昨2008年10月21日、私たちは「グリーン九条の会」を札幌に結成し、11月17日に発足記念の集いを30名ほどの参加で開催しました。
世話人は、私と秋山孝二さん、内山博さんの3名、事務局を担当してもらう1名含め、総勢10名に満たない小さな後発の「九条の会」です。ただ、世話人の3名は、いずれも現職の会社経営者であることが特色といえるかもしれません。
現日本国憲法九条(きゅうじょう)が改悪されたり形骸化することを憂い、大江健三郎さんなど9名の方々が「九条の会」をつくり、2004年6月に「アピール」を発表しました。「アピール」には、その趣旨に賛同する人たちは、全国津々浦々そして各分野に「○○九条の会」をつくってほしい、とのことが訴えられています。呼びかけた当の「九条の会」(元祖とでも言えばいいのでしょうか)は上下という関係ではなく、つなぎ役をつとめるとも。さらに自らのホームページをつくり、全国にそれからの運動の進行がわかるように用意してくれました。「グリーン九条の会」もそれに触発され、呼応しようとできたのです。
名称の「グリーン九条の会」は、緑の唐草模様の風呂敷をイメージしたことからつけました。「九条の会アピールに賛同する」「経済の視点から平和を考える」が私たちの趣旨です。
企業は、長い目で利益を出し続けていかなくては存続できない存在ですから、経営者には「時流を読み、時流に乗る」ことが必要とされます。さまざまなつきあいのなか、自らの肩に責任を背負い、自分の判断で行動することが求められる立場です。ひとりよがりですむものではなく、言動に慎重さが求められるのは当然なのです。しかし、先輩経営者たちは、戦時中「統制経済の時代」「星に錨に顔に闇の時代」を体験し、くぐりぬけ、後輩に「それらは二度とごめんだ」の言葉を残してくれました。過去の歴史から感じることがあり、アピールへの共感を共有できるなら、自分たちなりに何かやれることがあるかも、が発足への踏ん切りをつけさせてくれたのです。
今後は年2回くらい、世話人が一致する内容の催しをやっていこうと考えています。「決して先頭に立たず、他の九条の会のみなさんの後ろをついていく」が、モットーです。何年続けられるかわかりませんが、このささやかな動きでも、つながりあうのりしろのひとつとなれれば、幸いに思う私たちなのです。
「生きるのは良いものと気がつく三日前」
海軍飛行予備学生第13期生の伊熊二郎など4名が遺した合作川柳のひとつです。「雲ながるる果てに―戦没海軍飛行予備学生の手記」に収録され、伝わりました。彼らは1923(大正12)年生まれ、大学生でしたが志願をし、1945(昭和20)年4月、沖縄周辺の海域で特攻死しました。全員、私の母と同年の生まれ、私が生まれた月に死にました。彼らの思いと死を無駄にはしたくないものだと思っています。