8月7日(木)午前7時30分―大雪山黒岳山頂の監視員小屋に、「梅沢俊さん2名、ただ今、黒岳へ向かいました」と無線連絡。昨日、黒岳石室に宿泊して待機し、けさ出迎えに来た取材班に黒岳リフトの登山事務所が知らせてくれたのです。
大雪山ではもっとも急峻な登行コースである層雲峡(670メートル)からの黒岳(1984メートル)へは、かつては黒岳沢の尾根沿いに、4時間以上もかけて登らなければなりませんでした。しかし、1967年(昭和42)に五合目まで層雲峡ロープウエイが開通。さらに70年(昭和45)に七合目までチェアリフトが完成してからは、名勝・層雲峡に位置し、しかも多様なコース選択ができる立地条件に恵まれた大雪山随一の登山口として、だれにでも登りやすいコースになりました。
海抜1,500メートルを超える七合目から、安山岩をそぎ落としたようにきりたつ黒岳の北側岩壁をめざしてトドマツ、エゾマツなどの針葉樹林からダケカンバ帯へ。さらに電光形に開かれた登山路を進むと、やがてハイマツ帯に変わります。ロープウエイの始発駅から、こうした樹木の垂直分布を観察するのも興味深いところです。
九合目からは第1、第2、第3と高山植物の花園が広がり、マネキ岩が頂上間近を知らせてくれます。空身ならほぼ1時間のコース。それを、梅沢さん夫妻は45分ほどで姿を見せました。
頂上に立つと、まず目を奪われるのは大雪山の大パノラマです。右手に桂月岳、凌雲岳、北鎮岳。中央の間宮岳とその奥に旭岳。そして左手へ北海岳、白雲岳…。なだらかな起伏の中に生い繁る深緑のハイマツと、そこに点在する雪渓のコントラスト。特に、北鎮岳に毎年変わらぬ姿でくちばしを寄せ合っている白鳥と千鳥の雪渓のほほえましさ。その広大さと優しさは黒岳ならではの景観であり、急激な登行の息づかいを一気に静めてくれます。眼下に広がる美ヶ原、雲ノ平、お鉢平。少し下ると黒岳石室の赤い屋根が見えます。
石室で休憩のあとは、お鉢平の稜線を時計回りに北海岳(2149メートル)を経て白雲岳(2229メートル)へ向かう予定ですが、そのまま進むと時計と逆回りに雲ノ平、北鎮岳(2244メートル)、中岳(2113メートル)を経たコースと間宮岳(2185メートル)で合流し、旭岳(2290メートル)へと通じます。
梅沢さんは、1969年(昭和44)に北海道大学農学部農業生物学科を卒業後、そのままフリーで野生植物のカメラマンの道に入りました。自然派の多くがそうであるように、梅沢さんも小学生のころは昆虫採取が大好き。高校時代も生物クラブで活動、大学生時代には蝶の研究をしていました。そして、このころ先輩に誘われて北大・山スキー部に入り、スナップ写真などを撮りながら、山のノウハウを本格的に身につけてきました。
そんななかで、いつかしらファインダーから見る高山植物のかれんな姿に心うたれるようになり、山行の時は必ずカメラを携えて、花を撮り集めていたといいます。
「昆虫はアマチュアとプロの分野ではやり方も違うし、無益な殺生はしたくないという気持ちもあって、漠然と植物関係の仕事をしたいと思うようになりましたね」。
大学を卒業して就職を決めかねていたとき、わが国山岳写真の草分けである田淵行男氏が北海道の高山蝶を撮ることになり、そのポーターを梅沢さんがつとめました。そのときに、漠然としていた野生植物写真家への思いが、決意に変わっていったようです。
1972年(昭和47)ごろ、道内では写真による植物の検索図鑑類はもとより、ガイドブックなどもほとんど出版されていませんでした。努力の末、81年に伊藤浩司著の『北海道の高山植物と山草』(誠文堂新光社)の写真を担当、共著『新版北海道の花』(北大図書刊行会)のほか、『花の散歩道』(正・続=北海タイムス社)、そして今年『北海道の高山植物』(北海道新聞社)を刊行するまでになり、学術的な基礎知識を踏まえた野生植物の写真家として、高く評価されています。
梅沢さんが札幌市南区の自宅に居るのは週のうち2日程度。それも、整理と次の山行準備のために帰るようなもの。週の前半は単独行動のことが多いのですが、週末は、結婚してから山を知った妻の節子さん(38)とともに行動できるスケジュールを組み、夏冬通して3分の2は山に入っているという生活を続けています。
