ウェブマガジン カムイミンタラ

2007年01月号/ウェブマガジン第13号 (通巻133号)  [特集]    

カーシェアリングの風を札幌から

  札幌に誕生したカーシェアリングの『ウインド・カー』。クルマの利便性を保ちながら経費を減らす、人とクルマとの新しい共生のスタイルとして、また二酸化炭素削減など環境面でも大きな期待が寄せられています。この春にはいよいよ全国11カ所で走り始める予定です。そこに至るまでには関係者の強い信念と、地道な努力の積み重ねがありました。

組合をつくって全国展開

日本カーシェアリングネットワーク有限責任事業組合という長い名前の組合が運営しているJCNというインターネットサイトがあります。ウインド・カーを展開する全国組織です。

「カーシェアリングは複数台の車を複数の会員で共同利用する新しい交通手段です。私たちJCNが実施するカーシェアリング(ウインド・カー)は、地域密着のコミュニティ形成を目的としたカーシェアリングです。お互いに名前も顔も知らない人々が、1台の車を通じて生活や交通問題、そして環境について意識を共有できるコミュニティを作る、それこそが、JCNの目指すカーシェアリングです」(サイトの説明より)

JCNのサイトで日本地図に赤点の打ってあるところが組合員の所在地。その数11。北からウインド・カー留萌、同札幌、同函館、同さいたま、同大阪北、同大阪東、同北摂、同山陰、同中国東、同山口、同久留米。2006年7月19日に東京で同組合の設立総会が開かれ、11月11日には東大阪市でウインド・カー大阪東営業所がオープンしたとサイト内のニュースは伝えています。

カーシェアリングはスイスで始まり、ヨーロッパやアメリカで盛んになっています。次のような特徴を持っているそうです。

○クルマに関わる費用は削減されるがマイカーと同じような利便性がある。
○排ガス、二酸化炭素の排出が抑制される。
○交通渋滞が緩和され、駐車場不足も解消される。

イメージ(札幌市西区の駐車場に置かれたウインド・カー。)
札幌市西区の駐車場に置かれたウインド・カー。

いいことずくめのようですが、日本ではいくつかの試みはあったものの、最近まで事業としてなかなか成立しませんでした。JCNには各地の自動車販売・整備業者が集っています。こうした組織によるカーシェアリングの全国展開は日本で初めて。そしてこのウインド・カーが誕生したのが札幌でした。2005年2月にウインド・カー株式会社が設立され、カーシェアリングのクルマにもさわやかな風をイメージしたウインド・カーという名前がそのまま使われています。

リヨンでの出合い

2001年夏、札幌市で自動車販売・整備などを手がける須賀原自動車工業の社長、須賀原信広さん(54)など同業者5人の一行は、旅先のフランス・リヨンでトラブルに見舞われていました。手配したはずのパリ行きTGV(フランスの高速鉄道)のチケットがダブルブッキングで乗車できないというのです。翌日にはパリで輸入車の商談があります。クルマで夜通し走れば間に合うだろうと、駅周辺を探したところ、同じクルマが並んでいました。さっそく交渉ですが、店員らしい若者は、これはレンタカーではない、と言っているようです。結局、格安のレンタカーを紹介してもらい、夜中にそのクルマを走らせて、なんとか翌日の商談には間に合いました。

でも須賀原さんは商談より、リヨンで見かけたクルマが気になって仕方がありません。つたない英語でのやりとりで聞こえた言葉は「カーシェアリング」でした。

それから半年ほど経ったころ、須賀原さんはインターネットでカーシェアリングを調べ始めます。当時、日本では電気自動車を普及させるためのカーシェアリングはありましたが、ふつうのクルマを使っての事業は行われていません。ただ当時、交通エコロジー・モビリティ財団が東京の2カ所で実験を行ったばかりでした。

3ヶ月ほどの実験でしたが、須賀原さんはその資料を送ってもらい夢中で読みふけります。そして財団の実験担当者から教えてもらったのが、システムを開発した日本信号の方でした。同社は鉄道信号の製造に始まる古い歴史を持ち、現在は鉄道に限らず交通信号や駐車場のシステムなど交通関連の幅広いシステムの開発を行っています。

「紹介されても飛んでいくわけにはいきません。ところが翌週、日本信号の方が札幌まで来られたんです。でもそれからうちの実証実験が始まるまで1年半かかりました」

欧米視察で決意

イメージ(須賀原自動車工業が行った視察の「企業調査報告書」と白石区本郷で行った実験の「実証実験報告書」)
須賀原自動車工業が行った視察の「企業調査報告書」と白石区本郷で行った実験の「実証実験報告書」

