ウェブマガジン カムイミンタラ

2008年07月号/ウェブマガジン第22号 (通巻142号)  [ずいそう]    

「慰安婦」問題を考えるつどい を終えて
青木 久美子 (あおき くみこ ・ 株式会社旅システム所長)

「ハッケヨイ」<br>版画:宝賀寿子
「ハッケヨイ」
版画:宝賀寿子

「この人のどこにこんな力強さがあるんだろう」
 2008年5月14日、エルプラザのホールには満員の320名以上のお客様が集まっていました。韓国からお招きした李玉善ハルモニ(イ オクソン 1927年生まれ 81歳。ハルモニは韓国語でおばあさん)は、舞台から強いけどどこか優しさを感じる口調でお話していました。札幌へ着いてからも、自己主張されず、控えめで遠慮ばかりしているハルモニと、舞台で語っているハルモニは全く別人のようでした。外は雨が降って寒い日でしたが、自らの半生を語るハルモニの言葉は熱く、会場のすべての人の心につきささっているのにちがいないと確信しました。

初めて韓国広州にあるナヌムの家と歴史館を訪れたのは、9年前のことでした。
 それまでも、日本の侵略の跡を訪ねる韓国の旅を企画して、何度も韓国を訪れていたのですが、慰安婦問題は私の中でハードルが高く、具体的にとりいれることができませんでした。が、避けてとおれない問題だということも、残されている時間があまりないということも自分の中ではよくわかっていた中での訪問でした。

そして歴史館の2階の「告発の場」でハルモニたちの絵を見たときに、それまでに展示してあった慰安所の資料や復元模型などを見てヒタヒタと心に押し寄せていたものが、いっぺんに噴き出し、ハルモニの心の内に触れた気がしたことを昨日のことのように覚えています。「どんなにつらかったろう」と口に出して言えばそれだけのことですが、その時を振り返るたび、やるせない想いが戻ってきます。
 そして「私に何ができるだろうか」と考えたとき、日本人としてこのハルモニたちに何かさせてもらえるとしたら、私はここに少しでもたくさんの日本人をつれてくることしかできないと思ったのです。

「許すけど忘れない」過去の侵略の地へ行くとよく見る言葉です。また、「過去のことは忘れてこれからのことを考えましょう」と韓国や中国の人に言われることもあります。
 でも私たち日本人こそは忘れてはいけないのです。というか、忘れるということは知っていることが前提でしょうが、はたしてどのくらいの日本人がわが国が過去におこなった侵略の様子を知っているのでしょうか。

「ハルモニにあって元気をもらった」とご一緒したお客様がおっしゃいます。ツアーに参加したお客様の「ハルモニの話をもっと大勢の、韓国に行けない人たちにも聞かせたい」との思いからはじまった今回の企画でした。共感してくださる多くの方にささえられ、大成功とさせることができました。

日本政府がきちんと「慰安婦」の事実を認め、謝罪し賠償する日が、せめてハルモニが生きているうちに来ることを願ってやみません。
 そのために日本人の一人として微力ながらできることからやっていこうと、また夏の韓国ツアーの宣伝をせっせとおこなっています。

(注釈)
ナヌムの家は、韓国語で分かちあいの家の意。元「慰安婦」の女性が集団で生活しています。敷地内に歴史館(資料館)があります。

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