同日午前10時―台風10号から変わった熱帯性低気圧が三陸沖に停滞し、その影響で山頂の雲の流れが速くて、天候は不安定です。エゾツガザクラやキバナシャクナゲなどが咲く美ヶ原、エゾイワツメグサ、ジンヨウキスミレ、ダイセツトリカブト、タカネキスミレなどが美しい北海平でも、梅沢さんはほとんどカメラを向けることなく白雲岳避難小屋へ。
昨年、梅沢さんは大雪山に6回来ています。ここはいつでも来れる山なのです。だから、彼は花たちに語りかけます。「今日はあまりよい条件でないから、また来るワ」と。
同日午後4時30分―一行は今年から夏の間は有人有料となった白雲岳避難小屋に落ち着き、管埋人の渡辺康之さんや保田信紀層雲峡博物館長も加わっての夕食。さらに、山仲間の消息や高山植物の今年の咲き具合など、缶ビールを次々に飲み干しての談笑が続きます。
8日(金)午前6時40分―高根ヶ原を通って忠別岳(1962)へ。梅沢さんは、この道みちで50コマ以上の高山植物を撮影するスケジュールです。
梅沢さんが、うす紫色の花の前で立ち止まりました。普通に見た目ではほとんど判別しがたいチシマフウロとエゾグンナイフウロの違いを、花柄の腺毛の有無で確認しているのです。
「これはチシマフウロだね。アザミの仲間も種類が多くて、いろんな名前がついているんです。タカネキタアザミともいうウスユキトウヒレンとユキバヒゴタイは、葉の裏が白いかどうかで区別します」。図鑑的な撮影は、その違いを自然な形で写しださなくてはなりません。
梅沢さんは、いま、イネ科やイグサ科の花に関心を向けています。
「以前から興味はあったけど、目立たないし、一つひとつの構造に特徴がつかめなくて、撮っても何だかわからないという写真が多かったんです。しかし、最近ようやく花の全容をクローズアップで撮ったりして、同じように見えてもずいぶん違うのがわかるようになってきました」。
平ヶ岳付近で、ファインダーの中にクローズアップされたのはイグサ科のミヤマホソコウガイゼキショウ。褐色に近い紫色をした2ミリほどの小さな花に、6本の雄しべが並んでいます。マイクロレンズのカメラを至近距離に据える。節子さんが、すかさずレフ板(反射板)を当てます。花は、わずかな風にも大きく揺れています。風の止む一瞬をめがけてシャッターを押す。風が止んでからでは遅いのです。止む前に、その瞬間を正確に予測してシャッターを切っているのでしょう。「なかなか止まないときは、カサを使ったりザックを風上に置いたりするけど、それでも静止してくれない。そこが泣きどころですね」。
ラン科の花は群生しないから、めったに行き当たりません。4時間も5時間も探し求めてやっと見つけた花は、もう二度と会えないかもしれない―そんな気持ちでいろいろな角度から撮ります。
「いまは図鑑中心の撮影ですが、写真家として自分の感性を呼びさましてくれるような作品を撮りたいという夢はあります。しかし、花を撮るには基礎的な知識がないとだめだと思い、勉強のつもりで図鑑の撮影をしています」。
「文献にだけ載っているような、まぼろしの花もあります。足しげく山に通っていれば、そうした偶然にも必ず出会えるときはあるはずです」。
同日午前11時20分―忠別沼着。行動食程度の簡単な昼食をとりながら、梅沢さんにとっての高山植物の魅力を尋ねてみました。
「やはり、過酷な風土に耐えて、けなげに咲く姿ですね。その生活史にはドラマがありますよ」。
「この花たちは、氷河時代にはかなり分布を広げていたんです。それが温暖になって取り残され、しだいに山の上に登ってきた。大雪山にも、黒岳を代表する花や白雲岳以南の固有種という花があります。固有種はアポイ岳(日高山系)、夕張岳にもあります。それぞれの地質に合ったものが生き残ったというか、その地域に適応する形質になって生き続けているんです。つまり、取り残された山で、毛を多くするとか、葉を広くするとか―。他から隔離されたために、その植物の集団が何か遺伝的に優生なものをそなえて、そこだけに勢力を広げてきたのではないかと思うんです」。
高山植物の女王といわれるコマクサは、他の群落から離れて風衝地帯の石ころだらけの中に生きています。地上の背丈は10センチほどですが、その根は背丈の5倍以上も伸ばし、水分の消耗の少ない独特の葉を持っています。そして、個体としては2週間程度の短い花期を精いっぱい生き、その間に受精し、結実して生きのび続けるのです。