2003年10月、須賀原さんの旅が始まります。日本国内と世界各地のカーシェアリングを視察したのです。中小商業ビジネスモデル調査事業として須賀原自動車工業が経済産業省から補助を受けての視察でした。日本では電気自動車が先行し、ガソリン車は実験段階ですが、欧米各地の展開は目覚ましいものがありました。2003年11月にはカナダ、アメリカ、04年1月にはドイツ、スイス、オーストリアを訪れます。

スイスはカーシェアリング発祥の地。1987年に30人がクルマ2台で協同組合を作ったのが始まりとされています。当時スイスではあちこちで同じような組合が結成され、連邦政府の支援で統合を繰り返し、97年に最後の4団体が統合されてMobility社が設立されました。訪れた2004年1月現在、スイス全土に980のステーションを置き、車両数1900台、会員は5万8千人を数える世界最大のカーシェアリング組織になっていました。

イメージ(発祥の地、スイスの事情を調査(須賀原自動車工業提供))
発祥の地、スイスの事情を調査(須賀原自動車工業提供)

カナダのバンクーバーでは女性スタッフが中心の協同組合を、アメリカのシアトルでは有力出資者を得て西海岸各都市に範囲を広げる勢いある会社を、ボストンでは会員が高所得者層でハイブリッドのトヨタプリウスを多く使用している会社を訪れました。オーストリアでは自動車販売、レンタカー、民営化された公共交通機関などを複合経営する会社が乗り出したカーシェアリングを、ドイツではNPOのような有限会社を視察しました。

視察を終えた飛行機の中で、須賀原さんは反省したそうです。
 「ビジネスの調査ですから、いくら売り上げがあるの?台数は?スタッフの数は?と聞くんですが、みなさん親切に教えてくれました。給料はこんなもんだと、台帳を持ってきて見せてくれたところもありました。あれ、それくらいしか儲かっていないの、みたいな感じなんです。実際、カーシェアリングはビッグビジネスではない。桁違いに小さい利益構造なんです。だから日本でも大きな企業体が名乗りを上げてこなかった。ぼくは彼らと話していて、自分が恥ずかしくなりました。気づいたんですよ。ビジネスイコール金儲けではない。1千万円投資して3千万円になるのはいつ?といった感覚ではなくて、ビジネスイコール事業なんです。事業とは自分のなりわいを言っているわけですよ」

「将来儲かるはず、だとか不思議にみんな同じことを言うわけです。自分たちのやっているカーシェアリングという事業は、社会にとっても会員にとってもいいことじゃないの。街にとってもいいことじゃないの。環境にもいいことじゃないの。だったらこの事業をやるべきじゃないの。おれは好きでやっているんだからと。そういうことを6カ所に行ってみんな感じたんです」

須賀原さんは決意しました。
 「本当におまえはカーシェアリングをやりたいのかと自分に問いかけました。すばらしい事業だが、ぼくにはヒトもいないしカネもない。ただ30年にわたる自動車に関する蓄積がある。メーカー系のディラーは、クルマの台数が少なくなるカーシェアリングは自分で自分の首を絞めることになります。取り組めるのは自動車整備業界しかないと確信しました」

ヒトとカネ

しかし決意は固めてもヒト、カネはありません。調査で世話を受けた経産省にその話をしたら、実証実験という手があるので応募してみては、とアドバイスを受けました。2千万円の事業費のうち1千万円を補助してくれますが、まず2千万円を用意しなければなりません。

イメージ(チーフディレクターの二川さんはカーシェアリングの可能性に惹かれて飛び込んできました。)
チーフディレクターの二川さんはカーシェアリングの可能性に惹かれて飛び込んできました。

「銀行に行ったら、本業が大変なのに何考えているんですか、みたいな対応でした。とりあえず事業ブランを出すと、『ところでお貸ししている短期の融資ですが…』。『これって貸し剥がし?』って思わず声が出てしまいました」

結局、別な銀行と交渉することになりました。資金調達で銀行とそんなやりとりをしているころ、ひとりの青年が須賀原さんの前に現れます。現在ウインド・カーのチーフディレクターをつとめる二川亮輔さん(25)です。大学を出て、IT関連の人たちの情報交換の場にと開設された札幌駅近くのビズ・カフェでアルバイトをしながら、さまざまな勉強会にも参加していました。須賀原さんもそれらの勉強会に参加していて、二川さんにカーシェアリングについて熱心に語ってくれたのです。翌日には、給料はほとんどもらえなくてもと、須賀原自動車工業の門をたたいていました。

