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1988年01月号/第24号  [ずいそう]    

辞書は座右の書―原生林と原始林―
渡辺 ひろし (わたなべ ひろし ・ 童謡詩人)

一般には通過困難といわれる原生林の中でも、幸い登山という行為をしはじめて58年、現在も札幌の「えぞ山岳会」の創立者のメンバーで構成されている「えぞ山岳会OB会」の会長をやらされている。私たちの会では、路のないところを登攀(とうはん)して、下山することを目的としているので、一般には通過困難なところを選んで登降するようになってしまうのだ。だから年とって、からだはがたがたになっても、技術がおぎなってくれる。

先日、新村出(しんむらいずる)編『広辞苑』第三版(岩波書店・昭和58年12月6日刊)をひもどいてみた。774ページ1段目24行目に〔原生林〕伐採などの手が加えられていない自然のままの森林。原始林、処女林。とでている。さらに769ページ4段目19行目に〔原始林〕原生林に同じ。となっている。

これはどうも骨折り損のくたびれ儲けであったかと思ったが、確認できてよかったではないか。辞典は座右の書、手離せない。

〔原生林〕と〔原始林〕とについて、どうちがうのだろうかと考えたことがあった。

原生林とは、人間の斧が入っていない自然のままの姿の林。原始林とは、人間の斧が入っているが、自然のままの姿をとどめている林。と、いうふうに、私なりに考えていた。札幌の近郊にも、円山や藻岩山の限られた区域に原始林が残っている。野幌の「森林公園」は、原始林としての自然のままの姿を保護育成されている。

10年ほど前、私が65歳ごろまでは年に4、5回ほど、この公園を歩いたものであった。よく整備された遊歩道は、年配者にはありがたい。しかし、私は敢(あ)えて道をはずして、一般には通過困難な沢へ向かっての傾斜地や山腹に入っていた。そこには、腐葉土と化した落ち葉のじゅうたんの感触、足にからまる下草、いつ倒れたのか、うつろになって横たわる大木、その倒れ木の中から芽をのばしている新しいいぶきが感じとれた。

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