―上遠野さんの設計された建物には、レンガがずいぶん使われていますね。
私は、レンガと木のふたつを、北海道の生活には最適の建築素材だろうと自信をもっています。木も石も欠くことのできないエレメントですが。レンガは雪がしんしんと積もる中で強固な自分の城をかまえるのにこんないい材料は他にちょっと見当らないですよ。
―レンガのどういうところが魅力ですか。
レンガというのは、土をこねて、乾かして窯で焼く、いってみれば手作りなのね。手作りということは人間臭いわけです。工業製品でありながら、人の温もりが残っているおいしい建築素材ですよ。
そして、レンガには焼き物のイメージがある。土の具合や焼く状況などで多様に変化しますし、さらに、自然が手を加えて変化させていく。時が経つにつれて風格や深い味わいが現れてくる素材は他にはないでしよう。
―確かにレンガには独特の雰囲気がありますね。
レンガは人に訴えるんですよ。語ってくれるんだね。だれにでも、レンガにまつわるいろいろなイメージが生活の中にあるのでしょう。レンガの面白みはそこにある。もう一つ。レンガの持っている大きさは、ずーっと変わっていない。外壁に使っても室内に使っても同じ大きさです。それでいて安らぎを与えてくれるのは、いってみれば、ヒューマン・スケールですよ、あのレンガの大きさは。
ずーっと長い時間をかけて洗練されてきて、人間にもっともふさわしいものにつくり上げられてきたものではないかと思っています。
―ところで北海道にはレンガの建物が多いようですね。
レンガには温かいという表現が伴っていますよね。コンクリートやタイルでは、どんな色を使ってもこの温もりは表現できない。だから北国にレンガが使われているのでしょう。
例えば、レンガ倉庫の中でビールを飲ませる所がありますね。そこで飲む感じと真白い壁の室内で飲むのとでは、ビールの味も違うだろうと思います。
レンガのもっている質感が北国の室内の生活の中で大切な意味をもっているからでしょ。ここが本州と違うところなんだな。そして、そういう生活をしている北海道の人の感覚を私は大切にしたいと思っています。
―上遠野さんのお好きな北海道のレンガ建造物といいますと。
まず道庁の赤レンガが浮かびますね。次いで開拓記念館、酪農大学の本館。最近のものでは、札幌市中央区北1条西13丁目にある日本出版販売北海道支社がいいですね。レンガの使われ方としておもしろいのでしたら私の家(南区川沿)。中央区南6条西5丁目にある遠藤邸の塀と敷地の西北にある蔵は非常に精巧にできていて、60年以上たつのに、ちっとも傷んでない。高級なレンガというイメージをそのまま持っていて、当時にあれくらい優良なレンガと技術があったことを示す歴史的建物です。
―50年、100年という古いものと、この20年くらいの新しいものとに分れているようですが。
レンガは北海道の開拓と同時に輸入され、開拓の歴史とともに歩んできた建築素材なんですね。ところがその後、昭和30年代に入るまで、あまり使われなくなった。それは、関東大震災でレンガが地震に弱いことが実証されたからなんです。それまでの積み方、組積造(そせきぞう)では弱かったということですね。また、大きな建物ができない、大きな窓がとれない、高い建物ができない、などという制約があったんです。
―すると、最近の建物でレンガはどのように使われているのでしょうか。
鉄筋コンクリートとレンガの組み合わせですね。耐震的なフレームを作って、そこヘレンガを加えて生かそうという点が昔と違うところです。つまり、鉄筋コンクリートとレンガの共存というわけです。
レンガそのものは、もう2000年も続いて研究されつくしているようですが、他の素材との共存、または、単独でもその組み合わせ方など、今後、技術的な事を加えれば、可能性としてはたくさん生まれてくるでしよう。
―上遠野さんがレンガを使った建物を設計し始めたのはいつ頃から……。
私自身の設計のテーマとしては、昭和30年代からです。北海道ではレンガは基本的になくなってはいけない素材なのじゃないかな。なくしたくないというのが私の希望です。
レンガの使い方の研究例の第1号としては、野幌にある酪農大学の本館がそうです。あれは野幌で焼いたレンガを使ってまして、レンガを再評価したという意味で、戦後の北海道の建築物の中では意義があったと思います。
―レンガのこれからをどのようにお考えですか。
みんながもっと広範囲にレンガを使えるクライアントであってほしい、もっと考えを広げて、レンガを自分達の生活の中に取り入れてほしいと思いますね。それを実行するのが建築家であると思います。1つの住宅から、その周辺へ、そして街中に雰囲気がでてきて、あなたも作った、私も作ったということになると、想像するだけでも楽しいですよね。
