ウェブマガジン カムイミンタラ

2008年03月号/ウェブマガジン第20号 (通巻140号)  [ずいそう]    

ヒューストンの能勢先生
武部 豊樹 (たけべ とよき ・ 武部建設株式会社社長/北海道三笠市)

「学(オオバナノエンレイソウ)」<br>版画:宝賀寿子
「学(オオバナノエンレイソウ)」
版画:宝賀寿子

能勢之彦(ゆきひこ)先生にはじめてお会いしたのは、私がヒューストンの日本領事館の依頼で、北海道における民家再生や古材活用の話をしに2006年(平成18)2月に当地を訪れたときであった。それまで能勢先生のことはよく知らなかった。しかし聞くところによると北海道大学医学部を卒業されていて人工心臓の世界的権威でありノーベル賞にも名前があがったとのことである。なおかつ、北海道岩見沢のご出身で私の母は小学校のときに先生の父上に教えていただいたというご縁もあった。

夕食に呼ばれて先生の高級マンションのご自宅へ向かう車中、同行してくれた領事館の佐藤美賀さんが、「武部社長、気をつけてくださいね。ちょっとしたボタンの掛け違いが、恐ろしいことになるかもしれませんからね」と言った。先生は先日も日米協会の実力者を何かの拍子で「おまえは日本人をバカにするのか!!」と怒鳴りつけたという。それを聞いて、同行した高校1年と中学2年の私の息子たちは震え上がった。私もまた緊張した。

案の定、お会いしてあいさつを終えテーブルにつこうとした息子たちは、「こらっ! ガキどもはこっちだ!」と末席を命じられた。以後、子どもたちは最後までほとんど先生に口をきくことはできなかった。

私も「何を飲むのか?」と聞かれ、「はい、ビールを」と言うと「最初はワインから始めるものだ」とお説教されたが、「ま、今日は特別だ」ということで無事にビールで乾杯を終えた。先生はたしかウィスキーであった。

亜子奥様の素晴らしくおいしい手料理をいただきながら、先生の自由闊達なお話に耳を傾けた。渡米以来、40数年にわたってアメリカ社会で実績を積み重ねてきたお話はまるで冒険譚のようでわれわれを引きつけた。なかでも昇進試験での面接問答はおもしろかった。先生は居並ぶアメリカ人の試験官たちを前にして黒板に「風林火山」の4文字を書き連ねその意味を説いたという。そして「一流の日本人たることが一流のアメリカ人をして自分を認めさせることになる」とおっしゃられて、私に新渡戸稲造の著書「武士道」をくだされた。

恥ずかしながら私はこの本を帰りの機中ではじめて読み深く感銘を受けた。自らの依って立つべき地平を100年以上も前の真の国際人に示されたのである。能勢先生もこの書をバイブルにして、異国で日本人の矜持(きょうじ)をもって生きてこられたのであろうと思った。

後日、81歳になる私の母が先生に礼状に添えて歌をお送りした。

外つ国の 大和男子の花開き
  (とつくにの やまとおのこの はなひらき)
 四方に香りて 武士の面影
  (よもにかおりて ぶしのおもかげ)

先生はたいそう喜ばれ、額縁に入れて書斎に飾り眺めていると写真つきのお手紙をくだされた。
 母の喜びも存外のものであった。

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