800件。「読解力」「英語力」などという受験生に必要そうなオーソドックスなものから、「仕事力」「質問力」といった熱血ビジネスマン向け、はては「借金力」「50歳力」など何の役に立つのか一見わからないものまで。
多くの著書がある齋藤孝氏にも「読書力」「コミュニケーション力」などがあって、それらが不足しがちだという現代人に身につけるためのノウハウを説いている。
山岳地や自然公園の管理を研究しているうちに、実践の大切さを痛感し山のトイレ問題で市民活動のお手伝いをするようになった。都市内の公園でも、子どもや体の不自由な人、お年寄りの視点に立った研究を心がけている。
そんな私が常々大事にしたいと思うのが、「想像力」。自身の行為や態度の顛末を想像し、より良い方向へ修正をはかれる力だと考えている。
最近まで、多くの登山者は、自然を楽しんでいる自分たちが破壊する側に回る場合もあるなんて、気づいていた人は少なかった。便利さを優先して、まちなかで子どもたちが安心して遊べる場所が少なくなりつつあることを、想像できている大人は多くない。万人がくつろぎ、憩う場である公園が、体の不自由な人々にいかに不便であるかを想像して、設計や整備に配慮が行き届いている例も少ない。ちょっと視点を変えてみると解決策の糸口が見えてくる、そんなことが私たちを取り巻く環境問題には多い。
しかし、いったん決まっている枠組みや立場にとらわれると、ことの顛末が「想像」できても、改善へ向けて一歩踏み出すのは難しかったりする。
このエッセイを書いているときに、ちょうど某ホテルチェーンによる、建築基準法およびハートビル法違反が話題となった。ただ単に法令違反が問題なのではなく、彼らの行為が体の不自由な人々の外出する権利と意欲を侵害していることを想像できていなかった。私からみると、出入り口から近いからといって身障者用駐車スペースに安易に車をとめている健常者のドライバーも同罪だ。
私たちは、つい、自分たちの視点でのみ物事の評価を下しがちだが、異なる立場からのものの見方を「想像」する力が、複雑化する社会を新たに「創造」していくと信じたい。