レンガは北海道の土で焼かれた、我々の身近かにある素材であることをもう一度掘り起してみる必要がありますよ。そこからレンガは再び近代建築の中に甦るだろう、また、甦らせなければならないと。
室内に木があって外にレンガがあるというのが、私の建築のテーマです。それでいかに空間を作っていくかですね。北海道の移り変わる四季の中で、また、いろんな場所に、どんな色のレンガが似合うのか、また、広めていったらいいのかが私のこれからの課題です。
――熊谷 直勝
札幌の都市景観における色彩ということを考えた時、固有の原理を持つ原型的な色彩を原色としたならば、私には、すぐさま4つの色がうかんできます。
白樺の樹肌やすずらんの花に見いだせるような暖かみのある白、鮮かな透明感のある植物の緑、夕暮れ時の樹木の幹や枝の少し紫っぽい美しい黒、そして歴史の情感を伝えるレンガ色。色の名前を言葉でいってしまうと、どうも絵具の色を連想されて誤解を招きやすいのですが、私は自然界にある色を思い出していただきたいのです。
札幌に限らず北国では、冬になると樹木の葉は落ち、建物の外壁が露出してしまいます。そこで、暖かみのある色調がほしくなってきます。近代建築では木ですと無理ですから、例えば石か焼物ということになり、その中で唯一、人間っぽい温かさを特っているのがレンガ、レンガ色であると考えています。ひとくちにレンガ色といっても様々な色があり、それは人それぞれの心のふるさとに触れて、その土地の土を焼いてつくる素朴な文化の味わい、色調を持っているものです。
今、色の問題としてレンガも調べていますが、不思議に思ったことは、道庁が“赤レンガ”と呼ばれていることです。色を計ってみると実際は決して赤くない。ところが遠くから見ると赤く見える。
これは緯度の関係なのですね。大まかにいいますと、春分の日を基準にして、札幌の太陽光線の入射角度は90度マイナス北緯43度で47度ということになります。この入射角度の違いで、大気中のオゾンの性質や湿度など、さまざまな要素が原因して地上の色調が異なるのです。ですから道庁を遠くから見るとかなり茶色っぽい色でも赤く見える、ということになるのです。
同じ建築素材を使っていても、場所が変わればこのように全国どこでも色が違って見えるのです。ですから、その都市によって、街によって似合う色というのは存在し、また、異なっていて当然なのです。
街をいきいきとした感じにしようとすると、同じ色調で統一するのではなく、ある程度の彩りが必要です。
カナダのトロントはうまく調和のとれている都市です。古い建物と新しいもの、色調もバランスがとれていまして、私の好きな街の1つです。ここでは、レンガの持つ表情を使おうとするとき、2つの方法が試みられています。1つは古いレンガの廃材をエアー・ブラシを使って空気で洗うわけです。するとゴミは取れて古さはそのままで新しい顔を出します。
もう1つはレンガ・タイルですね。若い建築家と話をしてみますと、彼等にしてもレンガ・タイルに対しては若干の反発を感じているようです。感覚としては、古い時代にあった表情がどこかにある方がやはりつきあいやすい、というのは世界共通のようですね。レンガ・タイルも近寄って見てみるといろんな色が含まれていたり、種類も増えているのですが、もうひと工夫ほしいところです。
私個人のレンガに対する願望としては、昔の質感を生かしながら、適切な配置のもとに、もっともっと増えてもいいと思います。それに、1つか2つくらいはレンガ通りみたいのがあっても楽しいですよ、きっと。ある町のこの通りだけは外壁も道路もレンガでできてて、街路樹もいい樹種を選んで、というふうにね。
訪れる四季に沿って、色を変え、姿を変える自然の中で、札幌は美しい都市です。この札幌の都市美が創造性豊かな視点の中でつくられていくことは願ってもないことです。(談)
札幌市の近郊には、今なおレンガ造りの倉庫があちこちに残っています。豊平区西岡4条10丁目にある沼田岩蔵さん宅の旧リンゴ倉庫もその1つ。
1947年(昭和22年)から1年がかりで造られたもので、レンガは全部、野幌から馬そりで運ばれてきました。入口は大きなアーチを描き、細部には当時のレンガ職人の粋な積み方が見られます。奥の地下貯蔵庫の扉を閉めると、リンゴを翌年の8月まで保存できたとか。
内部のレンガのところどころには、冷蔵庫にあるような霜がついていて、これが湿度のバロメーターになり、リンゴが乾燥せずにすむのだそうです。これは呼吸しているレンガだからこそ。さぞかし、リンゴ達はゆっくり眠っていたことでしょう。
