ウェブマガジン カムイミンタラ

2006年11月号/ウェブマガジン第12号 (通巻132号)  [特集]    

ナキウサギを泣かすな!
「ふぁんくらぶ」の11年

  氷河期からの生き残りとされ、学術的にも貴重なナキウサギ。天然記念物指定を求めるなど「ナキウサギふぁんくらぶ」はソフトな雰囲気を保ちながらも様々な活動を続けてきました。その11年をふり返ります。

なかなか会えないナキウサギ

ここは大雪山系南麓の鹿追町(十勝)。山の斜面に岩がゴロゴロしている、いわゆるガレ場で、その中を登山道が通っています。もう3時間待っていますが、ナキウサギに会えません。運が良くなければ出てこないと教えられ、ナキウサギを撮影しているベテランでも3回に1回程度しか見ることができないそうです。きょうがその3回目。あきらめの気持ちが頭をもたげだしました。

イメージ(登山者に注意を呼びかける立て札)
登山者に注意を呼びかける立て札

立て札があります。「ここにはナキウサギが生息しています。岩に登らないようにしましょう。ナキウサギを驚かせないように、大声は出さないようにしましょう。環境庁・然別自然休養林保護管理協議会」。音には敏感なのでしょう。

でも静寂そのものです。ときおり鳥の声や林を吹き抜ける風の音が聞こえます。ピッという鋭い音はナキウサギの声でしょうか。シマリスがすぐ近くに現れて草の実を食べ始めました。歯で殻を割るカリカリという音が聞こえるほどの近さで、人間をぜんぜん怖がっていないようです。

イメージ(高山地帯のあちこちにナキウサギは生息しています)
高山地帯のあちこちにナキウサギは生息しています

ナキウサギは、手のひらに載るくらい小さなウサギです。生態に詳しいひがし大雪博物館(上士幌町糠平)の川辺百樹学芸員によると、シベリアなどの寒い地域が元来の生息地。1万年ほど前までの最後の氷河期に生息域が南に広がり、陸化した間宮海峡や宗谷海峡を通ってサハリン経由で北海道に渡ってきたと考えられています。その後地球が温かくなったため、その下に永久凍土があったり、冬の氷などが夏まで残って、冷たい風が吹き出す風穴(ふうけつ)のある岩の重なったところ(通称ガレ場)に取り残されました。「氷河期からの生き残り」といわれるゆえんです。

イメージ(ナキウサギの生息地 大雪山・黒岳)
ナキウサギの生息地 大雪山・黒岳

生息地は大雪山系や日高山脈、夕張山地など。標高の高いガレ場が主で、たとえば登山コースとしてポピュラーな大雪山・黒岳の石室付近でも声が聞こえたり、運が良いと目にすることもできるそうです。またかなり低地でも確認されています。層雲峡ビジターセンター(上川町)の保田信紀センター長によれば、大雪山系では高山地帯はもちろん、標高1000m以下の森林地帯の数多くのガレ場にも生息しています。ただし石狩平野から千歳を通って勇払原野に抜ける低地帯の西側では今のところ生息は確認されておらず、知床半島でも確認されていません。

イメージ(ナキウサギの生息範囲)
ナキウサギの生息範囲

ナキウサギは岩の間にできた穴を生活空間にしていて、あまり外に出てきません。エサである植物を食べたり、エサを穴の中に蓄えるために出てきたときなど以外は目にすることができないのです。一度、ナキウサギの姿を目にすると多くの人がとりこになるそうですが、その機会はごく限られています。

目の前に現れた!

結局3時間待って切り上げ、登山道を1時間ほど歩いて別な場所に移動しました。そこにはすでに1人が来ていて、ナキウサギの姿をカメラに収めようと三脚を据えていました。聞けば「きょうは出ている」そうです。ナキウサギに会いに来る人々はみんな親切です。なかなか会えないので情報交換が欠かせません。

「出ている」という言葉を頼りに、カメラマン氏から少し離れたところに陣取って、じっと待ちます。しかし1時間が過ぎても、一向に現れる気配がありません。声さえも聞こえません。もうすぐ向こう側の山に太陽が隠れそう。気温も下がってきました。帰ろうか、そう思ったころです。

