12年前の初夏のことです。工藤マサエさんは、鷹栖町が町民を対象に「総合健康診査」をおこなっていることを知り、当時80歳のお母さんを受診させるため、会場に付き添って来たときです。
みたところ元気そうな人たちが大勢、心電図や胃バリウムなど12項目もの、とても地区の公民館でおこなっているとは思えないほどくわしい検査をしているのです。
「私は健康だけれども、せっかく来たのだからついでに受けてみましょうか」と、軽い気持ちで受診してみて目の前が真っ暗になりました。糖尿病と診断されたのです。
工藤さんは、当時48歳。やっとマイホームの念願がかなって旭川市内から鷹栖町に移り住むようになり「さあ、これから…」という矢先でした。すぐ旭川厚生病院へ行き、くわしく検査してもらいました。
「食事療法をしないと、どんどん進行しますよ」。医師の言葉が、胸に突き刺さるようでした。だからといって、工藤さんには自覚症状はまったくありませんが、医師の言葉に従って、食事療法、それに美容体操やなわ跳びを始めてみました。すると、なわ跳びなど10回も跳べないのです。糖尿病のせいか、150センチを少し超えた程度の身長なのに体重は60キロもあって、からだはすっかりなまっていたのです。
その後、公民館で『生命の貯蓄体操』というのがあるのを知りました。「これなら私にも無理なくできそう」ところが、はじめの3回までは足がふらふら。歩いて家へ帰れないのです。それでも頑張って通いつづけました。
半年後、工藤さんの体重は10キロも減っていました。血糖値もどんどん下がり、医師も驚くほどの回復ぶりです。
「今は食事療法などいっさいしていません。生命の貯蓄体操は、自然治癒力をつけてくれるのです」
工藤さんは、現在、この体操三段。東京以北最高位の腕前です。週に1回、講師となって後進の指導にあたっています。その工藤さんが語ります。「最初、主人や長男夫婦は、この町に住むことにはあまり乗り気ではなかったのです。それでもなんとか宅地を手に入れ、今では次男夫婦もこの町に住みたいといい出して、もっと広い土地を買っておかなかったことを悔やんでいます」
工藤さん一家にとっては、鷹栖町が町民の健康問題に力を入れている町であることが、とても気にいっているのです。
旭川駅から北西へ約13キロ、春光台をひと越えすると盆地状の水田地帯が広がります。面積は137.8平方キロ。遠く東に大雪山連峰を望み、町の中央部をオサラッペ川が流れています。肥沃な土地は48%までが耕地として開かれ、水田がその86%を占める米作地帯です。1969年(昭和44)に町制が施行され、現在、人口は約2,000世帯、7500人。世帯数の半分は農家です。その町が18年前の1967年(昭和42)、小林勝彦町長(当時は村長)を中心に「健康を第一に考える町づくり」に取り組んだのです。
市街地の一角に建つ白い町役場庁舎―町民が利用しやすいようにと1階ロビーの正面に保健指導係があって、職員たちが忙しそうに仕事をしています。5人の保健婦と栄養士、事務職員が3人。庁内でもっともスタッフの多い係です。ロビーの左手には保健相談室が。ここには全町民の健康戸籍簿といわれる健康カードが大切にファイルされ、その記録を見ながら保健婦とじっくり相談できるようになっています。
このカードには病歴や健診の結果、健康相談の経過などが集中して本人の記憶よりも正確に記載されています。健康に不安を感じたとき、病気にかかったときに、旭川厚生病院、町のホームドクター・浅井医院、それに保健婦、栄養士が適切な処置をとるための基礎データとして、このカードが生かされます。これはコンピューターに入力され、今年からデータバンクとしてスタートします。
鷹栖町では、この健康カードと次に述べる総合健康診査(ミニ・ドック)を柱に、ホームドクター、旭川厚生病院と対がん協会、保健婦を中心とした町の保健指導係の職員らによって医療ネットワークが整い、このシステムをベースにして全町民の健康を日常的にがっちり支えているのです。
