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1987年11月号/第23号  [特集]    札幌

わが国地域文学館運動のさきがけを果たし北海道の精神遺産を守る人びとの熱情
北海道文学館 札幌

  20年前、木原直彦さん(現・館長)の職場の机を事務局にして活動のスタートをきった北海道文学館(和田謹吾理事長)は、わが国地域文学館運動のさきがけとなり、その充実した活動は高く評価されています。本州とは明らかに異なった北方の雄大な自然と過酷な開拓の歴史を背景に、明治いらい多くの作品が生まれ、すぐれた作家を輩出して日本近代文学史に大きな役割を果たしてきた北海道―。この館に収蔵されている11万5千点の文学資料は、北海道の貴重な精神遺産であり、それを集め、守りぬいてきた人たちの労苦と熱情があらためてしのばれます。

法の女神に守られた北海道文学の殿堂

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札幌・大通公園を西13丁目まで足をのばすと、石山軟石張りの重厚な建物に行きあたります。いまは札幌市資料館として活用されているこの建物は、明治憲法下の全国7控訴院の1つとして1926年(大正15)に完成した札幌控訴院で、ただ1つ現存する由緒ある建物。玄関庇(ひさし)部分に目隠しをしたギリシャ神話の法の女神テミスの首像が飾られ、建物のうちそとに大正モダニズムの精神が脈打っています。

正面玄関の左右に「札幌市資料館」の看板と並んで掲げられた「北海道文学館」の看板には、本道を土壌に文学活動を進めてきた人たちの万感の思いがこめられています。

この建物が札幌市資料館としてオープンした1973年(昭和48)に札幌の文学資料の展示を依頼されたのが足がかりとなり、79年(昭和54)にやっと看板を掲げることができたのです。創設から、じつに12年目のことでした。事務局が仮住まいの札幌時計台から移転したのは翌80年(昭和55)、いまでは2階に有島武郎と船山馨の記念室、北海道文学、札幌文学の常設展示室と企画展示室をもち、北海道文学の殿堂としての体裁は整ったかにみえますが、いぜん間借り生活の不便さは、変わることなくつづいています。

館設立の機運を生んだ北海道文学展の熱気

北海道文学館を生んだ直接の動機は、1966年(昭和41)10月に札幌・丸井(○の中に井)今井デパートで開催した初めての北海道文学展の成功でした。

イメージ(直筆の原稿や書簡、使いなれた文房具などから作家とじかに接する喜びが―(船山馨記念室で))
直筆の原稿や書簡、使いなれた文房具などから作家とじかに接する喜びが―(船山馨記念室で)

現役で活躍する本道出身作家の最長老である八木義徳さん(1911年=明治44=生まれ、室蘭出身・現在東京都町田市在住、日本文芸家協会理事)は、北海道で初めて文学展を開催するという話を聞いたときの思い出を次のように語ります。

「北海道にも文学と名のつくものが根付いてきたということで、たいへんな感慨でしたよ。ぼくの少年時代はみんな生活至上主義で、文化とか文学は遠い言葉でしたからね」と。

その北海道文学展は、折柄「開道100年を契機に、北海道の文学遺産を集め、その精神史を一堂に繰り広げて、あすの北海道文学発展の礎にしよう」という故更科源蔵さんや木原直彦さんをはじめとした、多くの在道文学者仲間の発意によって開かれたものです。

オープニングは伊藤整と更科源蔵のふたりによってテープカット。約3千点の貴重な資料が20コーナーに分けて展示され、6日間の会期中に2万人の観客が押し寄せるという未曾有の盛況さは、いまも語り草になっているほどです。

手弁当で活躍をする若き“働きバチ”たち

イメージ(武郎が母にあてた手紙や直筆の履歴書、滞欧中に描いた画帳などから、明治、大正期の知性人の心が伝わる有島武郎記念室)
武郎が母にあてた手紙や直筆の履歴書、滞欧中に描いた画帳などから、明治、大正期の知性人の心が伝わる有島武郎記念室

「文学展って、いったい何じゃい。古本や古雑誌を並べて観せたって何になる、というのが一般的な認識でしたし、私たちもどうやって資料を集め、並べたらいいのか皆目わからない。まったくの手さぐり状態でした」と話すのは、当時の事務局長・木原直彦さん。また、事務局次長として会計を担当していた西村信(まこと)さん((株)ニシムラ副社長)も、東京をはじめ各地に資料集めや入場券売りに奔走したひとり。