イメージ(日向ぼっこをしていました)
日向ぼっこをしていました

カメラマン氏が「こっちに来い」と誘ってくれました。場所を移動して数分後、眼下の石を指して、ナキウサギだと言います。ちょっと見には石の上に楕円の玉石が載っているだけですが、目をこらしてみると、生き物です。これがナキウサギ? 太ったネズミのようだが…。出合いはあまりにもあっけないものでした。日向ぼっこをしているのだそうです。

それから10分ほど経って「あそこに!」とカメラマン氏。なんといきなり目の前のガレ場に出てきました。石の上に素早く上がり、小さな体で遠くの空を見る独特の姿。『瞑想』と呼ばれている孤高のポーズです。距離は5mと離れていません。いやはやこんな近くでお目にかかれるとは思ってもいませんでした。

イメージ(こんどは食べ始めました)
こんどは食べ始めました

素早く移動して、こんどは草を食べ始めました。口をせわしなく動かします。リスとちがって手は使わず、口だけでモグモグやっています。目がクリッとして、たしかに姿形もエサを食べる仕草もかわいい。夢中になる気持ちも分かります。それにはるばる会いに行っても、必ず会えるとは限りません。恋愛ドラマのようにすれ違いが多ければ多いほど、気持ちは高まるのでしょう。3度目でようやく出合えて、自分の気持ちも高まりました。

ファンクラブが生まれたことにも納得できます。ただしナキウサギのファンクラブは、無邪気に追っかけたり、キャーキャー騒ぐだけでは済まされません。その生存自体が脅かされ、各地で死滅しているという重い現実があるのです。

エゾナキウサギ
 ウサギ目ナキウサギ科キタナキウサギの亜種。キタナキウサギはシベリア、中国北東部、カムチャッカ半島、サハリンなどに生息し、エゾナキウサギは北海道の限られた地域に生息している。
 成体の体長は15~18cm。ネズミに似ていることから、かつて北海道では「ゴンボネズミ」などと呼ばれていた。名前のとおり甲高い金属的な鳴き声を出す。
 エサは「植物なら何でも食べる」といわれるほど幅広い。エサを蓄える貯食を行い、冬眠をしないため秋に貯食活動が活発になる。通常の丸いフンのほか盲腸フンと呼ばれる細長い軟便を排泄し、ビタミン補給のためかそれを食べる習性がある。

女性だけで立ち上げた「ふぁんくらぶ」

「ナキウサギふぁんくらぶ」は1995年に結成されました。全国の女性ばかり125人が呼びかけ人となっての発足でした。以降ナキウサギに会いに行く催しを企画し、会報の「ナキウサギつうしん」を創刊、ホームページも立ち上げました。そして現在は全国の老若男女2600人以上の会員を擁し、さまざまな活動を展開しているのです。

イメージ(市川さん)
市川さん

代表の市川利美さんとナキウサギとの出合いは、結成の2年ほど前にさかのぼります。当時は士幌高原道路(道道士幌然別湖線)の建設が大問題になっていました。中止されていた山岳部分の建設再開を求める動きが地元で活発化していたのです。市川さんはそれに反対する十勝自然保護協会が主催した現地視察に参加します。

「白いコケがじゅうたんのように広がっていて、この世のものとは思えない幻想的な光景。そんな自然の中にいる動物ということで、衝撃的でした。この動物のことは自分の胸だけに秘めておきたい。そのときはそう思ったんです」

ところが95年、環境庁(現在は環境省)は建設へのゴーサインを出します。自分の胸だけに秘めておこうとした市川さんたちの行動が始まりました。

「これは大変だ。このままだと生息地が壊されてしまう。あるいは影響を受けてしまう。何かできることはないのかと考えたときに、この問題を全国の人々にアピールしたら理解してもらえるのではないかと女性7人で立ち上げたんです。大それたクラブをつくろうとか、そういう展望はまったくありませんでした」

イメージ(氷河期からの生き残りを感じさせます)
氷河期からの生き残りを感じさせます

その7人が行動を開始し、1995年7月には全国の女性たち125人が呼びかけ人となって「ナキウサギふぁんくらぶ」を結成、『ナキウサギの声』を人間に伝えるメッセンジャーとしての活動を始めます。