成人病の早期発見をめざして30歳以上の全町民を対象にした総合健診は、1975年(昭和50)から毎年6月、田植え作業の一段落したころに地域の主婦たちで選んだ保健推進委員と保健婦、浅井医院、そして旭川厚生病院の四者ががっちりスクラムを組んで実施されます。
昨年の対象者は3,800人、そのうち1,800人が受診しました。町民が出かけやすいように小学校の通学区ごとにある5つの公民館で15日間にわたって実施され、ピーク時は1日約200人の受診者が押し寄せます。地元スタッフはもとより、旭川厚生病院側も医師、看護婦、検査技師など30数人が早朝5時に病院に集合。マイクロバスで鷹栖町へ駆けつけて、午前6時20分の受付開始に備えます。受診者の方も午前5時過ぎから列をつくっています。
身体測定から始まって血圧測定、血液検査…受診者は胸に番号札を下げ、成人病を中心に1人約3時間に及ぶ検査を受けていきます。受診者は帰って家事や農作業があります。厚生病院のスタッフには午前9時から外来患者が病院で待っています。それまでに検査を終わらなければなりません。まさに目の回る忙しさの15日間が続きます。
総合健診が病気の早期発見に役立ち、健康に気づかう習慣を町民にもたらした効果は計り知れません。総合健診でガンが発見され、完治できたお礼にと篤志寄付を申し出た人がいます。浅井基典医師が示したデータでは、総合健診を始めた翌年からの3年間に、内科疾患を発病して救急車で病院に運ばれた患者は全部で57人。このうち総合健診を受けていた人は11人で、受けていない人の5分の1以下です。そのうちの死亡者は総合健診を受けたことのない人が21人、受けたことのある人は1人。まさに「生命を守る事業」であることが実証されたわけです。
旭川厚生病院の杉村巌副院長は語ります。「受診回数が多くなるほど、町民の意識が向上しているのがわかります。この町では町民の自主的な力で“家族の健康を守ろう、地域の健康を地域で守ろう。他人のことも見て見ぬふりはできない”というコミュニティーの原点が認識されているのです」。
地域の健康は地域で―それを実現するために大きな役割を果たしているのが保健推進委員です。町内ごとに2年の任期で行政と町民の心を結ぶ主婦たち61人。1968年(昭和43)に設置したころは町が委嘱していましたが、6年後に「健康づくりは町民の自主的な仕事」と委嘱状を返上し、町民自身で選びあうようになりました。
「すでに9期、500人以上にのぼります。世帯数でいえば、4軒に1軒の主婦が一度は推進委員を経験していることになり、みなさんその役割をよく理解して、とても協力的です」と、保健推進委員会会長の富居テル子さん。荒尋子保健婦長も「新任の人でも、私からこまごま説明する必要がないくらい、役割や仕事の内容を理解しているんですよ」というほど、主婦の自主的な任務として定着しています。
もっとも大切な任務は、総合健診の受診者の取りまとめ。4月になると、多い人は90軒もの家庭を1軒ずつ回って家族の状況を確認し、申し込みを受け付けるのです。特に、まだ一度も受診していない人の説得に力を注ぐ。受診率は毎年30数%に達し、18年間一度も受診していない人は十数人を残すのみですが、おっくうがる人、病気を指摘されるのを怖がる人も多いのです。
「今年こそ、うちの父ちゃんを受診させるわ。内緒で申し込んでおくから、推進委員さんからもよく説得してね」と頼まれることもあります。
「いい制度を勧めてくれた。お陰で軽いうちに治せたよ」と喜んでくれるのが、保健推進委員たちのいちばんの励みです。
浅井医院は一次診療を受け持ち、より高度な検査や入院加療の必要な場合は、常時ベッドを確保してある旭川厚生病院などにすぐ入院できるシステムになっています。成人病の早期発見は旭川厚生病院を中心に総合健診で、ガンの早期発見には対がん協会が、そして日常の健康相談には保健婦と保健推進委員が―と手厚い医療ネットワークで町民の健康をしっかり守っています。