「なにしろ初めてのこと、無我夢中でしたね。みんなが勤めを終わってから借りものの準備室に集まり、運び込まれた資料の点検や整理をする。みんな手弁当で、深夜までつづく連日の労力奉仕にも、音をあげる人などだれもいないのです。小笠原克さん、佐々木逸郎さんはもとより、各ジャンルにも男女の別なく、元気な“働きバチ”が大勢そろっていたものです」。

そのパワーを小笠原克さんは「火事場の馬鹿力」と、のちの館報に書いています。

そうした努力が実って、テープカットと同時に観客が「地鳴りをさせて」(澤田誠一さんの感想)会場になだれ込んだのです。伊藤整、中野重治、大江健三郎と、東京でもめったにそろわないだろうという道新ホールでの文学講演会は、文字どおり立錐(りっすい)の余地もなく、演壇の真下まで聴衆が詰めかけて関係者を感激させるありさまでした。

「ぼくの知る限り、2万人という観客を動員した文学展は前代未聞だね。それは、北海道の人の民度の高さだといっていいと思う」と、八木さんは語ります。

また、当時、日本近代文学館理事長だった伊藤整さんは「今の北海道にはすぐれた作家が定住し、力のある文学史家、文芸評論家たちがそろっていて、東京の評論家たちもこのことをもって北海道文学の黄金時代である、というのを私は聞いている」と館報第1号に寄稿しています。

その熱気が全国にさきがけて地域文学館運動をスタート

成功をよろこぶ打ち上げパーティーの席上、博物館としての地域総合文学館設立の話題が具体的に燃えあがり、半年後の1967年(昭和42)4月には、民間の任意団体ながら、設立総会の開催を実現したのです。文学展で寄贈された数多くの資料と入場券の収益金30万円が元手でした。

「そのころは、文学館を博物館として位置づける思想は、ほとんどわが国にはなかった」と、手さぐりの船出だった当時を木原さんはふり返ります。

そのころの文学館といえるものは、木曽・馬籠の島崎藤村記念館と佐賀県・柳川の北原白秋記念館など、個人の生家記念館が若干あるだけ。

しかし、その年は日本近代文学館(伊藤整理事長)が、5年間の準備を経て東京・駒場にオープンした年でもあり、地域の文学センター、運動体としての位置づけでスタートした北海道文学館の活動は、のちの県立神奈川近代文学館や石川近代文学館をはじめ、全国各地の文学館運動の導火線となるものでした。

八木さんの言葉によれば「それは、まさに熱気といっていいものでした。そして、その勢いが北海道新聞文学賞の設立、澤田誠一君が主宰する『北方文芸』創刊への弾みとなっていくんです」。

「展覧会屋」といわれながらも次々に企画を実行して

イメージ(道内出身作家第1号の武林無想庵から現在活躍中の作家までがそろう札幌文学展示室)
道内出身作家第1号の武林無想庵から現在活躍中の作家までがそろう札幌文学展示室

最初の活動は文芸講演会。更科源蔵、和田謹吾、伊藤整、宇野親美、高倉新一郎などそうそうたるメンバーをそろえ、さらに2回の文芸講演会に次いで『有島武郎文学展』を開催します。そして翌年は『文学に見る北方風物展』『近代文学百年展』と矢継ぎ早に企画展を開き、“働きバチ”たちは「展覧会屋」とか「講演会屋」と椰楡(やゆ)されながらも、そのバイタリティーあふれる活動に各方面から称賛の声が寄せられていました。

「民間の任意団体で、金がない、場所がないなかで多くの人に文学館の存在を認知してもらうには、労力を惜しまないことだけが資本です。苦労は多いが、企画展はじかに作品からとは違った作家の実像に触れるよろこびを知ってもらい、館にとっては資料の確認と寄贈を受ける契機となる貴重な催しです。また、作家や作品のゆかりの地を研修する『文学散歩』、すぐれた講師陣による文芸講座などは、文学を通じて学びあう場になっていると思います」と、木原さんはその成果をふり返ります。

この20年間に収蔵した資料は11万5千点に

間借り先の札幌市資料館の2階には、5つの展示室と1つの研究室に分かれ、北海道の文学遺産が光彩を放って展示されています。北海道文学の父といわれる有島武郎記念室は、その代表作の初版本をはじめ写真や書簡、さらに滞欧時代の画帖へと見ていくと、彼が北海道の絵画史にも多大な貢献を果たした才能を知ることもできます。