「学生時代から自分で中古パソコンのメンテナンスをして、主に学生に売るという仕事もやっていました。でもそれには限界が見えていた。もう1度1から作り上げていくということでカーシェアリングに惹かれました」

のちに同じ勉強会に参加していたもうひとりの若者、辻曜(あきら)さん(26)も加わり、当面のヒト、カネがそろい始めます。

イメージ(実証実験ではキーボックスが使われました。)
実証実験ではキーボックスが使われました。

2004年10月、札幌市白石区の本郷商店街で実証実験が始まりました。使われたのは日本信号が開発したキーコントローラーシステム。駐車場に設置されたキーボックスにクルマのキーを入れておき、会員はカードと暗証番号でキーを手に入れ利用するというもの。キーボックスは無線通信で本部とつながり、会員の予約情報などがやりとりされます。このキーボックスは本郷商店街の2カ所に設置されました。

実験は2005年3月に終了しますが、それに先立ち2月には須賀原自動車工業内に事務所を置くウインド・カー(株)が設立されます。いよいよ実験段階から事業の段階までこぎ着けたのです。実験を行った白石区本郷のほかにウインド・カーの地元である西区の繁華街、琴似にもステーションが2カ所設置されます。

障害は1つ1つを

そこに至るにはクリアすべき数々の課題がありました。須賀原さんとスタッフたちはその1つ1つを解決していきます。

ウインド・カーはレンタカーのように同じところに何台も置くのではなく、ステーションと呼ばれる駐車場に1台または2台と置かれます。そのステーションをいくつも設置していくことによって、たとえばAのステーションのクルマが使われているときにはBのステーションまたはCのステーションのクルマを使うことができます。また会員はウインド・カーからクルマを借りますが、それは人のいない無人の駐車場です。

こうしたカーシェアリングは日本にないため、当然法律もありません。たとえば自家用車として登録した場合、有償の貸し出しはできず、仲間同士の共同利用なら車検証に使用者すべての名前を入れなければなりません。レンタカーとして登録した場合は、貸す側と借りる側が対面し、書類を作り、免許証のコピーをとるといった煩雑な手続きが必要で、貸し出し後は1回ごとの整備義務があります。実証実験では国土交通省と協議を重ね、特別な許可を得ました。また本郷商店街と須賀原自動車工業は離れているため、車庫証明の面でも問題があり警察と協議を重ねました。

実験ではこれで済んだものの、事業としてウインド・カーが走る場合は問題が残ります。そこで利用したのが、自治体が国に申請する構造改革特別区でした。環境問題に力を入れている札幌市としてもカーシェアリングは交通渋滞の緩和や二酸化炭素削減などに有効で2005年1月に「風を感じる北のまちづくり・札幌カーシェアリング特区」として申請、3月には認定される見込みとなりました。

自動車保険も料率の高いレンタカー保険しかありませでした。そこでカーシェアリングの事故率は低いという主張を繰り返し、東京海上日動と交渉を重ねて、ついに法人ユーザー並の料率を実現しました。

共同開発で新システム

イメージ(新システムではカード1枚でドアの開閉から運転までが可能に)
新システムではカード1枚でドアの開閉から運転までが可能に

ウインド・カーは発足と同時に会員がより使いやすい新たなシステムの開発に乗り出します。JR東日本のsuicaやおサイフ携帯と同じ仕組みのカードを使い、それとクルマに積載された装置がやりとりするというシステムです。駐車場にキーボックスを設置する必要がなく、車載装置は携帯電話と同じ通信で本部とつながっているので、電波事情の悪い屋内でない限りステーションをどんどん増やすことができます。

「弊社だけでは開発できないので、共同開発する企業を探すのに苦労しました」とチーフディレクターの二川さん。自動車関連の装置に実績のあるサージュ(本社・横浜)に巡り会うことができ、ようやく思い通りのシステムが完成しました。

「一から作り直さなければならないところがあって、時間がかかりました。ネックになったのは消費電力で、つねにカードを待ち受け状態にするとクルマのバッテリーが3日くらいで上がってしまいます。交換バッテリーを持ってステーションに行かなければならないこともしばしばでした。バッテリー容量を大きくすることはできません。考えたあげく、使用開始前後の15分だけ待ち受け状態にすることで、なんとか解決しました」

