雪どけの水が音をたてて流れ、残雪を割ってふきのとうが、なつかしい春を告げる頃、私は必ず山の神様を訪ねたものだった。山の神様、それは三菱美唄炭鉱の閉山の跡にたった2人で残る嘉平さん夫婦である。山はつぶれ、人は去っても「おれは1人になっても闘うぞ。オレぁ山の神だ。死んでも山をはなれないぞ」と、どんな説得にも応じなかった嘉平さんである。
だが、山の冬は厳しい。電気も水道もなくて吹雪にでもなると、忽ち町への道は閉ざされ、古びた炭住は深い雪の壁に埋れてしまうのだ。大根を食っても生きていけるよ、と千本の大根を作る嘉平さんなのだが、石ころだらけの山道を登り「ヤアヤア!」と相変らずの元気な声に出会うと本当にほっとしたものだ。3年前も嘉平さんはにこにこと大地を指さし、得意そうに笑っていた。そこにあったのは、泥だらけの野ワサビなのだが。
この山もかつては、ぎっしり炭住の長屋が並び、朝起きて「何かないかあ」といえば「アイヨッ!」とばかり、つっかけ姿で家の前からワサビをひきぬき、熱いごはんをワサビじょうゆで食べるような生活があったのである。
月見台、いかにも風流なここの名も、この山の端から何時もきれいな月がでるので人々がそう呼ぶ様になったのだという。「月夜の晩においでよ」と嘉平さんは目を細くするが、月明りで見えるこぶしの花はどんなに美しかったことか。
「花、好きかい」と嘉平さんは木に登ってこぶしの一枝をとってくれた。奥さんのなかさんがチョロチョロと流れる湧き水を汲んでお茶をわかしながら「今が一番、幸せ」とほほえむと嘉平さんも嬉しそうに笑う。
何もかも捨てて人は去ったというのに、残された山神さんの御神体をそっくり移し、昔通りに祭っていたのも嘉平さんなのである。帰りは必ず山の下まで送ってきて、いつまでも手をふるのだった。だが今、月見台はただの山にすぎない。山の神さまはもうこの世にはなく、土に返ったのだから。