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1987年05月号/第20号  [特集]    札幌

すべての子どもたちに読書のよろこびを ボランティアの心を終結し創意に満ちた本の数々
ふきのとう文庫 札幌

  
 入院している子ども、在宅療養している子ども、どんな子どもたちにも本を読むよろこびを知ってほしい――「ふきのとう文庫」はそんな願いから生まれました。その活動は、市販の本が読めない子どものために布の絵本や拡大写本作り、そして「ふきのとう子ども図書館」へと大きく発展しました。子どもの発達を助け、精神生活を豊かにしていく美しい本。病院文庫の設置。それらは多くの人びとの感動をよび、ボランティアの輪は道内外に広がっています。

『ビーだまいくつ?』を卒業 次は『りんごがいっぱい』

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「おはようございます。いいお天気ですね。きょうは、何月何日、何曜日ですか」お姉さんのような先生の若々しい声が響きます。北海道立もなみ学園「短期療育カリキュラム」の朝のミーティングです。黒板にかけられているのは布製の「お天気カレンダー」です。当てられた男生徒は前に出て、きのうの「24」をはがし、今日の数字を選んでいます。迷うこと数分。クラスメートの励ましを受け、やっと「3月25日水曜日」ができあがりました。

「では今日のお天気は?晴れですね」

先生の言葉にじっと窓を見つめる女生徒は、しかし真赤な太陽のアプリケは選ばず、雲のアプリケをボタンでとめます。確かに窓の外はどんよりとした曇空です。

「そう、今日は曇、ですね」

訂正する先生。パチパチと拍手で応援を受ける生徒は、なんとはればれした表情でしょう。教室は笑いの渦につつまれます。

もなみ学園は精薄児童や自閉症児が学習していますが、教材として布の絵本、布のパネル・パズル、布の遊具などを取り入れています。

「生活訓練学級では、週1回布の絵本を取り入れています。『ビーだまいくつ?』を卒業した子どもには『りんごがいっぱい』を使い、成果があがっています」と担当の十川光男さん(指導課指導第四係長)。

「子どもたちは徐々にマジックテープ、ファスナー、スナップなどを理解し、遊びながら自分の身辺処理ができるようになってきました。家庭で応用したいと相談に来るお母さんたちもいます」

これら布でつくられた教材は、すべて札幌のボランティアグループ「(財)ふきのとう文庫」から長期的に貸し出されたものなのです。

障害児の機能訓練と情緒を育てる布の絵本

布の絵本。温かな手ざわり、あふれるような色、デザインの愛らしさ、隠された意外性はだれもの心を一瞬に引きつけてしまいます。天竺(てんじく)木綿を台布に、カラフルなフエルトのアプリケで物語は展開されていきます。1ページの中には、スナップ、ボタン、ひも、マジックテープ、ファスナー、ベルト、かぎホックなどがほどこされています。スナップで止めてあるリンゴは、木からもいで籠(かご)へ入れることができます。マジックテ-プ付きのチョウチョは次のページの花畑に飛んでいくこともできます。紙の厚さ、堅さ、本の角など、私たちの思いもよらないことが障害者にとって本を身近にできない条件になります。布の柔かさは安全で、子どもの情緒を安定させます。精薄児は遊びのなかで数の概念や長短の感覚が身につき、し体不自由児は手先や腕の動きが促進されます。

しかし障害の度合いは一人ひとり、まったく違います。「横のファスナーはできるのですが、縦は駄目で…」という脳性マヒ児の母親。「実際に子どもが洋服を着る時のようにスナップの凹凸の距離を確かめられる工夫をしてほしい」という養護学級からの要望。布の絵本が教材として高められてきたのは、こうした利用者の声に耳をかたむけ、研究を積み重ねてきたからにほかなりません。

デザイン画に基づいて、とり外した方がいいものやアプリケの寸法など細部にわたって検討し、まず一作を実験的に作ります。それを養護施設などで使い、先生から子どもの反応や教材としての改善点を尋ね、さらに改良を加え、いっせいに縫い始めるのはその後。ボランティアの創意は、童謡などの音楽性を取り入れたものやオリジナリティーに富んだ作品を次々につくり出し、今では西ドイツのミュンヘン国際青少年図書館をはじめアメリカ、スペイン、イタリア、チェコ、オーストリア、ノルウェーの図書館や教育研究所など海外から注目されるまでになりました。