イメージ(本郷で会員の小林三英(みつえい)さんに新システムの使い方を説明する辻曜さん。小林さんは週に2回ほど使用しています。)
本郷で会員の小林三英(みつえい)さんに新システムの使い方を説明する辻曜さん。小林さんは週に2回ほど使用しています。

システムの開発と同時進行なのが会員募集です。新聞、テレビ等のマスコミは好意的に取り上げてくれましたが、それだけで十分な会員が集まるわけではありません。本郷や琴似の商店街組合の協力を得て、地元住民を集た説明会を何度も開きました。回覧板を使わせてもらったり、地下鉄駅で宣伝のティッシュを配ったり、近隣の住宅にポスティングをしたり。こうして地道に会員を増やしてきたのです。

2006年12月には新システムが本格稼働、ステーションも琴似で2カ所増え、されに北区でも2カ所が新たにオープンしました。クルマは16台となり、軽自動車や小型車に加え、本社にはダイムラークライスラーのスマートや軽のバンタイプも置かれました。また琴似の病院前のステーションには介護福祉車を導入しようと現在準備を進めています。

二酸化炭素の排出量で課金

また新たな車載装置とシステムの開発も始まっています。二酸化炭素の排出量をリアルタイムで計測し、それまで走行距離に合わせていた課金体系を二酸化炭素排出量に代えようというものです。会員がクルマを使用すると、排出量の情報が本部に送られ、距離に対してではなく二酸化炭素排出量に従って料金を支払うようになります。ノーステック財団(札幌)が間に入り、札幌市が補助する形で開発が行われており2007年3月までには完成する予定です。それ以外のカーシェアリングの課題を含め、ノーステック財団では毎月1回関係者のミーティングが開かれています。

イメージ(ノーステック財団では月に1回ウインド・カーについてのミーティングを行い、バックアップに努めています。)
ノーステック財団では月に1回ウインド・カーについてのミーティングを行い、バックアップに努めています。

「荒っぽい運転をすれば傷みが早いですし、燃費も悪くなります。ちゃんとクルマのことを考えて乗っていただきたい、環境に配慮してくださいと。すべての車種で使用できるような汎用性の高いものを開発しています」(ノーステック財団クラスター推進部次長 仁宮亨さん)

カーシェアリングの構造改革特別区を申請した札幌市の姿勢は明確です。
 「バイオ産業や情報産業の発展などに市は取り組んでいますが、環境もその1つです。 環境に優しい街づくりの一環としてカーシェアリングについても支援していきます」(市新産業育成担当係長 坂井智則さん)

札幌や横浜など全国各地のカーシェアリングの動きに合わせて、2006年春に国は特区のしばりを外し、全国どこでもカーシェアリングが行えるようになりました。レンタカー会社がカーシェアリング事業を立ち上げ全国展開を開始し、札幌でも営業を始めています。須賀原さんたちのJCNもカードのシステムが完成したことから全国各地で順次開業していく予定です。

かつての風景を取り戻したい

須賀原さんはカーシェアリングとの出合いから現在までを振り返り、自分から動いてきたというより、何かの力によって自分が動かされたように感じています。
 「カーシェアリングを知ったのは6年前です。それ以来、私は走り回されています。能動的じゃなくて、受動的。誰かが、おまえは走りなさいと、後ろから風を吹かせてくるんです」

そしてかつて道路で子どもたちが遊んでいた風景を取り戻したいと思っています。実際にカーシェアリングが盛んなヨーロッパの街は、クルマが主役ではなく人間が主役でした。そして排気ガスの匂いのない「街の風」を感じ、昔の日本を感じました。

イメージ(何かに動かされているという須賀原さん。カーシェアリングの話となると止まりません。)
何かに動かされているという須賀原さん。カーシェアリングの話となると止まりません。

「私が28歳でこの業界に入ったころは、道で子どもたちが遊んでいる映画『三丁目の夕日』の世界でした。クルマはバンバン走っているけれども、人をひき殺したりしたら、それこそリンチです。重傷を負わせたら刑務所に入らなければならない。ところが今は、夜中に人をひき殺しても、朝には平気で通勤する。クルマを扱う業態として、クルマは悪だとは言えないけれど、おかしくなってきている、とは思っていたんです。カーシェアリングによってクルマの数は減り、なおかつ使えば料金が一目瞭然なので使用時間は必ず減っていきます。食べ放題だった寿司に値段がついたようなものですが、きょうは高いものを食べようとか、TPOによってクルマを替える楽しさがあるのもカーシェアリングです。そんな風を呼んでみませんか?」

