表具工房に、書画の作品が持ち込まれる。
一角の書家・画家、あるいはそうでないものをも含めて、画箋紙、絹などに書(描)かれたものである。それらは生のままの芸術作品である。
これらが、掛軸や額などの表具ものに完成されて、人の目に触れる。
この表具技術においていちばん肝心なことは、裏打という行程である。生の作品の裏に和紙を貼る仕事である。
薄い糊をつかって貼る、刷毛(はけ)で撫でるのではあるが、裏打刷毛という大きな刷毛で、打ったりもする。そのためか、裏打と呼び慣らされてきた。
伝統的な和紙のしなやかさや強靱さなどの特性を利用して、作品の保存と化粧が保証される。
だが、表具の歴史もまた他と同じく平坦な道ばかりではなかった。
例えば、太平洋戦争直後の表具ものなどのなかには、いわゆる洋紙で裏打された作品がある。和紙が手に入らなかったのであろう。
それらに手で触れると、途端にボロボロに破け散る。保存性は全くない。まるで、化粧のためのみに裏打したようである。表具において、これらの和紙は決して表には出ない。一生裏方である。表の芸術は裏の紙によって支えられている、といって過言ではない。
日々、このような仕事の中で、ふと考える。自分を含めて、人の様々な裏方は何であろうか。それは洋紙のようなものか、あるいは和紙のようなものか。何をもって裏打しなければならないのであろうか。
「あの人は学問によって裏打されている」至言。