この町の健康づくりは医療のネットワークづくりから、さらに心とからだの健康づくり、食生活の改善へと発展していきます。
まず、健康なからだを鍛えるために「歩く・走る・体操」が町民たちによって自主的に進められています。ジョギングや歩くスキーで東京や鹿児島と同じ距離をめざしている人がいます(スポーツマスター賞)。中国の自疆術(じきょうじゅつ)を応用した「生命の貯蓄体操」は26の道場で600人もがかけ声も力強く、全身運動に励んでいます。夜間照明の整った総合スポーツ公園での「24時間ソフトボール大会」は全国的な話題になりました。テニスコート、ゲートボール場が各地区にあります。屋内プールもあります。カヌーの練習ができます。オサラッぺ川でいかだ下りフェスティバルもおこなわれます。スポーツを通じてからだを鍛え、さわやかな心でよろこびを分かちあうコミュニケーションが町のそこここに広がっています。
老人の活動は、特に活発です。1972年(昭和47)に町が老人保健センターを設置しようとしたとき、それまで保健事業の議案はすべて満場一致で可決していた町議会で、珍しく意見が分かれました。「立派な施設をつくっても、老人には運営しきれないだろう」というのが反対意見でした。激しい論議の末、票決で設置が決まったものの、アンケート調査をしてみると、農作業に一生を送ってきた老人たちの趣味といえば花と野菜作り。もっとほかに老後の趣味は持っていない。運営を心配するのも当然でした。しかし、小林町長は老人の手による自主運営を主張して譲りませんでした。
老人たちも「必ずりっぱに連営してみせる」と、活動の幅をどんどん広げていきました。地域老人クラブは現在23、趣味の会は16も結成されています。小学校しか出ていないおばあさんが習字を始めてメキメキ上達、目を見張るほど達筆な作品を発表するようになりました。本もほとんど読んだことのなかったおじいさんが、ほのぼのとした俳句を作っています。卒業期が近づいた老人大学では「もっと勉強したいから、大学院をつくって欲しい」といい出す人。陶芸にも木彫りにも見事な作品がうまれています。自分でも気づかなかった才能が発揮されて、そこに生きがいを見い出し、いきいきと毎日を過ごしています。
鷹栖町の老人1人当たりの医療費は昨年約44万6千円、全道の68万1千円はもとより、全国の45万9千円に比べても低い数字を示しています。総合健診などで軽い病気のうちに発見されることもその要因ですが、入院していても一早くクラブ活動に戻りたい」といって療養に専念し、1日も早く退院したがる老人が多いからだといわれています。
健康づくりを進めるなかで、どうしても改善しなければならないのが食生活です。農家は自分の畑で野菜を作っているのに、野菜を単品でしか食べない。特に冬のビタミンCや良質のタンパク質の摂取量が少なく、逆に塩分を摂り過ぎていると、栄養士の手嶋哲子さんはいいます。その改善に心をくだいていたときに「畑で太陽をいっぱい吸った完熟トマトが、食べ残って腐れ落ちているのはもったいない。あれをジュースにできたらいいのに」と保健婦の一人がいい出しました。そして生まれたのが『オオカミの桃』。このユニークな名は手嶋さんがトマトの学名を翻訳したものです。
秋、完全に赤くなったトマトをもぎ取り、近所の主婦たちがグループを組んで加工場に持って行き、自分たちで手づくりして家族で天然のままのジュースのおいしさを楽しみます。『オオカミの桃』は全国的に注目され、鷹栖町の「一村一品」としても大きく成長しています。この試みの成功で、農協と老人クラブが主体になって『低塩みそ』『ひまわり油』の生産へと発展しています。しかし、これらの健康食品づくりはあくまでも自分たちの食生活を向上させるのが目的。販売には、その余剰分を向けるのです。