国家目標実現の切り札にも

京都議定書(気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書)の発効によって日本は二酸化炭素を6%削減する必要に迫られていますが、産業界の排出量は減少傾向にあるものの、運輸や民生部門は減るどころか増える傾向にあり、削減目標の実現は絶望視されています。

その点で最近注目を集めているのが二酸化炭素の排出量と収容量が差し引きゼロとなるバイオ燃料です。ブラジルではサトウキビからエタノールをつくり、クルマのガソリンに20%から25%も混入するまでになっています。日本でも北海道を中心にビートなどを原料としたエタノールの生産が試験的に始まろうとしています。しかし抜本的な解決策にはほど遠いのが現実です。

カーシェアリングは、使えば使うほど料金がかかるため、自然に利用回数と走行距離が減り、排出される二酸化炭素も減ることが分かっています。須賀原さんが視察したスイスでは利用者へのアンケート調査で、カーシェアリング加入後のクルマでの移動距離はじつに72%減少し、公共交通機関の利用が35%増加したという結果が出ています。クルマの台数が減れば、生産台数も少なくて済み、その点でも二酸化炭素削減には有効でしょう。

クルマの利便性を保ちながらクルマにかかる費用を大幅に減らせる家計にやさしいカーシェアリング。それは国家目標である二酸化炭素排出量削減の切り札にもなり得るのです。ウインド・カーへの期待は高まっています。



観光客には輸入車も

函館自動車工業社長 寺井慎一郎さん

イメージ(寺井さんは全国一律ではなく街それぞれに独自のウインド・カーがあるといいます。)
寺井さんは全国一律ではなく街それぞれに独自のウインド・カーがあるといいます。

10年ほど前になりますが、20代の同業者が年に4~5回東京に集まって自動車のニュービジネスを研究していたことがあります。水素自動車とか燃料電池車といった言葉がようやくこの業界で認識されていましたが、それは遠い話だろうという時代でした。でもいくら環境にやさしいクルマだったとしても、クルマをつくる過程で消費し排出するものを考えれば、クルマはつくらない方がいいというのが究極の考え方でした。

でも自動車のない生活というのも考えにくい。なくせないけど減らしたい。それをクリアできるインフラはと考えて、リース、レンタカーといろいろ話が出たのですが、複数で1台のクルマをシェアする、共有するというのが一番なじむのではないかということになったのが、10年前でした。

それから諸外国の状況や日本の法整備などがあって、いよいよビジネスとして参入する環境になったのが今年(2006年)です。須賀原社長が尊敬できるのは、業界の中で、ああいうことを言い続けるものだから異端児みたいになって、それでも自分の信念を貫いて、公の場で言い続ける。その姿勢は見習うべきだと思います。ビジネスをやるのに信念がなかったらできません。

函館のような地方都市になると公共の交通機関だけでは生活できません。クルマが必要です。富裕層でもない、ごくふつうの家庭でも2台、3台は当たり前になっています。4人家族で4台のクルマをお世話させていただいているお客様もいます。その4台を3台にできないか。3台を2台にできないか。それは助かるけど、いざというときになければ困る。カーシェアリングというインフラがあれば、減らすことができます。

イメージ(函館ウインド・カーは観光客と移住者にも便宜と楽しさを提供します。)
函館ウインド・カーは観光客と移住者にも便宜と楽しさを提供します。

私が関わっている北海道コンシェルジュ(本社・函館市)は移住促進の会社で、実際にマンションでふつうの生活を体験していただく「ちょっと暮らし」を行っています。お客様はクルマがないと不便なのでレンタカーを借りるのですが、駐車場の使用料などを合わせれば、宿泊施設代より高くなってしまう。これにもカーシェアリングが提供できます。

ふだん使うのは軽自動車で、家族で使うのはワンボックスカー、観光に来たカップルにはビートルやミニなどの輸入車と、函館ウインド・カーはバラエティに富んだ車種をご用意する予定です。

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参考:JCN 日本カーシェアリングネットワーク有限責任事業組合
http://car-sharing.jp/


ウインド・カー株式会社
〒063-0861   札幌市西区八軒1条東4丁目1-79
電話 011-611-0025
ファクシミリ 011-611-0086

関連リンクウインド・カー  http://windcar.jp/

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