ボタンをちぎったり、噛んだり、グチャグチャにして振り回したり。子どもたちに身近であるほど、布の絵本は乱暴なあつかいをうけることになります。「戻ってきた古い布の本を修繕したんです。とめ金もはがれて、もうボロボロ。ほんとうに子どもに愛されてきたんだなと、胸がいっぱいになりました」去年から参加したボランティアの1人、番場文子さんはしみじみ語ります。布の本は、紙の本を読めない子どもたちにとってまさに“本”そのものなのです。「一般の図書館ではまだ本と認めてくれませんが、図書館で一般書と同じように貸し出され、地域の子どもたちが気軽に手にとれるようになるのが本当は一番いいのです」12年間布の絵本をつくり続けてきた小川美那子さんは、きっぱりと言い切ります。

小樽市立病院小児病棟から生まれた「ふきのとう文庫」

ふきのとう文庫は、布の絵本をつくるボランティアグループとして広く知られることになりましたが、布の絵本づくりは、いつでも、どこでも、だれでもが平等に本を読む権利を享受するための1つの柱にすぎません。

イメージ(小樽私立病院小児科病棟小児室のふきのとう文庫。毎週月曜日、夜7時からボランティアが読み聞かせや紙芝居を行い、入院中の子供たちは楽しいひと時を過ごします。)
小樽私立病院小児科病棟小児室のふきのとう文庫。毎週月曜日、夜7時からボランティアが読み聞かせや紙芝居を行い、入院中の子供たちは楽しいひと時を過ごします。

今から14年前、ふきのとう文庫は、入院中の子どもや通院する子どもたちのための病院文庫(患者用図書室)として誕生しました。創立者の小林静江さん(ふきのとう文庫理事長)は、25年間カリエスで寝たきりだった妹さんを1970年(昭和45)に亡くし、それをきっかけに江別市の自宅で行なっていた子ども文庫を障害児に開放することにしました。どんなに本が読みたかったことだろう――そうした妹さんへの思いは、障害者のための図書サービスを求める道へと小林さんを導いていきました。来館できない重度の身体障害者に家庭配本している図書館がない、小樽に移転した小林さんは、なんとか病気の子どもたちに本が届く方法はないものかと奔走し、その近道として考え出されたのが病院文庫だったのです。

「リューマチで寝たきりだった時に、むしょうに本が読みたくて」と協力を申しでてくれる人、在宅患者をもつ母親に呼びかけてくれた市の福祉課など、多くの人びとの声で小樽市立病院小児科病棟に文庫が誕生したのは1973年(昭和48)11月のことでした。長い冬の厳しさに耐え、雪の下から春まっ先に顔を出すふきのとう――病気とたたかう子どもたちへの励ましをこめ、文庫は「ふきのとう文庫」と名づけられました。日本における病院文庫第1号の誕生です。

いそいそとベッドに本を持ち込む子どもたち。小児病棟のよろこびはたいへんなものでした。と同時に、それは市販の本が読めない子どもの存在に気づかされるきっかけになりました。未熟児網膜症で脳性マヒの子をもつ母親が「うちの子どもにも読める本を」と相談に来たのです。さっそく盲人用の「さわる絵本」や折り紙の本などを取り寄せました。「障害を持つ子どもと本の会」を発足させ知恵を集めましたが、なかなか適当なものは見い出せません。布の絵本は暗中模索の中で出会った、一筋の光だったのです。

弱視児の世界を広げた拡大写本

市販の本が読めない子どもたちのために、既成の概念を超えた新しい“本”。障害児教育に取り組む専門家たちと研究や情報を交換するなかで、ふきのとう文庫はまた一つ、弱視児のための拡大写本の必要性を教えられました。

最近は盲学校などに拡大用の機械が設置されていますが、文字の大きさだけでなく、文字を構成する線と線の間が重要となる弱視児にとって、機械ではなお不鮮明さが残り、気楽に読書を楽しむという状況ではありません。

イメージ(ふきのとう子ども図書館の2階作業部屋。火曜日は自宅での成果を持ちよるボランティアが集まりまる。)
ふきのとう子ども図書館の2階作業部屋。火曜日は自宅での成果を持ちよるボランティアが集まりまる。

拡大写本は、文字をフェルトペンで0.9ミリ以上の太さ、2センチ角の大きさに手書きし、さし絵も描き直した手づくりの絵本です。文字は筆字ではなく筆圧を一定にした教科書体に近いもの。ボカしている色づかいの原画は背景との判断がつかないので、よりくっきりさせることなど1ページ1ページが神経を使った手仕事。石原優子さんを中心とした訓練を積んだボランティアにより、1冊を仕上げるのに平均3ヵ月から4ヵ月かかります。こうしてできあがった拡大写本は、札幌市立日章中学校弱視学級をはじめ、東京都立久留米養護学校など道外にも貸し出され、生き生きとした読書感想文や手紙となって返ってきます。