今年は、7月になってもオホーツク海高気圧が居座って気温はいっこうに上昇せず、山の夏は2週間近くも遅れたということです。そのため、夏に咲く花は開花時期を大きく狂わされました。
やっと気キの上がった8月初旬、これまでの遅れを取り戻そうとする花たちが一気に咲きそろいました。しかし、すでに今日めぐった道みちにはリンドウやキキョウ科の花が咲き始めて、早い山の秋の訪れを思わせます。これでは、芽も出さずに終わってしまう花もあるにちがいありません。
「高山植物は、自然条件の厳しさには強いんです。弱いのは人間に対してです。まったく無防備ですからね」。
登山者の不注意で踏みつけられたり、カネ目当ての盗採が絶滅につながります。
梅沢さんのライブラリーは、すでに何万点という数にのぼっています。それでも、
「北海道の山は、世界的にみても貴重。まだまだ北海道の山だけで撮り続けたいと思っています。それだけに、山に訪れる人みんなが、一輪の花も大切にする気持ちになってほしいですね」といいきります。
同日午後0時30分―取材班は、ここで梅沢さんとはお別れすることにします。
梅沢さんは目の前の忠別岳でさらに撮影を続け、天候に恵まれれば、このあと斜里岳へも足をのばす予定とか。
取材班が昼食の後始末をしてザックを肩にしたころ、早くも梅沢夫妻は忠別岳の頂上付近に見え隠れしていました。
環境庁大雪山国立公園管理官 層雲峡管理官事務所 三浦金徳さん
国立公園の管理官になって13年、大山(鳥取県)雲仙(長崎県)尾瀬(群馬県)屋久島(鹿児島県)上高地(長野県)と山岳公園ばかりを転任してきましたが、大雪山はその広大さにおいて他の比ではないと思いますね。それに、日本の山では本来の姿をとどめている貴重な山といえるでしょうね。
先日トムラウシ山へ行きましたが、ひじょうに雪が多く、雪が解けたところから地衣類が10センチ、20センチと厚くたい積し、そこからミネズオウやイワウメがわっと咲きます。それだけの植生が形成されるには200年や300年の歴史ではない、そんな場所が大雪山には至るところにあります。営林局の施業方法にもよるのでしょうが、露骨な伐採地も見えません。十勝三股あたりには広大な原生林が広がっていて、その点でも原始性を感じさせてくれます。
クマは確かにいますが、出遭う確率はきわめてまれです。雪渓の白、広大なお花畑、錦なす紅葉は美しく、ナキウサギをはじめギンザンマシコ、ウスバキチョウなど氷河時代から生き残っている動物やシマリス、キタキツネもわりと警戒心がなくて、人間にいい顔を見せてくれる―そういう山はほかにありません。
北アルプスなどは高さ、険しさを感じさせてくれるけれど、その広さ、なだらかさは、山上の天国で遊んでみたいという人びとにとって最高の場所、それが大雪山です。
昆虫生態写真家 白雲岳自然保護監視員 渡辺康之さん
薄く、透き通るような黄色い地に黒斑が美しい翅(はね)をもつ高山蝶のウスバキチョウは、さらに後翅に鮮かな紅紋を有しています。この紅色は、コマクサとまったく同じ色なんです。
約1万年前の地球は、氷河期でした。その時に大陸から蝶や動物が渡って来ましたが、その後、温暖な気候になったため大陸に帰れなくなり、寒い大雪山の頂上付近にすみ残ったものたちがいるわけです。それが動物ではナキウサギ、蝶ではこのウスバキチョウとダイセツタカネヒカゲ、アサヒヒョウモンの3種類なんです。
ウスバキチョウは、元来、大陸ではコマクサを食べていなかった。それが日本に来て、はじめてコマクサを食生するようになった。ともに寒冷の地でしか生きられない高山植物の女王・コマクサと蝶の中ではもっとも美しい貴公子との出会いはドラマチックで、しかも謎に包まれています。
卵は、夏に石の裏側などに産みつけられ、そのまま冬を越します。翌年5、6月ころにふ化して幼虫となり、この時にコマクサを食べて成長します。7月から8月にかけてクロマメノキやミネズオウ、ガンコウランなどの群落の下にマユをつくり(普通、蝶はマユをつくらない)、サナギになって再び越冬します。そして3年目の6月ころから羽化し、成虫としては2道間程度の短い一生を終えるのです。あの鮮かな黄色い翅や紅紋を見せるのは、ほんの数日。強い日光の下では、しだいに褪色していきます。