「もう一度生息地を訪れたときでした。ナキウサギがつぶらな瞳でこっちをじーっと見つめて。そのときは特に私に訴えかけるような…。そんなに長い間、じっとしていることってあまりないんですけれども。それとやっぱり鳴き声ですね。ちっちゃな体で山中に響くような大きな声で鳴きます。その鳴き方もかわいいというよりは吠えているというか、体中の力を振り絞って鳴いている、その健気さ。そんなところも魅力です」

97年 文部省に天然記念物指定を求める

「思いついたことは次々にやりました」と市川さんが言うように「ふぁんくらぶ」の行動は矢継ぎ早で多岐にわたっていました。

結成した95年には「ナキウサギつうしん」1号を発行し「ナキウサギエコツアー」を2回実施しました。96年には当時はまだ珍しかったインターネットのホームページを立ち上げ、移動写真展を札幌、帯広、新得、士幌、上士幌、鹿追で開催しました。97年にはビデオ「ナキウサギの世界」を完成させ、移動写真展は旭川と東京で開催しました。

そして同年、天然記念物指定の要望書を文部大臣に提出するのです。当時の小杉隆文部大臣あての要望書は次のような要旨でした。

天然記念物指定基準の第1は「日本特有の動物で有名なもの」であるが、エゾナキウサギはアジアに広く分布するキタナキウサギの一亜種で日本だけ(しかも北海道だけ)に生息していて、日本特有の動物に当たる。

指定基準の第2は「特有の産ではないが、日本著名の動物としてその保存を必要とするもの」で、エゾナキウサギは全国的に知られるようになっており、生息地が限定され、そこが道路建設や自動車の影響、森林伐採などによって生息が脅かされている。

私たちは天然記念物指定を目標に活動していて会員は1350名を超え、日ごとに指定を求める声が高まっている。愛らしいナキウサギを守りたいという気持ちからだけでなく、私たちに氷河期からの生命のつながりを感じさせるこの貴重な生き物の存在を、今の現代社会で途絶えさせるようなことがあってはならないという強い思いに支えられている。

こうした要旨の要望書でした。しかし文部省の動きはありません。その一方で士幌高原道路はさまざまな経過を経て99年ついに堀達也北海道知事が建設中止を表明、長年続いたこの問題に終止符が打たれます。

話し合いで「前代未聞」の成果

士幌高原道路が決着し、市川さんはアメリカに旅発ちます。弁護士の夫が自然保護を勉強するために3年間留学し、それに同行したのです。帰国して「アメリカの自然と野生生物保護(特にアメリカナキウサギについて)」の報告会を開いたのもつかの間、またもや新たな問題に取り組まなければなりませんでした。日高横断道路(道道静内中札内線)や大規模林道(現在は緑資源幹線林道)など、ナキウサギの生息を脅かす『開発』があちこちで進行していたのです。

「ふぁんくらぶ」は各地で調査を積み重ね、それぞれの当事者との交渉に臨みました。ただしそのスタンスは何でも反対ではありません。

「道路建設は全面的に反対と言っているわけではないんです。あくまでもナキウサギを守りたいだけです。ナキウサギが直接困らないことまでも反対と言っているわけではないんですよ」

イメージ(集まりは2週間1回程度)
集まりは2週間1回程度

2003年、様似町で落石を防止するための町道改修工事が行われようとしていました。そこはナキウサギの生息地で「ふぁんくらぶ」は橋爪正利町長あてに要望書を提出、独自の調査から改修の工法に疑問を示して再検討を求め、高橋はるみ知事にも同様の要望書を提出しました。その結果、様似町は計画を大幅に変更し、ナキウサギの移動を妨げない岩石をネットで覆う工法に変えることを決断します。

このニュースを伝える北海道新聞に載った国交省のコメントは、公共工事で柔軟な見直しをしたことについて「聞いたことがない」というものでした。前代未聞の画期的な結果を「ふぁんくらぶ」がもたらしたのです。ほかにも置戸町ではナキウサギが生息する林道予定地を道が学術自然保護地区に指定し保護するといった成果をあげています。