野幌にレンガ工場ができたのは、1898年(明治31年)。北海道炭礦鉄道株式会社が江別村大字江別字野幌に野幌煉瓦工場を設立したのがはじまりです。それ以来、レンガと言えば『野幌レンガ』と言われるくらい広く道民に親しまれてきました。今も北海道で使われる80パーセント以上のレンガが、野幌の土から生まれています。
暖かみのある独特のレンガ色の秘密は、実は鉄分を含んだ赤ボカ(赤ボク)とよばれる赤色粘土によるものです。この赤ボカ層が野幌には多かったこと。レンガの原料は粘土8に細砂2の割合に調合されるのが理想ですが、この両方を同じ場所で採掘できたこと――野幌の土はこのように、レンガを生みだす好条件をそなえていたのです。
野幌の粘土は地質学的に見ると、第4紀更新世の火山灰質粘土層で、湿気を与えると著しく粘性を増し、乾燥すれば著しく堅固となること、さらに吸水性があり凍害が少ない、という特質を持っています。まさにレンガのための土と言えるでしょう。 『北海道各地に土を求めて研究していますが、なかなか野幌の土のようにはいかない。他の土を混ぜてもせいぜい2割が限度』と北海道立工業試験場野幌窯業分場の高田忠彦氏。 今、野幌では宅地化が進み、良質の粘土もしだいに少なくなってきてます。
厚生年金会館や教育文化会館などの大きな公共施設が集まっているこの地域に、とても人なつっこいレンガの塀があります。日本出版販売北海道支杜の古レンガの塀です。
「もともと、アメリカ領事館があった敷地だけに立派な樹木も多く、みなさんに庭を楽しんでいただきたい」(設計者の上野公久さん)ということで低い塀になったといいます。
積まれているレンガは、領事館で使われていたレンガと、野幌の米沢レンガ工場の昔の窯のレンガです。窯に使われていたレンガは、幾度となく火を通ってますので、角も丸くなっていて、柔かい感じを出しています。
小口を揃えた積み方は高さに限界があるせいか、あまり使われていないようですが、イモ積みという方法です。
もうすぐ、庭も緑になってきます。樹木や芝生の緑とあの古いレンガだけが持つ雰囲気を楽しめる季節になってきました。(札幌市中央区北1条西13丁目)
野幌小学校の正門前にある火薬庫。1887年(明治20年)におかれた江別屯田歩兵第3大隊の本部施設で、江別市の指定文化財になっています。レンガの火薬庫は道内でも大変珍しく、貴重な史跡です。
レンガの建造物というと真先に頭に浮かぶのが道庁旧庁舎ですが、それに対比される最近の建物というと、やはり北海道開拓記念館があげられます。
使われているのはすべて野幌のレンガ。外部と内部の主要な壁はフランス積みにした赤レンガ、食堂の壁は鉄分の少ない黄色いレンガ、そして国道12号線から入る道路の歩道には塩焼きレンガが敷かれています。レンガは総数75万個。野幌のレンガ工場が総力をあげて2年がかりで焼きあげたものです。
(北海道開拓記念館 札幌市白石区厚別町小野幌)
塩焼きレンガ
原料は普通のレンガと同じ。1100度ぐらいに加熱したときに塩をまく。塩つまりNaClがSiO2(珪酸)に変化し、表面だけガラス化する。堅く引締ったレンガで、黒レンガとも呼ばれている。
耐火レンガ
アルミナを多量に含む耐火粘土を原料とする。白色または黄白色のレンガ。野幌の土ではできない。羽幌炭鉱内で偶然この耐火粘土層が発見され、一時期は石炭より需要が多かったとか。
空洞レンガ
レンガの中にポツポツと穴が開けてある。一見弱々しく見えるが、中までしっかり焼けるので強度は増す。ヨーロッパでは古くから建築材として使われている。
90×47×25(mm)、約8分の1サイズのミニ・レンガが北海道開拓記念館で売られています。1個250円。文鎮に、花瓶敷きや鍋敷き、本立てにと卓上にいくつか置いて楽しんで見ませんか。
このお店を開く3年前からどんな内装にしようかと考え、出した結論がレンガだったそうです。レンガの持つ微妙な色合いが、シャンソンという心のひセを唄う店に合うのではないか、人はやはり自然の中にいるのが一番安らぐと思ったのがその理由とか。
わざとランダムに積んであるレンガからは、表面上のうわっつらな美しさではなく、素朴な味わいが出ています。
面白いのは、このお店は1階にあるのに、地下にあるという印象を持っているお客が多いとのこと。「パリでもシャンソニエは古い倉庫や穴蔵を改造したものが多く、その点も狙ってはいたのですが、やはりレンガはその色や形のイメージで物語っているんですね。」とオーナーの大倉実氏は話していました。
シャンソニエ・ドン・グレコ
(札幌市中央区南6条西5丁目ホワイト・ビル)