神楽坂のすし屋に連れて行っていただいた時のことです。おいしい鮨(すし)をたらふく食べて、さあ帰ろうかと腰をあげた時、店の親父さんが
「ちょっと待ってください、お客さん。いま自家製の卵焼きをご馳走しますから」というのです。私は思わず、
「えっ、お宅でニワトリを飼っているのですか」と大きな声を出して、まわりから軽蔑の視線をいっせいに浴びてしまったのです。あれっ、なにかいけないことを言ったかしら、と小さくなりながら頭をフル回転させてみましたが、答えは出てきませんでした。「自家製」と殊更に言うものですから、自分の家で飼っているニワトリが産んだ卵と、単純に解釈したのがいけなかったようです。
近ごろは、鮨の上にのっかっている卵焼きはほとんどが仕出し屋から仕入れたものと聞いて、びっくりしてしまいました。北見に帰り、手柄顔でレストランを経営する友人に、
「あのね、東京ではね…」語りはじめる私の話を終わりまで聞きもせず、
「北見だって同じよ。○○ホテルの料理も、半分はそれを使っているみたいよ」と、まるで知らないのがアホみたいに言われ、憮然(ぶぜん)としてしまいました。
ハンバーグ、コロッケ、カレー、中華料理など、なんでもあるレストランでは、それをレンジで温めて「お待ちどうさま」と出してくるのだそうです。
「ただし、うちのは違いますよ」と、その友人は付け加えるのでした。
家族連れで外食をする機会の多いこのごろです。あそこのはうまい、ここのはまずいと言っていても、みな同じものなのだとすれば、まるで詐欺にでも遭った感じがします。うまい、うまくないも、その時の腹の空き具合によることだってあり得ます。なんと味気ないことか。
夕食の材料をセットして配達する商売もあるし、スーパーへ行っても鍋料理の材料がパックされてあったり、サラダ用の野菜が、好きなものを好きなだけ買って来てマヨネーズやドレッシングをかけるだけで口に入れられるようにして売っています。どこの家庭でも、どこのレストランでも、なにからなにまでということではないにしても、もっと自家製が多いはずなのに、最近は便利になりすぎて、なんと味気のない時代かと嘆くのは、やはり大正生まれだからでしようか。