ウェブマガジン カムイミンタラ

1986年09月号/第16号  [ずいそう]    

子ども
長野 京子 (ながの きょうこ ・ 北海道児童文学の会代表)

北キツネの形をしたポシェットをぶらさげた4歳のケイタくんは、いそいそと近所の店へ入って行った。

「おばちゃん、このお菓子ちょうだい」ポシェットから取り出したものを見て、おばちゃんは声をあげた。

「あらあら、このお金、みんな紙きれじゃないの」

そのとおり、お金はすべてケイタくんがハサミで作り上げた苦心の紙きれであった。

ケイタくんは、それでお菓子が買えると、心から信じきっていたのだ。

仔細(しさい)はお菓子屋のおばちゃんからの電話で、ケイタくんの母親の知るところとなった。

その結果がどのように処理されたか、それは聞いていない。だがなぜか私はふと、うろたえのようなものを感じた。

ケイタくんは、叱られなかっただろうか。それよりも、ケイタくんが納得できるように、解説の出来るおとなが、果たしてどれだけいたであろうか。ケイタくんのこわれた夢を、おとなたちはどのように補ったことか、それも心にひっかかった。

子どもたちは、ほんとうに大切にされているのだろうか。非行やいじめなどという言葉を、天気予報のように聞いているおとなたちは、決して少なくない。

本屋を歩いて気がつくことだが、子ども向けの本はほとんど隅っこに置かれている。新刊書のコーナーに童話のある光景も見たことがない。たった一例をあげても、これなのだ。

子どもに対して全く無関心な、あるいはたちまち教育者ぶるおとなたちを、私は狡いと思う。子ども対おとなの立場に立った時、おとなはまず、自分自身に疑惑を持ってもいいのでなかろうか。

北キツネのポシェットを下げたケイタくんが、紙のお金を持って目の前に現われたら、どんな姿勢で彼を迎えればよいか。私は今、自分にさえ疑問を感じている。

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