イメージ(カレンダーとDVD)
カレンダーとDVD

「ふぁんくらぶ」は生息地の調査や道路建設を行う当事者との交渉といった生息地を守る活動だけでなく、人々に広くナキウサギのことを知ってもらうためのきめ細かな活動も行ってきました。さまざまなグッズの製作・販売はその1つです。写真を公募してナキウサギカレンダーを毎年つくり、オリジナル絵はがき、Tシャツ、そして等身大のぬいぐるみ、DVD「ナキウサギの世界」・・・。2週間1回の割で定期的に有志が集まり、会合を開いたりグッズ発送の作業などを行っています。そこには女性を中心としたクラブらしいソフトなムードが漂っています。

4万3433筆の署名を文部科学大臣に渡すが・・・

大規模林道という森林を切り開く道路の建設によって、各地のナキウサギ生息地が危うい状況に直面し、「ふぁんくらぶ」は新たな活動を開始します。すべてのナキウサギを守るため天然記念物指定を求める署名活動を始めたのです。97年に市川さんらが要望書を持って文化庁を訪ねたとき担当者から世論の盛り上がりのなさを指摘されていたからでした。

そして2005年11月、小坂憲次文部科学大臣に4万3433筆の署名と天然記念物指定の要望書を直接手渡すことができました。

長年自然保護の運動に取り組み、「ふぁんくらぶ」とともにナキウサギの保護運動もしている「大雪と石狩の自然を守る会」の寺島一男代表によると、天然記念物指定には次のような意味があります。

まずナキウサギの生態がよく解明されないまま、道路建設などの影響を受けて各地で死滅するおそれがあることです。

「ふつうの動物であれば(生息に適した場所に)空きがあれば、それに向かって移動するんでしょうが、(行動範囲の狭い)ナキウサギはそれができません。まだよく分かっていないのですが、知床とか道南のガレ場でもその昔は生息していて、生息場所が限定され、生息密度が低かったことや、個体の移動ができなかったため、早い時期に絶滅したのではないかと考える研究者もいます。」

現在の文化庁は動物単体の種の天然記念物指定より、区域を指定して保護する方針だとされ、ほ乳類では75年のヤマネ(山鼠)以降、新たに指定されていないという現実があります。ナキウサギそのものではなく地域を区切った天然記念物指定ではだめなのでしょうか。寺島さんは、地域指定では不十分で、国が掲げる生物多様性国家戦略にとってもナキウサギの種指定は有効だという考えです。

「ナキウサギのいろいろなことがすべて分かって、保護できるという保証があるなら、地域指定で保護するというのも1つの選択肢ですが、ナキウサギの生態はまだよく分かっていません。仮にナキウサギの生態が解明されたとしても、生き物というのは我々の知らないところで複雑につながっているから、数の少ない生き物だけに、ちょっとした自然の変動でどんな影響を受けるか分からないのです。地域指定というのは種の保全としては危険な選択だと思います。それにどこかに押し込めてしまおうというのでは記念館みたいになってしまう。

生物多様性条約が発効し、政府は生物多様性国家戦略を決定しました。その旗を振って身の回りの環境を守りましょうと言ってもなかなかできないのが現実でしょうが、ナキウサギのような動物が1匹いるおかげで、その旗を何百本も立てた以上の保全ができるということもあるんです」

新たな展開に

2006年9月8日、天然記念物指定にかかわる重大ニュースが流れます。指定は見送られる公算が強くなったという北海道新聞の記事でした。「ナキウサギ指定見送り」「地元市町が消極姿勢」といった見出し。05年11月に札幌の環境団体が文部科学大臣に指定を求める要望書を提出したため、文化庁が生息地を抱える教育委員会の意向のとりまとめを北海道教育委員会に要請しました。ところが、自治体の教育委員会が道教委を通じて文化庁に「積極的に保護する考えはない」などと回答したというものでした。

「ふぁんくらぶ」は直ちに高橋知事と道教委に対して要望書を提出、ところが4日後の12日道新夕刊に、どんでん返しの記事が掲載されます。「積極的に保護する考えはない」と回答したはずの地元自治体から「調査された覚えはない」といった声が続出しているというものでした。結局、道教委は生息地を抱えるすべての道内市町村を対象に、再度意向を調査・確認することになり、北海道議会でもそのことが表明されました。