もう1つは『石狩平野』や『お登勢』によって国民的歴史ロマン作家と呼ばれる船山馨記念室。また北海道文学・札幌文学展示室には、出身作家や北海道の文学風土に魅せられてすぐれた作品を文壇に発表し、日本近代文学の発展に大きな足跡を残した国木田独歩や石川啄木など来道作家らの資料が展示されています。

現在まで収蔵している資料は11万5千点。その中には、千点以上におよぶ本道出身作家の原稿、それぞれの鋭意がこもる道内同人誌、歌誌、句誌がまとまっているほか、日本を代表する詩集のコレクション、石森延男にあてた川端康成ら著名作家の書簡などは、全国有数の貴重な資料とされています。企画展示室で開く文学展は、この20年間で36回、地方への移動展も11回を数え、全国のさきがけをなす『バスによる文学散歩』『文学の旅』は40回、講座・講演会は70回。そして県単位では類をみない『北海道文学大辞典』や中央出版社と協力して刊行した『北海道文学全集』全23巻『北海道児童文学全集』全15巻、『北海道文学地図』『北海道文学百景』など出版図書も11冊におよんでいます。

故更科源蔵さんを頂点にジャンルを超えた人の和が

イメージ(日本文学の世界に独自性を示す北海道文学展示室)
日本文学の世界に独自性を示す北海道文学展示室

「いま思えば、きわめて北海道的なんですが、何もわからないままに『やるべえ』『やってみるか』という意気込みの積み重ねでここまで来たんです」という木原さんは、さらに言葉を次いで「それは、文学の各ジャンルを超えて結集した人の和がこの成果を生んだということに尽きる」と断言します。ともすれば1つのジャンル内でのまとまりさえむずかしいといわれるなかで何がそこまでの結束を生んだのか、それは初代理事長の更科源蔵さんの存在でした。

「更科さんは北海道の風土そのもののような、存在感の確かな人でした。それは、北海道の中でほとんど筆1本で生涯をつらぬいてきた最初の人としての強さがあり、文学を志す人としての芯の通った魅力がありました。だから、そこに座っているだけで全部を包み込んでくれるように思えたものです」と西村さんはいいます。八木さんもまた「更科君という上置きがあったからね。あの人が座っていると、この人のために手弁当でもやろう、という気になるもの」と、その包容力の大きさをしのびます。

北海道文学館運動は、当初から更科さんを頂点とした地元での強い結束と、伊藤整、亀井勝一郎、八木義徳、船山馨、小松伸六など中央で活躍する人びとの温かい支援を受けてこんにちを迎えているのです。そして、その努力は一昨年、文部大臣からの地域文化功労賞の受賞となって報われました。

独自館建設に向けて期成会が発足

関係者共通の思いは、いまだに独自館を持てないでいること。のちにできた神奈川も石川も次々に県単位で立派な文学館が建っていくのを無念の思いで見つめてきたのです。それがいま、創立20周年を機に建設運動が燃えあがっています。

今年9月、今井道雄さん(道商工会議所連合会会頭)をはじめ、各界有志が顔をつらねて道立北海道文学館建設期成会が発足しました。すでに資料の保管スペースに限界をきたしていることと、その保存には温・湿度調整が不可欠であり、より充実した活動を展開するための人員や施設の拡充が急務となっているのです。

札幌市内の便利な場所に延べ4千平方メートルの施設を建て、50万点までの資料を収蔵・閲覧できる文学殿堂を神奈川近代文学館方式にならった道立民営で、という基本構想を持って、道知事など関係先への陳情を始めています。

今後は、財団法人・北海道文学振興会(仮称)への改組や各界に理解と協力を得る運動に、もう一度情熱をかけることになります。

文化の厚みを増すステータス・シンボルに

この動きを聞いて八木さんは、北海道文化の向上と継承の大切さを熱心に語ります。

イメージ(横浜市、港が見える丘にある県立神奈川近代文学館、北海道文学館は施設・運営の参考にしようとしています)
横浜市、港が見える丘にある県立神奈川近代文学館、北海道文学館は施設・運営の参考にしようとしています

「ぼくが敗戦の前年に召集令状をもらって金沢の連隊に配属されるとき、いまにも傾きそうな四流の商人宿に泊ったんだが、出てきた粗末な夕食の茶わんは九谷焼、おわんは輪島塗のすごいのを何気なく使っている。その後、北海道で一番といわれる旅館に泊ったとき、そこの器はみんな移入物ばかりでした。北海道の文化の層の薄さは、なんとかしなくてはいけないね」。

