ウェブマガジン カムイミンタラ

2008年11月号/ウェブマガジン第24号 (通巻144号)  [ずいそう]    

脱サラ新規就農25年の今
福山 憲昭 (ふくやま のりあき ・ 有機栽培農場ハーベストガーデン福山 代表)

「小春日和」<br>版画:宝賀寿子
「小春日和」
版画:宝賀寿子

私たちが東京でのサラリーマン生活を終えて、有機栽培農家を目指すべく、憧れの北海道に来てから早くも25年が過ぎました。当時の私は31歳。妻1人と(これは当たり前)1歳、3歳、5歳の3人の子供を連れての冒険でした。

事のきっかけは、勤めていた会社が一年に1回実施している地方への短期出張に北海道を選んだこと。もちろん、それまで北海道に来たこともなかったので北海道見たさという不純な動機で選んだのですが、そこで私が見たものはまさにカルチャーショックの連続でした。

東京では子育てに追われながらも夫婦共働きで、私は出版社での編集勤務ということもあって、常に残業が多く、多い時には時間外勤務が150時間を超える月が何ヶ月も連続することがありました。過労死が社会問題化する今の時代では考えられませんが、当時はまかり通っていました。
 150時間を超すと、土日の出勤は当たり前で、平日も連日終電車での帰宅。加えて徹夜泊まりが何回か・・といったところです。毎月もらう給料は基本給と時間外手当てが同額になるほどで、しかもお金を使う時間すらない・・という惨めな生活でしたが、数多くの出版物を企画し編集発行する仕事自体はとても楽しかったので、若さに任せ、妻に過大な負担をかけつつも充実した毎日を送っていました。

そんな中での北海道出張で垣間見たものは、僻地といわれる地域でのびのびと暮らす子供たちの姿、そして素晴らしくも雄大な自然。都会では経験できない純朴な方々との交流などなど。大都会のアスファルトジャングルの中で毎日あくせくと生活していることに疑問を感じたのは自然な流れかもしれません。

当時は、今のように「新規就農」などというシャレタ言葉もなく、「入植」という表現が一般的でした。事前の下調べに北海道に来て、「あの~、農業をはじめたいんですが、入植できる土地はないでしょうか」と、目星を付けておいた自治体や農協を尋ねまわったものの、良い答えは皆無でした。今なら恐らく「就農祝い金等」を付けてでも大歓迎してくれる自治体が殆どでしょう。時代が早すぎたのかもしれません。

さて、「窮すれば通ず」という言葉どおり、有難いことに北海道新聞の「読者の声」の欄に投稿したことが縁となり、なんとか「入植」の目途がたったのが1983年のことです。さらにその5年後には、縁あって現在の当麻町(北海道上川郡)に有機栽培農場を開設することができました。そして今年は記念すべき農場開設20年に当たります。
 あっという間の25年。この間、どんなにたくさんの方々に助けられ、励まされ力になっていただいたことか。最近になって心底感じること、それは人は「生きている」と同時に「生かされてもいる」のだということです。
 秋も終わり農作業も終盤を迎える中、野良の恵みに感謝しながら、夫婦互いに白くなった頭と衰え始めた身体を気遣いつつ、今後とも社会に恩返しできるよう精一杯生きていこうと思っています。

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