ウェブマガジン カムイミンタラ

2008年01月号/ウェブマガジン第19号 (通巻139号)  [ずいそう]    

上川山岳会創立50周年
澤崎 新一 (さわざき しんいち ・ 上川山岳会会長)

「七福神の弟子」<br>版画:宝賀寿子
「七福神の弟子」
版画:宝賀寿子

上川山岳会は1957年(昭和32)6月14日に創立し、2007年の昨年は50周年を迎えました。大雪山の麓にあって雄大で美しい山岳公園を見上げる上川に山岳会がないのは面目が立たないと、町の有志が集まり、発起人5人で素案を作成し、発足したと聞いています。当時の会員は15名、それぞれ若い年代であり、体力には自信があったようです。

山岳会と名のつくものは日本全国にたくさんありますが、北海道にもたくさんの山岳会があり、それぞれさまざまな活動を続けています。なかでも海外登山の経験者も多い旭川山岳会、こちらはたしか発足してそろそろ70周年ではないでしょうか。

5人の発起人の一人で、その旭川山岳会のメンバーでもある私の父・武一が、上川山岳会の初代会長に選任されました(昭和32年~49年)。

その後何人かの歴代会長の後を継ぎ、私も2004年(平成16)から会長を引き受けました。山岳会の50周年というこの記念すべき年に会長を務めることは、たいへん感慨深い思いです。

思い起こせば、私がまだ中学生で営林署官舎に住んでいたころ、毎年会員が集まって酒を酌み交わし、山の話で盛り上がっていた記憶があります。話は深夜まで尽きることなく、酒の飲めない父も、その空気にどっぷりとつかって満足げにしていたのを思い出します。

近年は少なくなりましたが、冬山登山が盛んな時代であり、特に年末年始にかけて黒岳、愛山渓、旭岳方面は多くのパーティーが入山しておりました。厳冬期の大雪山は自然条件の最も厳しい山で、遭難事故も時々発生しており、数名の会員と大きなキスリング(両横に大きなポケットが張り出したキャンバス製のリュックサック)を背負って何度も捜索に出かけました。

発足以来の山岳会の主たる目的は、会員相互の親睦と技術の交換・研究で、大雪山縦走登山や厳冬期登山、トムラウシ集中登山など多くの山行を実施しました。その活動もあって、国民体育大会や北海道体育大会にも出場した輝かしい歴史もあります。

当時は公民館が主催する町民登山会にも指導者を派遣し、町民の健康増進や登山マナーの普及も行いました。1971年(昭和46)3月には、上川町体育協会が設立されると同時に加盟し、協会と連携して年2回の町民登山会を継続的に実施しており、昨年の秋で74回の実績となりました。多いときには90人を超える大登山会になったこともあります。

近年はこのほかに、環境省上川自然保護官事務所、上川町公民館、層雲峡地区ふれあい利用協議会主催による大雪山自然観察講座に年4回、講師およびサポート役として会員を派遣しています。

会員は上川地方遭難対策協議会のメンバーでもあり、遭難者捜索、救助活動にも積極的にかけつけます。また一般登山者の安全のため、関係機関と連携を図って標識、登山道の整備にもボランティアとして参加しています。

50周年の昨年は記念事業として、6月に黒岳石室補修材の荷揚げ、7月に利尻山の記念登山、10月には緑岳登山道整備資材の荷揚げおよび組み立てを実施しました。慣れない作業ながら記念誌の発行、また、旭川山岳会の阿地政美氏にご出席いただいた昨年10月13日の祝賀会は、この大きな節目の年の忘れることのできない思い出となりました。

今後は多くの先輩たちの意志を引き継ぐとともに、新たなスタート地点に立ち、大雪山の表玄関・上川町の山岳会である誇りを胸に、その名に恥じない活動を続けていきたいと思います。

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