私は、アメリカ人を両親として東京で生まれ、半世紀以上に及ぶ人生のほとんどを日本で過ごしてきた。そのためか、文化的アイデンティティーについて考えることが多い。旭川で暮らしていた少女時代からアイヌ文化に興味を抱き、様々な社会的プレッシャーのなかで、周囲と異なる文化を守り続けている人たちの姿に魅せられた。
1999年(平成11)の冬、札幌で翻訳業を営んでいる私の所に、函館で英語講師をしている幼なじみから久しぶりに連絡があった。以前から彼は、日本の中学校や高校の教科書がアイヌの歴史や文化にほとんど触れないことに呆れ、せめて英語教育の現場でそれを取り上げようと、アイヌの昔話を英語教材に取り入れている。
彼の提案で、翻訳家である私や何人かの教育者仲間が集い、日本の英語教育現場のみならず、英語圏にアイヌの口承文学を分かりやすく紹介するプロジェクトを立ち上げることになった。その企画をProject U-e-peker(プロジェクト・ウエペケレ ウエペケレはアイヌ語で昔話の意味)と名付けた。我々の熱い思いと苦労が実るまで時間はかかったが、最近ではアイヌ物語の英訳出版が少しずつ進み、ウェブサイトもたち上げた。
文字を持たないアイヌ語をローマ字で表記し、それを美しい日本語に訳したアイヌの少女知里幸恵が『アイヌ神謡集』の序文の締めくくりとして書いた言葉を、彼女が書いたままに、ここで紹介したい。
「けれど…愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずるために用ひた多くの言葉、言ひ古し、残し伝へた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまふのでせうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。アイヌに生まれてアイヌ語の中に生ひたつた私は、雨の宵雪の夜、暇ある毎に打集ふて私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。私たちを知ってくださる多くの方に讀んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共に本当に無限の喜び、無上の幸福に存じます。」
何度読んでも感動する言葉だ。文化的アイデンティテイーは何よりも「ことば」に宿るのかもしれない。そう思いながら私はコツコツと「拙い筆」でアイヌの昔話の英訳に取り組んでいる。