八木さんは「北海道は、明治以降、日本に入って来た文化が盛んだ」といいます。その1つが文学。それは人間を書き、その精神を探求するものだけに、伝統に左右されることが少ない。そして北海道には、北方文学をうむ風土があるのです。「だから、文学館がコア(核)となって絶えず文学的な集まりがあり、そこから全国的なコミュニケートができるようになれば文学を志す人には研修の場になる。また文学に遠い世界に生きている人も、年に1度くらいは館に来て作家の書いた原稿の1枚からでもその精神史の一端を見てもらえたら、それは北海道の素晴らしいステータス・シンボルになると思いますね」と、文学館建設に心から期待を寄せています。

北海道文学館20年のあゆみ

1967年(昭42)
●北海道文学館設立総会●有島武郎文学展●発足記念文芸講座/有島展記念文芸講演会/有島武郎をしのぶ夕べ●「有島武郎文学アルバム」刊行

1968年(昭43)
●文学に見る北方風物展/近代文学百年展●百年展記念文芸講演会●バスによる文学散歩(札幌・釧路・函館・旭川)●図録「日本文学百年のあゆみ」刊行

1969年(昭44)
●北海道旅の文学展/日本の名詩集展/戦後のベストセラー展●ドキュメント映画による文芸講座●第1回北海道文学の旅(後志)

1970年(昭45)
●伊藤整・亀井勝一郎文学展●同展開催記念文芸講座・伊藤整を偲ぶ文芸講演会●北海道文学の旅(石狩川方面)●「伊藤整・亀井勝一郎の文学」刊行

1971年(昭46)
●北海道詩歌展●札幌文学散歩/北海道文学の旅(胆振)/後志文学の旅●「北海道の詩歌」刊行1972年(昭47)

1972年(昭47)
●目で見る札幌文学散歩●札幌文学散歩/北海道の旅(道南)/後志文学散歩

1973年(昭48)
●藤村における旅資料展/久保栄文学展/「林檎園日記」上演/札幌の文学百年展●藤村資料展、久保栄展開催記念文芸講演会●北海道文学の旅(日高・十勝)●「久保栄文学アルバム」刊行

1974年(昭49)
●文学にみる札幌風物展/北海道女流文学展/小田観螢・人と作品●サッポロポエムコンサート/北海道文学の旅(網走)/札幌文学散歩/女流展記念行事

1975年(昭50)
●札幌の作家展・戦前の巻/札幌の作家展・戦後の巻/戦後30年北海道文学展/川柳に見る戦後の札幌●作家展開催記念講座/スライドと映画「北海道文学と小田観螢」/戦後30年の北海道文学を語る

1976年(昭51)
●碑にみる北の文学展/林不忘・長谷川四郎兄弟展/石狩川流域文学展/歌人山下秀之助展●北の文学展創作講座●北海道文学の旅(道北)/札幌文学散歩

1977年(昭52)
●札幌の文学サークル展/文学展北の海/札幌・戦後演劇展

1978年(昭53)
●文学展ふるさとの窓/北海道児童文学展/さっぽろの俳句展●北海道を描いた児童文学/口演童話の実演

1979年(昭54)
●現代北海道短歌展/風土の中の文学碑展/北海道冬の文学展●短歌文学講座/●「北海道文学地図」刊行

1980年(昭55)
●現代北海道俳句展/北海道・岬文学展/児童文学と絵日記展―石森延男その周辺●オホーツクの湖をめぐる文学の旅

1981年(昭56)
●雑誌「北方文芸」展/石森延男児童文学展/北海道・峠文学展/北海道文学全集展

1982年(昭57)
●島木健作文学展/船山馨文学展/北海道・湖文学展/鮫島交魚子展・加藤愛夫文学展

1983年(昭58)
●寺田京子・宮田益子・森みつ3人展/文学展・大地と人間/にんげん坂本直行展・その絵と文学

1984年(昭59)
北海道児童文学全集展/北海道演劇資料展

1985年(昭60)
地域文化功労賞受賞●北海道俳句展/北原白秋展/文学にみる北方風物展/日本の名詩集展●「北海道文学全集」刊行

1986年(昭61)
●日本の文学館風景展/歌誌「原始林」40周年記念展/啄木と雨情文学風景展/石森延男と札幌児童文学展

1987年(昭62)
設立20周年祝賀会●詩誌「核」30周年記念展/北海道文学館歩み展●「北海道文学百景」刊行

住所 札幌市中央区大通西13丁目
電話(011)241-2634

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