鷹栖町も1960年代には120人を超す結核患者がおり、脳卒中、農夫症の多い村でした。2軒の村立診療所があっても、大学から派遣される医師は2年ごとに交代するのがつねで、町民は容易に心を開いて診療を受けようとはしません。保健婦は診療所に詰めきりで看護婦がわり。やっと、当時、健康保険係長に就任したばかりの吉野進現助役の努力で保健婦本来の業務ができるようになりました。しかし、バイクを走らせて地域へ訪問活動に出ても、なかなか相手にしてもらえません。
「こんにちわ、保健婦です」とあいさつしても、
「保険ならたくさん入っているから、いりませんよ」という返事。昼食の時間になってもお茶一杯ご馳走してくれる家もなく、オサラッペ川の橋のたもとで涙をこらえてにぎり飯を食べたこともあったといいます。
1967年(昭和42)、小林勝彦現町長が当時の村長選挙に初当選したとき、住民に約束したのは「民主主義の行政」を進めることでした。そして、札幌へあいさつ回りに向かう汽車の中で医療過疎の解消に立ちあがる岩手県沢内村の姿を書いた『自分たちで生命を守った村』(岩波新書)を読んで、これがこれからの行政のあるべき姿だと思ったといいます。
「健康に長生きして、3日患って死のう」と町民に呼びかけ、健康づくりを第一の柱にした行政がスタートしたのです。第1弾はこの町に定住して町民の健康をしっかり守ってくれるホームドクターの確保でした。保健推進委員のシステムが発足し、保健婦も増員して新しい試みが次つぎにスタートしました。「役場と町民がボールを投げ合いながら民主主義の行政を進めよう」という熱意が、町民の間に草の根のように広がっていったのです。
小林町長を中心とした優れたリーダーたちが行政とは何かを追求するなかから、町民の幸せの実現にこそその使命があるとして取り組んだ健康づくり。全国的にもまれな医療ネットワークによって、多くの人が病気から救われていくのを目にした町民は「これは自分たちのこと」と自主的に立ちあがったのです。
この町に住んでよかったと思える町で暮らすことに誇りを持ち、仕事に精を出す。からだだけでなく心の健康、それは文化づくりにまで高めて、スポーツに、趣味や生産活動にいきいきした顔が集まっています。
「健康づくり」という、ゴールのない道をスタートした鷹栖町―。小林町長の語る、「小さな町の大きな試み」の草の根は、町民と行政、医療機関の18年間にわたる丹精によって、しっかりとこの町に根付いたのです。
総合健康診査
(内科的ミニ・ドック)30歳以上の全町民を対象に健診します。この健診でわかる病気は、循環器系(高血圧、心臓病、動脈硬化など)消化器系(胃潰瘍、胃ガンなど)呼吸器系(結核など)腎臓病、肝臓病、糖尿病、貧血、肥満、炎症性の病気(リウマチなど)
その他の健診
(各種乳幼児健診、住民結核健診、婦人科健診、乳ガン健診)
リハビリ教室
(脳卒中などで、からだに障害のある人のために)高血圧教室・糖尿病教室(総合健診で高血圧、糖尿病といわれた人のために)
健康教室
(健康づくりの講演会)医師による健康相談(40歳以上を対象)地区別健康相談(保健推進委員や地区からの要望で実施)
長生き感謝祭
敬老会をやめて、老人自らが社会の成員であることの喜びを感謝する会
老人文化祭
趣味、技能の伝承を図る目的で自らの手で企画立案して展示・発表
生命の貯蓄体操
中国医学の自彊術を応用した健康体操。会員は600人。普及会の道支部をこの町に置き、全道普及の拠点になっている。
スポーツマスター賞
歩く・走る・歩くスキーの運動と生命の貯蓄体操を実践している人を対象に歩走距離に応じて銀・金製のタイピン、ペンダントを贈り、名誉スポーツマスターになると、最長距離までの旅行券が贈られる。
健康食品
「オオカミの桃」(トマトジュース)市販の約半分の塩分と無添加。自家用はすべて手づくり。「一村一品」としても好評で、今年から第3セクターによる増産体制に。「完全無添加みそ」も主婦や老人の手で。町内の学校給食にも利用している。「ヒマワリ油」は、リノール酸を含む健康油として食卓に。