「医療や設備の力では埋められない分野は大きく、それは今も昔も変わらないと思います。そこに自分のアイディアが少しでも役立てば、こんなよろこびはありません」ふきのとう文庫に寄せるボランティアの自発的な創意と工夫は、布の絵本、拡大写本を生みだし、点字図書に加えて障害者の読書の世界をいっそう広げました。

ボランティアの輪は日本各地に広がって

ボランティアは「恵まれない人のお手伝い」ではありません。同じ社会に生きる隣人として、ともに生きぬき、豊かな社会条件をいっしょにつくっていこうとするものです。そのために、時として行政にも問いかけていく発言者になります。障害児が、いつでも、どこでも、本を読めるようになるには病院文庫の設置や新しい本づくりと並行して、障害者の図書サービスを求める働きかけをすすめていかなければなりません。

小樽市立病院にふきのとう文庫が誕生した翌年から、小林さんたちは第74回と75回国会に「重度身障者(児)の読書の権利の保障を求める請願書」と「重度身障者(児)への図書郵送の無料化を求める請願書」を提出しました。前者は採択、後者は保留(継続審議)となり、1976年(昭和51)郵便料金が改定され「障害者団体の第三種郵便物は据置、身障者用書籍小包と盲人用点字小包(盲児のさわる絵本)は、現行料金の半額に」決まったのです。

これ辷齪Aの動きで病院文庫の理解者は全国に広がり、「ふきのとう文庫」が設置された病院は33ヵ所。ふきのとう文庫は、函館、室蘭、釧路など道内に6支部、岡山、岐阜、前橋、横浜、静岡など道外にも5支部、ボランティアの数は千数百人へと広がりました。しかし「本の寄贈は受けるが文庫としての運営はしない」という姿勢や、理解ある担当医や婦長さんが異動になると引き継ぎがされない場合もあり、病院文庫への理解も充分とはいえません。

また、布の絵本を一般図書と同じように貸し出しができるよう、図書館に対する働きかけもねばり強く行なわれています。

「ユネスコで定めた本の概念の問題、役所の機構など壁はまだまだ厚いです。でも浦安市中央図書館(千葉県)のように、積極的に取り組んでくれる図書館が生まれつつあります」と小林さんは笑顔を見せます。

ふれあいと理解を育てる ふきのとう子ども図書館

「座位が保てない子どものために寝ころんだままで本が読める図書館がほしい」

「健常児と障害児がいっしょに遊べる場がほしい」

病院文庫がスタートして9年、ふきのとう文庫は多くの声が集まる場でもありました。その夢は1982年(昭和57)、札幌市西区に「ふきのとう子ども図書館」となって実現したのです。一般児童図書4千冊、布の絵本7百冊、拡大写本、布の遊具や地図、パネルなどがそろった図書館は床暖房でじゅうたん敷き。脊髄性進行性筋萎縮症の子どもを持つ父親は「床が暖かいことが親としてとても安心です」とこまやかな心づかいと設計を評価します。

昨年の夏は64人の札幌西高校の生徒が同図書館を訪れ、拡大写本の色ぬりや布の遊具づくりを体験しました。競争社会の中で分離され、弱者の痛みを知らないで育っている子どもたち。「心がないのではなく、心を育てる場が少ないのです」と札幌西高校の勝藤芳子先生はボランティア活動をカリキュラムに加えた意図を力説します。

「自分の身近に、歩けない子や知恵遅れの子がいてそれが“普通”。特に小学低学年の時代に区別なく育つ環境が重要です」

いま子ども図書館には、地域の元気な子どもたちもいっぱい訪れています。ここで布でできた本があることを知り、大きな文字の本があることを知ります。そして、それらの本しか読めない仲間がいることを知るのです。

みんながいっしょに本を読めることのよろこびを通して、ノーマライゼーションの心は次の世代へとひきつがれていくのです。

ふきのとう文庫のあゆみ


1973年(昭和48)
小樽市立病院小児科プレイルームにふきのとう文庫1号開設。

1974年
国会請願、原田郵政大臣面会。「重度身障者(児)の読書の権利の保障を求める請願」が国会文教委員会で採択。「重度身障者(児)への図書郵送の無料化を求める請願」が国会逓信委員会で保留(継続審議)。

1975年
「障害をもつ子どもと本の会」発足。国会請願、厚生省山下厚生政務次官、井出更生課長陳情。永井文部大臣、村上郵政大臣面会、請願署名を国会に提出。国立療養所小樽病院やまびこ病棟、札幌医大整形外科学習室内にふきのとう文庫開設。参議院逓信委員会札幌公聴会で「重度身障者の郵便物は無料扱いを」公述。

