犬がほえて、来客を知らせた。
家人が玄関で応対しているらしい。しばらくして、トントンと階段を上る足音がして戸口で「もう起きて下さい」ときた。
「今朝はなんだい」というと
「シギみたい」とのたまう。
「またむつかしいやつがやってきたなあ」とつぶやきながら、その後の作業をあれこれと思いやつ、いささかうんざりした気持ちで、起きるためのひと呼吸をする。
いつのころからか、思えばずい分前からだったような気持ちのなかで、両手で頬をたたいた。
玄関口で待っていたのは、ダンボールをかかえたお百姓さんだった。朝、庭の草むらの中でうずくまる鳥を保護したというのである。
見ると家人の言うとおり、シギの仲間のヤマシギであった。
鷹におそわれたのか、交通事故にあったのか、右翼がつけ根の部分で折れている。しかも、かなりの時間がたっているのであろう。羽毛をさかだて、長い嘴(くちばし)は今では重荷となっているらしく、地面すれすれまで下っていた。一目でもはや手遅れを感じていた。
「うむ…」とうなりながら体をそっと抱きあげた時、それまで閉じていた目が「ホッ」と開いた。
暗く奥深い瞳の中に一瞬涙を見たような気がした。私は思わず、
「お湯を用意!」と、怒鳴っていたのである。
持ち込まれる野生の動物たちの数が確実に年百を超えるようになって、わが家の家計もまた確実にパンクを続けている。
加療と看護のあとで、死を見ることも多い。なんども逃げ出したくなる日々のなかで、あの初対面の日に見せる動物たちの瞳もまた
「よしよし、もう少しの辛抱だ。助けてやるからな」などとつぶやきながら、消毒を始めていた。
それが絶望的な作業になることを知っていた。
あのほの暗く、深々とした瞳の中に宿る小さな小さな信号に呼び出され始めて、もう十数年となる。
「あと何年続くのだろう」と私はつぶやき続けている。