ウェブマガジン カムイミンタラ

2007年07月号/ウェブマガジン第16号 (通巻136号)  [ずいそう]    

雨音に目を覚ます
はた 万次郎 (はた まんじろう ・ 北海道下川町・マンガ家)

「猪口(ちょこ)」<br>版画:宝賀寿子
「猪口(ちょこ)」
版画:宝賀寿子

ある秋のことだった。深夜、パソコンで仕事をしていると眠くなったので、少しだけベッドで横になることにした。

どれくらいの時間がたっただろう。ポタリポタリと水の落ちてくるような音がした。ベッドから体を起こし、音のするほうを見た。机の上のパソコンに断続的に水滴が落ちているのが見えた。天井から雨水が漏れているのだ。あわてて机ごとずらしたが、僕のノート型パソコンは哀れにもキーボードのすきまから内部に水が入っていた。スイッチをオンにしてみたが反応はなかった。

天井からの雨漏りはひどくなるばかりで、最終的には四畳半ほどの範囲にバケツや鍋、どんぶりをならべて受け止めることにした。しかし、どれもあっというまにいっぱいになり、つぎつぎと流し台に運んで水を捨てなければならなかった。その夜は眠ることもできなかった。

夜が明け、外に出て屋根を見上げると、四畳半ほどの広さに渡ってトタンが飛ばされ、木材がむき出しになっていた。昼を過ぎても雨は降り続いていた。わずかに雨足が弱まったすきに、近所の川のようすを見に行くことにした。途中、どこかの物置が風に転がされて道路の真ん中に倒れていた。わが家のように屋根のトタンが吹き飛ばされた家もあった。

川に行くと、いつもの透明度がなく、茶色く濁った水が今まで見たこともない高い水位で流れていた。それは冷静な判断力を失った得体の知れない獣のようであった。

雨漏りがおさまったのは翌日の夜明け前だった。雨漏りに気づいてから二十四時間がたっていた。このあたりでは記録的な大雨だったらしく、今回はじめて水に浸かった場所もあった。橋と道路の継ぎ目がえぐられて通行止めになった場所もあった。数日後、落ちていたトタンを拾い集め、屋根に貼り直す作業を始めたが、ほかにやるべきことも多く、修理ははかどらなかった。

地元に建設予定のダムを造らせまいとする市民運動にかかわって十年がすぎた。人間の手が入らない河川環境をできるだけ残したいと考えていたからだ。しかし、河川の影響を大きく受ける人たちのことも軽視できない。

記録的な大雨から二週間後、市民グループによる自然観察会が開かれた。ダムが予定されている川には絶滅危惧種の貝がいる。それを理由にダム建設に圧力をかけようというのがねらいだった。参加者は地元でいっしょに運動をしてきた人や遠方から来た人。貝にくわしい学者も招かれた。予定していた行事だったが、この時期に開催するのはふさわしくないように思われた。

先日の大雨の時、僕らはなにもしなかった。いっぽうで濁流の横で必死で土のうを積んでいた人たち、夜通し川の見回りをした地元の人たちがいた。彼らの気持ちを考えたら、貝のためにダム建設に反対しようとしている僕らの行動は配慮が欠けているのではないだろうか。貝のために使う時間があるのなら、大雨によって発生した洪水の状況調査をして、今後どのような河川にするべきかあらためて考えるべきではないのか。けっきょく、僕はその観察会に参加しなかった。

自然保護のみを強調して人間への配慮が欠ける兆候はあった。市民運動の仲間のなかに、ダム建設を要望する人たちを蔑視する言葉を平然と口にする者が出てきたのだ。地元以外では知名度の低かった市民運動が少しずつ地元以外でも知られるようになり、いい気分になったのだろうか。このままではいけないと思いながらも、状況は悪化するいっぽうだった。けっきょく、彼らと距離を置くことを決めるまで長くはかからなかった。

あの秋の雨で被ったわが家の被害はささいなものだったかもしれない。でも、あの雨をきっかけに何かが変わったような気がする。それは僕にとってけっして小さな出来事ではなかったと思っている。

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