1996(平成8)年9月、これまで北海道開発局から使用を承認されてきた「層雲峡・黒岳ロープウェイ山麓駅・駐車場用地」の変更(縮小)を含めた層雲峡地区再整備事業計画(上川・層雲峡プラン65整備計画)が、上川町まちづくり推進室や環境庁大雪山国立公園統括管理官等から提示されて以降、約10年間の議論を経て、昨年10月、ようやく環境省より用地貸与の承認がなされた。なぜ、用地貸与の解決に10年余もの長い時間がかかったのか。
これに関しての私の関心事は、「調整」(円卓会議)が当たり前となってきている今日から見れば、なぜ90年代後半まではそれが不可能であったかということである。言い換えれば、駐車場用地問題の発生から、その解決に至るまで国(環境省)や町当局、層雲峡温泉街、ロープウェイ事業者等々、利害関係者の調整がどのようになされてきたのかということでもある。
結論を先取りして言うならば、これまでの政府補助事業の多くは、地元(自治体と利益享受者)の計画立案段階で、一方による他方の排除の論理が「公共」の名によってオブラート化され、何の問題も存在しないことを前提に「地元の合意形成」がなされ、事業申請が行われてきたように思われる。その間、計画に反対が予想される関係者には、事後承認的に説明会が開かれることが多く、すでに決定した計画を覆すことはほとんど不可能に近いのが一般的である。また、時によっては、政府側から「天の声」が地元に下ろされ、その事業があたかも「地元の強い要望」として具体化される場合もあり、反対運動が起きるのは計画が確定した後のことになる。
このような政府―地元―利益享受者の固い絆によって結ばれたこれまでの事業推進のあり方は、1990年代の後半以降、大きく変化してきた。国家財政危機を契機に、無駄な公共事業の見直しが国民世論となり、既存計画を住民投票等によって中止する例や利害関係者を一堂に会しての「円卓会議」の開催と会議の公開義務化、自然環境との調和を重視しての事業実施等々、従来のように秘密裏に物事を進めることが困難な状況が法的に作り出されてきたからである。このため政府(建設・運輸・農水各省)は、5~10年たっても着工や完成のメドが立たない事業に対しては、再評価システムを導入し、本格的な見直し作業や計画中止を具体化し始めたのである。
おそらく、この「駐車場用地」問題も、ことの発端は上述してきたような一連の動きに符合するのではないだろうか。ただし、これまでのあり方と決定的に異なっているのは、すでに既得権として、環境庁ではなく、北海道開発局(建設省)から用地使用権(覚え書)が認められていたことで、その当事者を外しての計画策定は論外と言うことであろう。
このことを拠り所にしてのねばり強い「駐車場用地」確保要請行動とその承認は、層雲峡地区再整備事業実施の途中からではあったが、すべての利害関係者が同一のテーブルについて、平等に意見を交換し、全員一致の最適結論を導き出したことの一つのモデルケースとして評価されるのではないだろうか。ただし、全国的には、まだまだ「円卓会議」方式は未熟で、会議そのものが「アリバイ」的に設定され、問題の「本質」を棚上げにしての両論併記の場合が多い。円卓会議を実効あるものにするためには「情報公開」が欠かせない。
(付:この問題の経緯については、長縄三郎『なぜ排除するのか―神々の庭先をめぐる奇妙な出来事』共同文化社、2003年に詳しいので参照して頂きたい)
(小田 清・こだ きよし)