道南の町に住んでいた小学校五年生の時、児童たちが将来の夢を語るというNHKローカルラジオの番組収録が学校であり、選ばれて参加した5~6名の中に私も居た。そして各自が将来就きたい職業を語った記憶がある。
後日、私は担任から「もっと子どもらしい夢を話してほしかったらしい」と聞かされ、子どもらしい夢って何かな…と思った。大人の期待に応える結果でなかったことだけは確かだった。
絵が好きだった私はあの時、「画家になりたいが、絵では食べていけないので、大学へ行き、絵の先生になりたい」と言った。いま思うと可愛げのないことを言ったものだ。たしかに、大学進学は当たり前の現在だが、当時は地方の町から女生徒が大学へ進学することは経済的に恵まれた家庭でもないかぎり不可能で、私には精いっぱいの「夢」ではあった。
ふり返ると、あれから長いあいだ私の心は「下手の横好き」と「好きこそ物の上手なれ」の思いの間を振り子のように揺れ続けていた。時を経て、大学進学は叶わなかったが、気がつくとこの30数年間、描き続けることで細々とだが生計を立ててきた。この事実をいちばん驚いているのが、ほかならぬ私自身である。
道の文化交流事業の基金を得て念願だった水彩画を英国で学んだ12年前は、私の30数年間の中でも大きな転機だった。
「なぜイギリスなの?」。今春、5度目の訪英をした私に、英国人である友人ふたりまでがついに不思議そうな面持ちで問うてきた。なぜって…初訪英での一目惚れが私にはふたつもあったのだ。
ひとつめは、意志さえあればイギリスはどの分野でもプロ・アマ、年齢を問わずに基礎から学べる環境が整っていた。たとえ趣味でも、「習い事」にとどまらずに深め、高めていける状況が何よりも魅力的だった。各講座で同席した年配の方々が常に自己の中の新しい何かを求めて学び続ける姿勢にも、感銘を受けた。
ふたつめは、風景との出会い。他国にはもっとびっくりするほど珍しかったり息を飲むほどに美しい風景もあるのだろうが、英国の丸みを帯びた大樹や、どこまでもなだらかに続く丘陵、「一日の中に四季がある」と形容されるように「変わりやすい天候」が刻々と織りなす光と蔭の妙が、目にとても優しく感じられ、丘の彼方へ心が吸い込まれていく思いがしたのだった。
幾度訪れても、この英国の学びの環境と風景への憧憬は募るばかりだ。その思いを託した私の絵を見て、いま大勢の方々が「ホッとする」と言ってくださる。また、5年前から講師を務める水彩画講座では、絵がなくては出会えなかった方々と充実したひと刻を過ごしている。
年代相応の健康に恵まれ、描く喜びを他者と共有できる現在、子どものころの「夢」は叶っているのだろうと思う。