昭和8年、私が北大予科に入学し、はじめて市民の1人となったころの札幌は、人口十数万人の小都市であった。
入学早々の週末に、山岳部の学友とヘルベチァヒュッテに向かうべく銭函峠を越えた私は、小榑内川源流の森の美しさに目を見張った。山道の両側には直径1メートルを越す針葉樹が目の届く限り生い茂り、残雪に埋められた谷間には陽の影さえまばらであった。
東京に生まれ育った私には、札幌の街からわずか3、4時間で来られる所に、これだけの自然が残されていることは驚異でさえあった。それほどの郊外でなくても、今、私が住んでいる円山の周辺でさえ、ちょっと大げさにいえば動植物の宝庫で、南麓のドロノキの林では、今の札幌では珍蝶となってしまったオオイチモンジの産卵も見ることができた。
近ごろは、円山の頂上に立って札幌の街を見おろすたびに緑の少なくなったことに驚かされるが、鉄北や東札幌に比べれば、まだこのあたりははるかによい方であろう。札幌が緑の多い都市だというのは中山峠までの豊平川流域を市内に数えているためで、市街地の中は、国内の他の都市に比べてもきわめて緑の乏しい街に違いない。
札幌の自然を守るための文句を言えばきりがないが、ここではその中の一つを特にあげておきたい。
それは公園を造成する際に、もともとそこにあった古い草木をできるだけ尊重して、残して欲しいということである。
植物は本来その環境に最適のものが自生しているのであって、自然公園としては、人びとがそれを見て歩くのに足りる程度の手入れをすればよいのである。自然の林を根こそぎ切ってしまって「何々の森」などという、苗床のように密植した、寄付者芳名の札を1本ごとに下げた林をつくる無神経さには、まったく驚くほかはない。
円山の麓に多かったエゾエノキの幼樹がひじょうに減ってしまったのは、山麓の外見のみを気にする近代化が進んだためらしいが、このことによって札幌市は、今では数少なくなった国蝶オオムラサキの楽園をみずから滅ぼしているのである。最近できた『芸術の森』などにこの意味で進歩が見られるのは、せめてもの幸いである。