ナキウサギの生態はまだまだ解明されていませんが『氷河期の生き残り』とあって温度の変化に大きく影響されることが分かっています。そしてまた寺島さんが指摘するように、生息していてもおかしくない場所にもいないことから、群が離れ離れになって孤立すれば、いずれ消えてしまうことが考えられます。4万3千もの署名を集めた「ふぁんくらぶ」はその活動を継続し、さらに多くの声を集めています。ナキウサギが安心してすみ続けていけるような北海道になることを願わずにはいられません。


●山登りもナキウサギに会うため

ナキウサギふぁんくらぶ 矢部玲子さん

イメージ(矢部さん)
矢部さん

私はナキウサギに出合ってまだ5年くらいしか経っていないんです。最初に見たのがぬいぐるみで、実際に見た人がとても熱っぽく語ってくれました。「ものすごくかわいいのがそこにいてね」とか。どこに行ったら会えるの?と聞いたら、山に登らなくてはいけないと言われて。

何となく目星をつけて山の麓で準備していたら、住民がナキウサギがいる場所を教えてくれました。そこにカメラを構えた人がいて「ふぁんくらぶ」の会員だったんです。

最初はこんなかわいい動物が、くらいな認識しかなかったのですが、環境がちゃんとしてないと死んでしまうとか、岩場の中に冷たい風が吹いている風穴と呼ばれる状況がないと肺の中にカビが生えて死んでしまうとか、このまま放っておくとどんどん減っていくという認識が深まっていくうちに「ふぁんくらぶ」に入って活動するようになりました。

人知れず壊されていく自然という言葉があって、私はものすごく重たい言葉としてとらえているんですが、ナキウサギの環境は、まさしく人知れず壊されていく自然の代表みたいになってしまいました。

私はナキウサギのことがあって山登りを始めました。会いたいなと思うと登りたくなっちゃうんです。


●身近にありふれたものが消えた今…

大雪と石狩の自然を守る会  代表  寺島一男さん

イメージ(寺島さん)
寺島さん

僕もナキウサギを初めて見るまではそれほど魅力を感じていませんでした。でも実際に見てみるとほんとうに愛嬌があるんです。エサを食べる仕草にしても瞑想する姿にしても。大雪山の白雲岳に登って、昼休みに昼寝していたら、みんなに取り残されたことがありました。目を覚ましたら、すぐ目の前でナキウサギが瞑想のポーズをとっていたんです。感動的でしたね。

登山で岩場に行ったら目をキョロキョロさせて探します。以前はそれほど見えなかったですが、近年は目にすることが多くなりました。個体数が増えたとは思えないので、人がたくさん登ってくるものだから、向こうもあまり臆病でなくなったのかと思っています。

我々が小さいころ、といってもまだ半世紀そこそこですが、身近にありふれていたものが今はなくなっています。やはり高度成長時代は環境面から見ると異常な時代でした。環境破壊のツケはすぐ目に見える形では来ないけれど、大きな視野から見ると確実に、脆弱な環境になってきています。

今、野生の生き物は大変な時代を迎えています。例えば、野生の象徴といわれるヒグマ一つ見ても、夜中に国道を一生懸命走る姿を何回も見ています。テリトリーが寸断されヒグマも必死なのだと思います。ナキウサギも環境変化の指標になると思っています。ただ希少動物だから守れということだけではなく、我々自身の環境問題、生活問題としてとらえていけるかが課題です。

開発が悪いとは言えません。僕らだって開発によって生きてきたのですから。問題は、開発の中身やあり方をどう考えるかです。小さな生き物が大切にされる自然は、人間にとっても大切な自然であることを考えるべきだと思うのです。

[大雪と石狩の自然を守る会]
http://www.east-end.net/daisetsu.east-end.net/index.html


関連リンクナキウサギふぁんくらぶ  http://www.pikafan.com/fanclub/

◎この特集を読んで心に感じたら、右のボタンをおしてください    ←前に戻る  ←トップへ戻る  上へ▲
リンクメッセージヘルプ

(C) 2005-2010 Rinyu Kanko All rights reserved.   http://kamuimintara.net