1976年
郵便料金改訂。「身障者団体の第三種郵便は据置、身障者への書籍小包料は半額に」が図書館法による図書館に適用となる。札幌市青少年婦人部、婦人ボランティアコーナーの「布でつくる絵本」研修会にて講習を受けもつ。札幌盲学校にて手づくりの布の絵本の制作協力開始。神奈川県立こども医療センター肢体不自由児施設、北海道大学付属病院小児科、国立小児病院(東京)、国立療養所神奈川病院小児科病棟、岡山市立病院小児科、水島協同病院小児科(倉敷)、前橋協立病院小児科(群馬)、群馬中央総合病院小児科にそれぞれふきのとう文庫開設。岡山、岐阜、前橋、釧路に支部発足。

1977年
横浜支部発足。都立清瀬小児科病院内分校にふきのとう文庫開設。札幌丸井デパートで愛のバザー開催。北海道学校図書館研究会大会障害児教育分科会に資料として布の本を提出。

1978年
佐久総合病院内分校(長野)、静岡県立子ども病院、静岡県立中央病院小児科及び心身障害児通園施設「いこいの家」、函館五稜郭病院小児科院内学級、北海道社会保険中央病院小児科、国立札幌病院ガンセンターにふきのとう文庫開設。函館支部発足。

1979年
札幌市立病院小児科にふきのとう文庫開設。財団法人ふきのとう文庫設立。札幌の図書館づくりをすすめる会で「障害児への図書館活動の現状」と題して講演。全国図書館大会第6分科会で提言。小樽支部発足。

1980年
西岡支部発足。根室ふきのとうサークル発足。ミュンヘン国際青少年図書館及びボローニャ児童図書展へ布の本発送。「布の本・さわる本・拡大図書・テープ図書を書籍小包扱いに」と郵政省へ陳情。勤医協札幌病院小児科、国立静岡東病院てんかんセンターにふきのとう文庫開設。

1981年
Aメリカ・アイオワ州へ布の本発送。布の絵本展大阪展・千葉展、静岡済生会病院小児病棟、国立高崎病院小児科、島田市民病院小児病棟(静岡)にふきのとう文庫開設。北海道より障害者福祉功労者表彰(創意開発部門)。拡大写本づくり開始。厚生省・福祉機器の開発に関する研究「布の絵本」部門に参加。

1982年
ふきのとう子ども図書館開館。ポートランド婦人派遣員見学。札幌市立日章中学弱視学級、室蘭市立病院小児科にふきのとう文庫開設。室蘭支部発足。北海道善行賞受賞

1983年
苫小牧市立病院小児科病棟にふきのとう文庫開設。読売新聞社「福祉活動奨励賞」受賞。朝日新聞社「朝日ボランティア奨励金」受賞。

1984年
札幌医大小児科、旭川医大付属病院小児科にふきのとう文庫開設。

1985年
「伊藤忠記念財団」の第1回子ども文庫功労賞受賞。北海道難病連全国交流会で「病院図書館について」小林理事長講演。聖母会天使病院小児科病棟プレイルームにふきのとう文庫開設。北海道医療技術短大理学作業療法科生見学。

1986年
静岡市立病院小児病棟ふきのとう文庫開設。「子どもの本世界大会第20回IBBY東京大会」に参加。

障害者にとって図書活動は“文化”そのものです

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北星学園大学教授 忍 博次(おしひろつぐ)

慢性病や重い障害を持っている人にとって、図書活動は健常者よりはるかに必要だといえます。健康であるならスポーツや他の余暇活動で人間を鍛えることができますが、病気を持っている人が自分を豊かにし、思想や生きる哲学を高めるには、読書は大きな位置をしめます。

しかし日本における図書館の、病人や老人、障害者など弱者に対するサービスはまったく不十分。盲人用に点字図書があるだけで、特に重度の障害者が本を借りたり選書するチャンスは少ないのが現状です。

アメリカでは1966年に、図書館の障害者サービスが制度化され、来館の困難な読者には通信と電話、郵便によって無料で奉仕されています。また、カナダや北欧諸国では大きな病院と市立図書館とが結びつき、図書館職員が病院に派遣され、図書の提供が制度化されています。日本の病院は治療が主で、病人の精神生活についてはあまり考えていないのではないでしようか。

病気になったら病者として扱うだけでなく、1人の人間として全人格的に支えていく考慮を持たなければなりません。図書活動は、障害者にとってまさに“文化”そのものなのです。

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