高山植物の美しい7月に、と思っていたのに、実際に大雪山に登ったのは8月も最後になってしまった。花の時期はすでにすぎて、ピークには200人の登山者を泊めたという黒岳小屋も私のほかは、山の稜線を自転車で旅しているという関西の青年ひとりで、ガランとして寒かった。
翌朝青年を見送ったあと、私は小屋の下の雪渓をわたって、赤石川の方ヘブラブラと降りていった。ハイマツにカヤクグリらしい鳥の声を聞いたり、草の実のスケッチをしたりした。
岩々には黄みどりや黒褐色の地衣類をはじめ、チングルマ、イワウメなどがカーペットのように這い敷いている。あと、2、3週間もすればここはもう初雪だ。カーペットは岩ごとに風下の方からジワジワと裾を広げている。縁のところをちょっとめくると、根と岩の境めに、おしろいを塗ったほどのわずかな土がたくわえられてあった。
この土はどこから来るのだろう…、山の風にのって?私はなにげなく岩の表面を撫でこすっていた。指先に、白い粉がついた。そうか!
岩上の草木は岩に土がたまるのを待つのではなく、風化した岩をほそい根で砕きながら、いわば岩を食うように消化して自分の下へ敷いていっているのだ。そしてここでは岩も、堅固なものの典型としての無表情な物体ではなく、光と風雪にさらされ耕されて、生きものに近づき、生きものと親和している。
それにしても、これほど苛酷な生き方をしているものたちが、なぜ人にはやさしく、美しく、時には可憐にさえ見えるのだろう。もしもこれらの小さな草木や鳥や動物たちがいなかったら、まもなくこの山上を支配するだろう荒涼とした原自然に、私の想像力はおそらくなじむこともないだろう。
季節外れに来てよかった、と私は思った。(季節に来たって、もちろん同じことを思うにちがいないのだけれども)。