私がはじめて大雪山を訪れてから、早半世紀が過ぎた。山岳写真家としての歩みとも重なるこの歳月をふり返ると、様々なことが思い浮かぶ。しかしこの山は一度たりと飽きたという感情が湧かず、通えば通うほどまた登りたいという気持ちが募るのはなぜであろうか。
先住民族アイヌの人びとの民話に彩られ、訪れるものを母の豊かな胸で包み込むような和らぎを与えるこの山は、夏、残雪を配した山肌に信じがたいほどの規模で高山植物が咲き、まさにカムイミンタラ、神々の遊ぶ庭である。秋、他の追随を許さない鮮やかな原色の世界が全山を覆い、冬、激しい風雪で磨かれた山肌は荘厳なまでに輝き、神々の庭という雰囲気が漂う。この四季折々に魅せる景観は、超一級の山岳美を示し、世界に誇るという形容がこれほど似つかう山はない。
ところで私は、各地の景勝地を訪れ歩く機会が多くなり、その折、いつも残念に思うことがある。各地にはそれらの自然の魅力を紹介するフォトミュージアムなどの施設があり、多くの人々で賑わい、大きな成果を上げているのに、この大雪山には皆無であることだ。この世界に誇る大雪山を一人でも多くの人々に知ってもらうためにも、また写真美術の発信という文化的見地からも、こうした施設は重要である。私はこの地に「大雪山写真ミュージアム」の必要性を強く感じ、長いあいだ将来の夢として考えてきた。
なお予定地としては、上川町層雲峡温泉がどうかというのが私のかねてからの思いである。黒岳登山口をかかえる層雲峡温泉をはじめ、愛山渓温泉、高原温泉、銀泉台など多数の登山基地を有する、大雪山登山の中継基地的存在の上川町があり、そのなかでも交通の要衝である層雲峡温泉が適地と考えていたからである。
これまで以上に文化的発信が必要であることに、関心を払わなければならない時代になってきた。幸い、ご当地の層雲峡には、かねてより耳をかたむけてくれる相手がおり、このたび「大雪山写真館構想」として投げかけがあった。程度・内容はこれからにしても、具体的な歩みだしへの手ごたえを感じることは、私にとってはうれしい知らせと受けとめている。
いずれにしても、こうした思いがさらに広く大きな流れとなり、夢のままで終わらぬよう願っている。