久しぶりに、寒村の私の育った港町に帰りました。雪が地底から降ってくるような地吹雪と鉛色の海のうねりをみて、ふと子どもたちの声が聞こえないのに気づきました。
子どもたちが生き生きとしていたころ、この村もニシン漁でにぎわっていました。そのニシンも幻の魚となって30年、若者は次々と村を離れ、そして子どもたちの姿もめっきりと少なくなってしまったのです。
グリム童話に「ハーメルンの笛吹き」という伝説に基づいたお話があります。約束を守らなかった町長への復讐として「ネズミとり男」が笛を吹いて、その村の子ども全員をどこかに連れ去ってしまう怖いお話です。
そのお話とかさなって子どもたちの声が聞こえないのは、村が死んでしまったようで寂しく、もの悲しい気持ちにさせられます。
復讐したのは、ニシンでしょうか。ニシンを乱獲し、海水を汚したために、人びとは復讐されているのでしょうか。
村や町が豊かに満ちているということは、とりもなおさず子どもがたくさん住んでいることにつながるように思います。子どもを大切にする町や村は、心のやさしさを育む村は、決して滅びることがないと私は思いたいのです。
今年6月には、上川地方のラベンダーの咲く町の町政要覧に、かなりのページ数をさいて、子どもたちのために童話が掲載されます。町政要覧に童話が掲載されるという話は初めて聞きますし、それを企画した人びと、そしてそれを実行する町に、私は感動します。
一村一品も、いい。しかし、品物をつくって町の個性をだし、わずかに経済をうるおすだけでは、いつかは限界が来ます。町を発展させるさまざまな要因のひとつには、その町が目にみえない心の豊かさをどれだけ大切にし、子どもたちのための施策がなされているかにあるように思います。
なにしろ、子どもは未来に生きる人間なのですから―。